迷宮の誓い

 試験終了後、わずかな休息で隊舎の一室に集められた。

 部屋の前方、やや高くなった場所に試験官であるディアンが立ち、合格者八名が向かい合う形で座っている。


 説明会は順調に進んでいたが、ウィルは時折向けられる敵意混じりの視線に居心地の悪さを感じていた。


 「掟破り」だの「裏切者」だのと聞こえる時点で、その視線の原因はお察しである。小声ではあるが、しっかり聞こえる音量である辺りずいぶんといい性格をしている。ただ、その視線は猟兵組だけではなく、説明役であるディアンからも向けられていた。


 ウィルからすれば自分の行動が原因だから、受け入れる他ない。居心地の悪さこそあるものの、追い出されるわけでもないのであれば構わない。


 黙って説明を聞き続けることしばし、説明内容をまとめると以下のようになった。


・入隊試験は一次と二次に分かれる。

・一次は座学と筆記試験で三日、体力試験で四日。どちらも合格点に達していれば二次に進む。

・二次の期間は一週間。救助隊が使う特殊な装具の適応訓練を六日行い、最終日の実地試験に合格した二名が仮入隊となる。

・仮入隊二名は三カ月の基礎訓練を経て一名に絞られる。

・訓練期間中、希望者は救助隊宿舎を借りることができる。


 悪くない、それがウィルの感想だった。

 ウィルと猟兵組の実力差はそれほどない。全力を尽くせば勝ち目は十分にある。ただし障害となるのはウィルへの妨害の可能性だ。猟兵組はほとんどが顔見知りのようで、いまでさえ徒党を組んでいる。そこにウィルという嫌われ者が現われれば、排除しようとするのが当然の流れだろう。


 しかし仮入隊の席が二つであれば、ウィルが誰かと同盟を組んで対抗することもできるはずだ。そして、その選択肢はアリシア以外にはない。彼女以外にウィルに敵意を抱いていない人間はいないのだ。


 だが、懸念はあった。

 仲間に引き入れられるかという問題はいい。引き入れられなければ一人で戦うと覚悟を決めるだけだ。唯一の懸念は、アリシアと同盟を組んだとして、逆に足を引っ張られる結果になることである。


「…………?」


 視線に気づいたアリシアが不思議そうに小首を傾げた。

 まさか自身の心の内を察せられたわけでもないだろうが、思わず身構えそうになった。君を値踏みしていたなどと言えるはずもなく、鷹揚に「なんでもない」と手ぶりで示すにとどめる。


 彼女を利用することは確定だ。

 しかし、念のために能力は見極めるべきだろう。


 底意地の悪い考え方だが、姉を救うために全てを投げ捨てる覚悟をしたウィルにとって、そんな感情は些事でしかない。


 ひとまず、見極めの期限をこれから一週間で行われる一次試験に定める。受験者の最低限の能力を見極める一次試験は、アリシアの有用性を確認するのに十分だろう。


 内心でウィルがそんな腹黒いことを考えているとは思わないアリシアは、説明会の終了とともに大きく伸びをして、ウィルに向かって笑顔を向けた。


「はぁー疲れたぁ。やっと終わったね」

「ああ。そうだな」


 その笑顔に、ずくり、と胸が痛んだ。

 しかし、やるしかないと無理やりに笑みを浮かべる。ウィルはそれが最善だと信じるしかなかった。


 何はともあれ退室しようとしたところでディアンに呼び止められた。ウィルだけ面談とのことで、アリシアに手早く別れの挨拶をして部屋を出る。


 辿り着いた扉には、隊長室と刻まれた金属板が吊るされていた。ディアンの促されるまま中に入ると、思ったよりも広い。ウィルが潜った扉は部屋の前方にあるようで、簡素な執務机が向かい合せにずらりと奥へ並んでいる。


 その一番前に机に、カウフマンが気だるげに座っていた。

 安物の椅子はカウフマンが背を預けるとぎしりと音を立てる。その音が、まるでウィルに対する断罪の響きにも思えた。


「よう、来たか。なんで呼ばれたかはわかるか」


 ここまで来たならば、覚悟を決めるしかない。


「恐らくは……これだろうな、というのは分かります」

「おう。たぶんそれで正解だな。お前、赫胞の救助義務を放棄したんだってな」


 やっぱり知られていたか。

 いまさら失格はないはずだ。ディアンはすでに知っていただろうし、それなら説明会に参加させる前に失格と伝えればいい。わざわざ説明会を受けさせたのならば、参加させる意志はあるということだろう。


 ではここに呼ばれたのはなぜか、何と答えれば正解か。

 深く考えることが得意ではないウィルだが、この時ばかりは必死に頭を回転させた。


「姉貴を迷宮で失って、助けるために猟兵として頑張ってたんだってな。赫胞を見つけた時は命の期限が尽きるギリギリだって話で――」

「…………らえだ」


 しまった、と思っても後の祭りだ。

 またもや失態。これまで散々言われてきた期限の話に、思わず言葉を発してしまった。


「聞こえなかったな。もう一回言ってみろ」


 無視されればとも思ったが、カウフマンは聞き逃さなかった。舌打ちをしたい気分だが、いまさら出た言葉は呑み込めない。


「命の期限なんて、糞くらえだ。そう言いました」

「……なるほど?」


 カウフマンは紙巻煙草を取り出して火をつけると、美味そうに紫煙をくゆらせる。なぜかは分からないが、実に楽し気な表情だった。


「救助隊ってのは、下層より下にはいかないぜ?」

「下層まで行ければそれで構いません。そこから先は一人で行きます」

「へぇ。救助隊を抜けて?」

「ええ。それが必要なら」


 あまりにも自分勝手、あまりにも傲慢な願いだ。

 分かっていても、誤魔化さない。横に立つディアンの殺意は膨れ上がっているが、肝心のカウフマンが嫌悪感を抱いていない――それが正解だと信じて突き進む。


 果たしてそれが正解だったのか、カウフマンはますます面白そうな表情を浮かべ、ぐふ、と笑いを噛み殺し損ねていた。


「お前の前任者がいた頃でさえ、俺たちの任地は中層止まりだぜ。お前はそれを下層に連れていけると思うのか?」

「思いますよ。だって、俺以上に迷宮の底へ行きたいと願う人間はいませんから。それが答えです」


 願いはつまり、気力であり、推進力である。実力が足りない。それがどうした、身につければいい。妄執じみたこの願いがあればなんだってできる。その覚悟が、必死さが、ウィルには確かにあるのだ。


「面白いねぇ。連れてってくれるかよ、下層に」

「ええ。必ず連れて行きます」


 視線が交錯したのはわずか数秒、カウフマンはそれで満足したらしい。果たしてこれで正解なのか。答え合わせはできなかったが、ウィルは素直に部屋を後にした。


 残されたのは、くつくつと笑いを噛み殺すカウフマンと、怒りを隠そうともしないディアンである。


「正気か、カウフマン! あれは仲間を殺す毒だと言ったはずだぞ。しかも、なんだ? 下層から先は一人で行くだと? その時点で裏切るってことだろうが!」

「別にいいじゃねぇか。いまの俺たちの番手は最下位だぜ。下層にたどり着くまでうまくいっても二年はかかる。その間に少しは落ち着いて考えも変わってるだろうよ」

「変わってるだろうって……おい、ふざけるなよ!」


 怒りのためか、みきり、とディアンの肩の筋肉が隆起したが、カウフマンはどこ吹く風だ。飄々と首をすくめる。


「落ち着けよ……俺としちゃあ、あいつの願いとやらも、実力を伸ばす燃料になるなら構わねえんだ。安全な有能がいりゃあそれが一番だが、そう都合よく従順な猟犬がいるわけねぇ。なら妥協するしかねぇが、安全な普通よりゃ、跳ねっかえりの有能のほうが使いでがあるだろう?」


 一理はあるが、到底承服できるものではない。カウフマンの言う通りに全てがうまくいくならいい。だがそうでなければどうなるか。そんなものはただの博打で、大馬鹿のすることだ。


 ディアンは堪えきれない怒りを拳に乗せ、机を殴りつけた。

 頑丈さだけが取り得の安い執務机の天板が、めごりとへこむ。


「話にならんな。いいか、あいつを合格にするなら俺は隊を抜けるぞ。それでもいいってんなら好きにしろ」


 ディアンは最後の切り札を切ったつもりだ。

 ディアンの実力は受験者全員と比較しても格段に高い。どちらを選ぶかなど考えるまでもない。まして、受験者を教育する役目はディアンであり、彼がいなくなっては立ち行かなくなるのは明白だ。


 ディアンは自分の実力と価値を正しく理解していたからこそ、これでカウフマンも折れるはずだと確信していた。


 しかし、カウフマンの反応は芳しくない。紫煙をくゆらせ、首をすくめただけだ。あげく、なんでもないことのように言うではないか。


「ま、決めるのはお前さんだよ」


 対極的な二人の視線は、しばらくの間交錯し続けた。

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