決意の約束
結論から言えば、ウィルの懸念は杞憂だった。
アリシアは筆記と体力試験で見事に合格し、一次試験を突破したのだ。
しかも、筆記試験でウィルに次いで四位である。迷宮に関する知識量が物を言う試験であり、メルロイとともに中層に潜っていたウィルが上位なのは当然だが、アリシアは座学のみで食らいついてきたのだ。地頭が良いのもそうだが、何よりも彼女の努力の賜物だ。
だが、やはり体力試験は足を引っ張っている。
誇張なく、ぎりぎりの合格だった。
アリシアにとって幸運だったのは、試験が加点式であり、種目ごとに失格となる足切り値が設定されていたことだ。極論すれば、足切り値さえ超えれば点数は低くとも失格にはならない。
ウィルはそれでも足切り値まで一歩足りないという見立てをしていたが、アリシアはその一歩を気力で埋めていた。その根性は認めるところで、猟兵達も驚いていた。
根性論など馬鹿げた迷信と笑い飛ばす者もいるが、現実に精神が肉体を超越した事例は確かにある。それを起こす者が少ないだけで、決して否定すべきものではない。
そして、アリシアはそれを実際にやってみせたのだ。
だが、無理をすれば当然反動は大きい。
一夜明けた彼女は、有体に言ってひどい有様だった。極度の疲労と筋肉痛で、歩くことすら覚束ない。その状態では今日の訓練でまともに動くこともできないだろう。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫……たぶん! たぶんね!」
足が小刻みに震えているが、大丈夫というなら大丈夫なんだろう。何が彼女をそこまで必死にさせるのか。しかし、根性は十分だ。ウィルも試験を合格するための相方役として、アリシアを認めるのに躊躇はない。
「もうすぐ訓練が始まるけど、その前にちょっと話せるかな」
「い、いいよ。大丈夫っ」
足取りの重いアリシアを連れて隊舎の陰へ移動する。猟兵達がこちらに来ないことを確認し、アリシアに向き直る。
「単刀直入に言う。俺と手を組まないか」
「えっと……どういうことかな?」
立っているだけでも辛いだろうに、脂汗を流しながらアリシアは気丈に聞き返してくる。やはりいい根性をしている。アリシアへの評価を確かなものとしながら、ウィルは懐から青い錠剤を取り出した。
「再生薬だ。そのままじゃ訓練を受けられないだろう。俺と手を組むならこれをやる」
「……待って。活性薬じゃなくて?」
彼女の疑問も当然のことで、気を悪くすることもなく頷いて返す。
活性薬、再生薬はともに猟兵御用達の薬で、自然治癒力を向上させることで傷を癒すことができる。ただし、その効果には圧倒的な差があるからだ。
主に上層で活動する猟兵が愛用する活性薬は、ある程度の時間をかけて骨折や切り傷を癒すことができる。それに比して、再生薬は活性薬を数倍する治癒速度を誇り、欠損した指程度ならば再生する。当然お値段も凄まじい。中層を狩場とする猟兵でも気軽には使用できない代物だ。
ウィルとてそれは同じで、メルロイから報酬の一部として譲渡されていた虎の子の一粒である。
「活性薬を持ってないんだ。症状に対して過剰なのはわかっているけど、回復すること自体は同じだ。俺の覚悟だと思ってくれていい」
「そんなに焦ってるのは、やっぱりお姉さんを助けるため?」
「……知ってたのか?」
恐らくウィルと距離を取らせたい猟兵組の誰かが話したのだろう。
アリシアは申し訳なさそうに頷き、「ごめんなさい」と謝罪した。勝手に人の過去を知ってしまったことへの謝罪だろうが、別にアリシアが悪いわけでなし。ウィルも気にせず、苦笑するに留める。
ただ、気になる点もある。
「聞いた上で、なんで着いて来てくれたんだ。悪評は教えられただろうに」
ウィルが赫胞を見捨て、自分勝手な行動をしたのは事実だ。
赫胞はすなわち人命である。それを見捨てる行動に批判があるのは当然で、ウィルとしても反論の余地はないはずだ。
人の好い彼女がそれを許すとも思えなかったのだが、アリシアからは昨日までと同じ、むしろ好意の感情が増しているようにすら感じる。
「ウィルが赫胞っていうのを見捨てたんだよね。それがすごくいけないことなのはわかるつもりだよ。だって、人ひとりの命だもんね。でも、話を聞いてて思ったんだけど、ウィルは絶対に許せない悪者だったとは思えないんだよね」
「ええと、どういうことだ?」
猟兵の価値観でいえば掟破りの大悪党だ。
だが、アリシアはそうではない、と言う。
「私もあの人たちから聞いただけだから間違ってたら教えて欲しいんだけど、ウィルは実力不足で下層を目指してる人達にくっついて行ったらしいじゃない。そんなウィルが一人いたとして、何か変わるの?」
「まぁ、変わらないな。実際、俺は赫胞と同じく荷物同然に地上まで運ばれてたし。でも、そういう問題じゃないんだろう」
重要なのは必要だったかではなく、多分に心情的な問題だ。掟破りという行為自体が猟兵たちの憎悪を煽るのだ。
「うん、それはそう。悪いことは悪いもの。でも、事情を理解して判断すべきだと思うんだよ」
「事情?」
「そうだよ。ウィルはお姉さんを助けるっていう目的があった。迷宮下層に着いたら猟兵さんたちと別れる契約だった。それでウィルがいてもいなくても状況は変わらなかった。事情があれば全て許されるとか、そんなことは言わないけどさ。でも、その状況なら私もやると思う」
アリシアは冗談ではなく、本気で言っているとわかった。
もちろん、あの時そんなことを考えていたわけではない。自分がいなければ壊滅するという状況だったとして、諦めることができていたかわからない。
だがそれでも、これほど直接的な肯定はウィルにとって初めてのことだった。大仰に言えば、固まっていた心がわずかに緩んだ、そんな気分である。
「うまく言えないけど、私はウィルは悪者なんかじゃないって思う。それよりも、人のことを悪く言って邪魔しようとする、あの人たちのほうが許せない。だから、ウィルとなら手を組むよ」
「いいのか?」
「いいもなにも、自分で言い出したんじゃない」
違いない、と笑い、手を差し出す。
アリシアは迷わずウィルの手を取り、同盟の握手を交わした。
「引き返すなら今だぞ。俺と手を組んだとわかれば、あいつらはアリシアを狙う。はっきり言うが、アリシアは体力面でも、経験でもあいつらに及ばない。ただでさえ厳しいのに、妨害を受ければなおさらきつくなるぞ」
「おっとっと、まるでウィル少年は手を組んでほしくないみたいだよ」
「いやっ、そんなことは……」
アリシアはくすりと笑い、握った手を激しく上下に振った。
「わかってる、心配してくれてるんだよね。でも大丈夫だよ。私もウィルほどじゃないけど事情があるんだ。絶対に勝ちたい。でも、だからって納得いかないことはしたくない。それで、いまの私はあの人たちの思い通りになりたくないって思ってる。つまり――」
「つまり?」
「ちょっぴり怒ってるんだ」
なんとも可愛らしい怒り方だ。
だが、そんな怒り方ならウィルも歓迎だった。
アリシアの事情というものが何かは分からないが、あえて説明されないのであれば聞くべきではないだろう。
ただ、ウィルも考え方を変えるべきだ。
話を持ち掛ける前まではアリシアを盾として使い潰してもいいと思っていたが、彼女の誠意を裏切る行為はしたくない。自分が合格することが最優先ではあるが、彼女がもう一席を獲れるように全力を尽くそう。
難しい挑戦になるだろうが、ウィルは確かにそう決めた。
ウィルの決断をよそに、アリシアは青い錠剤を取り上げ、ひょいと口の中に放り込み、困ったような表情を浮かべた。
「これ、すぐ飲みこむの? それとも、噛んだほうがいい?」
「……飲みこめ、すぐに」
アリシアと話しているとどうにも調子が狂う。
しかし、それはウィルにとって悪い時間ではなかった。
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