救助隊入隊試験その3
「辞めるなら今だ。走り続ければああなるかもしれない」
最後の手心として棄権を提案する。
ウィルと違って猟兵免許を剥奪されているわけでも、姉を救うために急いでいるという事情があるわけでもないだろう。逃げることは論外だが、無謀に挑む愚を良しとせず棄権することは十分に検討に値する。
だが大の大人が心折れる瞬間を目の当りにしたアリシアは、ウィルの言葉に同意することはなかった。
むしろぴしゃり、と自分の両頬を張った。
「いったぁい! けど、覚悟完了! 頑張る!」
「……ああ、そうだな。頑張れ」
覚悟があるならば良し。
アリシアが棄権しないのはウィルにとっても望むところだ。
一人で走るよりは二人で走るほうが心は折れない。実に自分勝手な話ではあるが、ウィルはそのためにアリシアとともに走ることを継続した。そうしなければ、五年間迷宮に潜っていた自分でもディアンに心を折られる可能性があると考えたからだ。
厳しい戦いになる、間違いなく。
そして、それは正しく現実となった。
すべてが終わったのはそれから五時間後のことだった。
試験終了の合図とともに屍のように倒れ伏した人数はわずか八名。それ以外は全てディアンによって心を折られ、早々に失格の烙印を押されていた。
第一集団にいた猟兵組六名とウィルは当然残っている。
だが残り一人は驚くべきことに、アリシアだった。
ウィルが驚くほどの粘り強さを見せ、決して折れずに足を動かし続けたアリシアの勝利である。
ただの少女が――いや、猟兵と同等の心の強さを持つ者がただの少女であるはずがない。
見直したなどと冗談ではない。認めるべきだ。
アリシアの心は強い。ただ一つ、女であることだけが残念で仕方がなかった。あるいは、獣人でないことが。
「や、やったね……もう、一歩も動けないけど……」
「そうだな。よく頑張ったよ」
随分と上からだが、彼我の実力差を考えれば当然ではある。
一瞬馬鹿にされたかなと顔を上げたアリシアだが、真剣な表情で頷いているウィルを見て苦笑した。
それが偽らざる本心なのだと悟り、あまりの不器用な気遣いに笑いの波を堪えられなかったのだ。
◇◆
広場を見下ろす救助隊隊舎三階の窓辺で、カウフマンはふぅむ、と唸り声をあげた。
見たところ、悪くない。
猟兵あがりが残るのは順当としても、すぐに落ちると思っていた紅一点のアリシアが残ったのだけが意外か。可愛いし、頑張り屋だしでカウフマンのおじさん心がお気に入り認定している。それ以外は野郎だからどうでもよし。
「はてさて、見込みのある奴はいるかねぇ。なぁ、どう思う?」
ちょうど小走りに部屋に入ってきたディアンに声をかける。
一緒に走っていたディアンのほうが肌感はわかるだろうと思ったのだが、ディアンはその問いに答えることなくやけに真剣な表情でカウフマンの横に並んだ。
「なんだよ、怖い顔しやがって。ただでさえ
「……あんたが俺の
「はぁ? なに、どれ?」
探してみれば、お気に入り認定した少女の横で笑う少年が一人。確かにガキではあるが、見るからに猟兵あがり。それも他の猟兵たちに遅れず走る体力も、アリシアを引っ張りながら合格まで辿り着いた気力も、どちらも大したものである。
カウフマンとしては上から数えたほうが早いくらいには好印象なのだが、ディアンはそうではないと言う。彼が意味もなく人を下げるような愚か者ではないのはよく知っている。何かあるのかと、カウフマンは神妙な面持ちで理由を問うた。
すると、出てきたのは猟兵としての誇りを捨てたという噂話だというではないか。見つけた赫胞を無視して下層を目指そうとしたらしい。
「死んだ姉貴のために掟破りってか。いやはや、泣ける話じゃねぇか」
「馬鹿を言うな。奴は
珍しく語気を上げるディアンは相当にウィルを嫌っているようだった。
仕方ないといえば仕方ない。
救助隊は危険な迷宮の中で命を賭ける。その時に信頼できるのは救助隊の仲間だけなのだ。
その中で信用できない異物が混じるとなれば、新人教育で負担が増えるどころの話ではない。信頼できるからこそ踏み込める一歩が、そいつのせいで踏み込めない。いつ崩れるかわからない亀裂の入った崖の上で一夜を明かすようなものだ。それこそ、生きた心地がしないだろう。
「あんたが好きそうなのは知っている。だが、あれは駄目だ。あれは仲間を殺す。もしもあれを選ぶなら、俺にも考えがあるぞ」
真剣に訴えるディアンの気持ちもわからないでもない。
だが、実際のところディアンの言う通りに好きなわけではない。むしろどちらかというと嫌いで、放っておけないというのが正しい。
カウフマンの脳裏に過るのは、若き日の自分の姿だ。あの死にたがりと自分の姿が重なる気がするのは、決して気のせいではないだろう。
馬鹿で、無謀で、どうしようもない。
だからこそ、放っておけば遠からず死ぬ。
一線を越えていればもはや手を差し伸べることすらできない。ディアンの言う通り己自身だけではなく、仲間をも殺す。
だが、まだ間に合うのであれば。
「どう思うね、博士」
ちっ、とディアンが舌打ちを漏らした。
その人物への悪意ではなく、五感が鋭敏な獣人である彼が存在に気づかなかったという事実ゆえだ。
とはいえ、それも致し方ない。
部屋の奥、暗がりに寝そべっていた博士と呼ばれた男もまた獣人なのだ。それも気配を隠すことにおいては狼型の獣人であるディアンよりも数段上の、猫人と呼ばれる猫型の獣人である。
だが恐らくは猫型の……という言葉から想像する洗練された細身の姿とはかけ離れている。
まず単純にでかい。
上にも、横にも、でかいとしか言えない。
ウィルより頭一つ大きい二人よりも、さらに頭一つ大きい。巨人、という言葉がしっくりくるが、それは猫人の特徴ではなく、単に博士という愛称で呼ばれるアルツトという個体の特徴である。
実に柔らかく揉み心地が良さそうなもふもふ――ではなく、ふくよかな脂肪に包まれているが、その下には獣人特有の強靭な筋肉の鎧があり、単純な膂力だけでいえばディアンが二人いてようやく競り合えるかという、とても博士という愛称に似つかわしくない肉体の持ち主だ。
働くより飯、飯より研究、という謎の迷言が刺繍された肌着と、その上から着込んだ白衣が特徴的なアルツトは、寝ぐせで曲がった髭を伸ばすようにもみほぐしながら、うむ、と頷いた。
「知らんよ。吾輩は前線で彼らに命を預ける役ではないからね。傷ついて帰ってきた彼らをよしよしと撫でつける癒し枠であるからして」
「その癒し枠として、あいつの精神状態をどう思うかって話なんだがな」
くだらない冗句に苦笑を一つ返すと、アルツトはそれでさすがに真面目に答える気になったか、瞳孔をくわと開いた。
「……うむ、やはり知らぬな。吾輩は肉体の治療が専門であるからして。研究の糧にならぬ君らの精神などに興味はないよ。まぁ、その辺りは君の仕事だろう、隊長殿」
「ま、それはそうだ」
カウフマンはふぅむと顎をしゃくって考えを巡らせる。
しかし、やはり答えは先ほどと変わらなかった。
「かもしれない、けれど、そうじゃないかもしれない。何事も決めつけはいけねぇな。いっちょ試してみるかね」
不機嫌そうに唸るディアンの肩を小突き、カウフマンは楽し気に笑い声を立てた。
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