救助隊入隊試験その2

 呆けて様子を伺ったのも一瞬、受験者たちの背にカウフマンの怒声が叩きつけられる。


「試験開始だ! 合格条件はディアンを追い抜くか、追い抜かれないこと! 救助隊の外周に沿ってぐるっと走るだけの簡単なお仕事だ。わかったら行け!」


 一斉に走り出す受験者たちはディアンの後を追い、門を抜けて救助隊の敷地を囲む壁に沿って走る。敷地は隊舎と宿舎の二つの建物しかないが、それ以外にも迷宮の環境を模した訓練施設が複数存在する。それこそ、崖や山、谷、洞窟といった環境が、馬鹿げた規模で用意されているのだ。それを全て内包する施設が狭いわけはなく、当然外周も馬鹿げた距離だ。


 実際に走ったことがないウィルは長そうだという予想しかできないが、実際には現在のディアンの速度で一周一時間ほどかかる。容赦なく落伍者を出すつもりの、それなりに速い速度で、だ。


 それだけの速度がでているのだから、百人近い集団もすでにばらけ、幾つかの集団に分かれていた。


 先頭を行く第一集団は猟兵組六人と、地上組から二人。その後ろに少し離れて第二集団があり、ウィルはここにいる。さらに間を開けながら第三集団――これはいつ分裂してもおかしくないほど長く伸びていた。


 だがそんな連中よりもウィルが注目したのは、第二集団に着いてきているアリシアだった。


 速度をわずかに緩め、第二集団の最後にいるアリシアの横に並ぶ。


「よく着いてこれてるな。無理するなよ」

「大丈夫、走るのは得意なんだ」


 すでに額に汗が光っているが、本人が大丈夫というならば大丈夫なのだろう。自己責任は迷宮の鉄則である。手助けができない以上、注意はした、それで十分な配慮だ。


「あいつら、そろそろ仕掛けるぞ」

「仕掛けるって……あ、そういうことか」


 先行している第一集団がディアンとの距離をじわじわ縮めているのに気付き、アリシアも理解したようだ。


「ディアンだっけ。あの試験官を追い抜けば合格、追い抜かれたら不合格だろ。なら短期決戦で追い抜いてしまえばいいって考えたんだろうな」

「確かにそうか。じゃあ私たちも追いつかなきゃかな?」

「いや……俺は様子見だな。あいつらが抜けるっていうなら俺もそうするが、たぶん無理だと思う」

「なんで無理なの?」


 やけに自信ありげなウィルに、アリシアは不思議そうに首を傾げた。


「そんな簡単に突破できる条件をつけるとは思えない。追い抜けたら合格、追い抜かれたら不合格……なら抜けばいい。それじゃあ簡単すぎる」


 何か根拠があるのかと言えば、ないわけではないという程度。だが前方を走るディアンが時折向ける視線と、口元に浮かぶ嫌な笑みを見るたび、嫌な気分になるのだ。


 なんと表現すればいいのか。

 目の前に毒蛇がいたとして、それがさも無力なように見せていたとして、それを信じることができるか。恐らくその感覚がもっとも近い。


 どちらにしろ、結果はすぐにわかることだ。


「仕掛けたぞ」


 じわじわと距離を縮めていた第一集団から、猟兵たちが勢い良く飛び出した。限界だという顔で走っていたのに、そんなものは幻覚だと嘲笑うような急加速である。


 意外と演技が上手い。

 妙なところで感心していると、猟兵たちの動きに気付いた地上組の二人も慌てて速度を上げていた。だが明らかに猟兵たちとは地力が違う。まだ余裕を残して追い上げている彼らと異なり、地上組の表情は必死そのものだ。


 彼らとて無暗に追いかけているわけではない。

 抜けば合格、それに賭けたのだろう。当然、抜けなければ潰れる。


「あ、意外といけちゃうかも?」

「いや、無理だな」


 ディアンとの距離をぐんぐん縮め、そのまま抜いてしまうかと思われた第一集団だが、健闘もそこまでだった。


 真後ろまで近づいた集団をちらりと見やり、にやけの張り付いた口元にさらに大きな弧を描くディアン。


 次の瞬間、地面が爆発したかと思うような踏み込みとともに速度を上げていた。もちろん爆発したというのは見間違いで、地面に落ちていた砂利が蹴り上げられただけなのだが、それにしても地面を蹴っただけであれだけの砂利が後方に弾き飛ばされるなど尋常ではない。


 当然そこから生み出される推進力も馬鹿げたもので、男たちとの距離は元の木阿弥どころか、それまでの倍以上に開いていた。


「うわぁ、すごい速い……さすが獣人だね」

「ああ。やっぱり罠だったか……いい性格してる。やっぱり抜くのは無理だな」


 ウィルも先ほどの猟兵たち程度の速度であれば出せる。頑張ればもっと出せる。それでもディアンの脚には及ばない。であれば、もう一つの合格条件を狙うしかないだろう。


「抜かれたら不合格。つまり、抜かれなければ合格ってことだろうな」


 苦虫を嚙み潰したような表情で当たり前のことを言っているが、その当たり前が曲者なのだ。

 アリシアもまた眉根を寄せて答える。


「抜かれなければ、かぁ……それっていつまでだろうね?」


 そう、何時いつまで。これが問題なのだ。


 抜けば合格、抜かれなければ不合格、その条件に時間の指定はなかった。言い忘れただけで実は外周を一周回るだけなんて考えるのはあまりにも都合が良すぎる。いくらディアンの脚が速いとはいえ、あの速度で周回遅れを一周で出すのは無理だ。


 罠といい、あえて言わない辺り、性格の悪さが滲み出ている。ならば考えられうる最悪が正解だ。


「アリシア、覚悟を決めたほうがいいな」


 ウィルはため息を一つつき、間違っていることを祈りながらその予想を口にした。


「恐らくだけど、終わりなんてない。ある程度数が絞れるまで走り続けるんだと思う。耐久力試験だ」


 それがウィルが考える、最悪中の最悪の予想だった。

 ただしそれは、肉体的耐久力を測る試験ではない。それも試験の側面の一つではあるが、これは心の強さの耐久試験と見るべきだろう。


 終わりがわからないという事実は心を疲弊させる。終わりが見えるからこそ気力は沸きやすく、速度や体力の配分もできる。それができないというだけで、かかる負荷は増大する。


 だが、それだけならばまだいい。

 地上組はともかくとして、先の見えない迷宮をひたすらに歩き続ける猟兵にとって終わりが見えないことは日常である。苦しくはあれど、慣れているのだ。心を無に、一歩を踏み出すことにだけ腐心し雑念を殺す。そうすれば先が見えないという事実は薄れ、心の摩耗を減らすことができるわけだ。周囲の警戒こそ必要であれ、安定した速度で歩き続けるだけならばそれでよい。


 だがこの試験ではそれは許されない。ディアンという猟犬が安定した速度などという状況を許さないからだ。


 試験だから一気に追い抜くなんて真似はしないだろう。

 心が折れたやつだけ追い抜き、それ以外は揺さぶるだけに留め、時間をかけてじわじわと心を折りに来るはずだ。


「覚悟を決めよう。心が折れたらああなるぞ」


 ちょうどディアンを追い抜こうとした地上組の二人が地面にへたり込むところだった。


 猟兵たちはまだ余力を残していたため走り続けられているが、本当に一か八かで追いかけた二人は体力のほとんどを使ったのだろう。だがそれでもまだ体力が尽きたというわけではないし、走ろうと思えば走れたはずだ。


 彼らがへたり込んだ理由は体の限界ではない。

 追い抜けないという事実と、これからどれだけ走ればいいのかという不安、そして自分の少ない体力という現状に心の限界を迎えたのである。


 二人の反応はそれぞれだ。

 一人は距離が離れていく猟兵たちの背に手を伸ばし、意味もなく何度も虚空を掴み悲壮な表情を浮かべ。一人は地面につっぷし無様に喚き、誰に向けたのかもわからない罵倒を繰り返している。


 どちらにしても、まともな精神状態でないのは明らかだった。

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