救助隊入隊試験その1
「アリシア?」
「こ、こんにちわ……き、昨日ぶりだね」
ウィルの驚きにどこか引き気味で返すのは、昨日町中で出会った少女、アリシアだった。
しかし驚くべきは再会した場所である。
いまウィルがいるのは迷宮救助隊の敷地内にある広場――救助隊入隊試験の試験会場だ。
周囲には百人近い男たちが集まっている。全員が救助隊採用試験の受験者で、不自然な自然が広がる迷宮内での仕事とあって、肉体的にも精神的にも鍛えられた人間が多い。中には明らかに迷宮特有の空気を発する者もいた。たぶんあれは猟兵か、元猟兵だろう。それほど
下層を目指すメルロイたちと比べれば質が落ちるが、それでも猟兵は猟兵だ。実際に迷宮の中で過ごした経験を持つ彼らは受験者の中でも頭一つ二つは抜けている。
だが、他の受験者も負けてはいない。
迷宮に潜ったことがない地上組とでも言えばいいか。迷宮に潜った者特有の覚悟はないにしても荒くれ者が揃い、鍛えた肉体は侮れない。
つまり、ここはそういう場所なのだ。
アリシアは十人に聞けば十人が可愛らしいと評するような細身の少女であって、こんな場所にいるような人間ではない。明らかに場違い、しかし本人は平然としているではないか。
「なんでここに……っていうのは馬鹿な質問か。よく考えてみれば、ここを教えてくれたのはアリシアだもんな。試験を受けるつもりだったからあの紙を持ってたのか」
「う、うん、そうだよ。昨日は言う暇なかったけどね」
まだ残っていた照れを振り払いながら、アリシアは明るく笑った。
なんにしろ、ウィルにとっては願ったり叶ったりだ。
「改めて、お礼を言いたかったんだ。昨日は少し……いや、かなりへこんでてね。アリシアのおかげで前を向くことができた。本当にありがとう」
アリシアの目を真正面から見据えて一息に言い、頭を下げる。それはウィルの偽らざる本心であり、感謝の気持ちだ。
馬鹿正直、実直、生真面目、そんな言葉がウィルの頭の上に浮かぶのを幻視し、アリシアは一瞬驚いたように固まり、すぐに破顔した。
「困ってたら助けるのが当然だよ。果実水一杯で助けられたんなら安いもんだよね!」
なるほど、素直で優しい人間なのだろう。
だが、どう考えても迷宮に潜る人間としては甘っちょろい。
それだけではなく、肉体的にも周囲の受験者と比較して一段落ちる。技術的な良し悪しは分からないが、男女の性差からくる肉体強度の差はどうにもならない。アリシアが悪いわけではないが、それでもこの場に、いやもっと言ってしまえば猟兵に女性が少ない理由の大部分がそれである。
ましてや女性には月に一度の精神/体調への負荷が訪れる。過酷な迷宮でその期間をどう過ごすのか。迷宮中層ですら往復で一カ月半はかかる。数少ない女性猟兵のほとんど迷宮上層を狩場にしているのも、多くがそれが理由だったりする。
不利になる期間があるのであれば、その期間を地上で過ごせるように時間がかかる下へ行かなければよい、というわけだ。
例外はそれを加味した上で有用とされるほどの才能の持ち主が大手の猟兵団に囲われるくらいだろうか。そう、例えばウィルの姉、ファティナのように。
それに比べてウィルはといえば、それほど劣っているとは思わない。むしろかなり上位にいると自己分析していた。
メルロイたちのような迷宮下層を目指す猟兵団の中では細身だが、彼らの歩みに遅れず迷宮下層までたどり着いたウィルが弱いわけがない。五年間迷宮下層を目指して潜り続けたウィルが劣っていると見えるのは、メルロイのような一流どころと比較した場合の話である。
年齢的な成熟度の問題で肉体的強度こそ一歩遅れを取るが、経験という意味では誰にも負けていないという自負があった。
お礼のために彼女を助けるか?
検討に値するかと思案したが、試験の最終合格者は一名のみである。となれば、どうせ自分が勝つのだ。手助けしてもそれは礼にはならない。
勝ちを譲る?
馬鹿な、そんなことは有り得ない。
もちろん広大な迷宮を網羅するために救助隊は複数あり、待てば必ずどこかで募集はかかるだろう。しかしそれを待つということは、姉の救出を遅らせるということだ。ウィルが恩を返すことに律儀であることは間違いないが、それには姉を助ける邪魔にならない限りという前置きがつく。
となれば、お礼は別の形にすべきだろう。
どうしようかと思索にふけっていると、ざわついていた受験者たちの声が静まり始めた。
どうやら試験が始まるらしい。
男が一人、広場の前方に設置された台に上がっていた。
年の頃は三十の後半といったところか。緋色の短く刈り上げた髪と右目の眼帯、そして遠目にもわかるほど盛り上がった筋肉が印象的な男だ。何事かとざわつく一同の視線を集めながら、まったく緊張した様子も見せず、耳をほじり指先の垢を吹き飛ばす姿は図太いの一言だった。
しかし、不思議と憎めない愛嬌を持つ男だった。
男はざわめきが一段落したのを見計らい、わざとらしく呆れたように頭を掻いてみせる。
「はい、みんなが静かになるまで三分かかりました……なんて冗談で場を和ませるつもりはねぇ。お前ら、ちっと緊張感がなさすぎるぜ。こりゃ、合格者無しもありえるな」
明かな挑発に、ざわり、と怒りの波が生まれる。
特に猟兵らしき男たちからはそれが顕著に感じられた。猟兵など危険の中で生きている誇りを大事にしている生き物だ。縄張りを荒らされた獣が怒り狂うように、誇りを傷つけられた彼らが苛立つのは当然だろう。
だが男は猟兵たちの威圧をそよ風も同然と受け止め、鼻で笑った。
「雑魚ほど自分をでかく見せる。違うってんなら行動で見せろや。なぁ?」
男の目がすうと冷たくなると同時、気配が変わった。
地上組の男たちには異様な空気にしか感じられないだろうが、猟兵たちであればすぐに理解できる。迷宮という極地で修羅場を超えてきた者特有の威圧だ。それも、自分たちなどより遥かに多くの修羅場を超えてきたと悟るだけの強烈さだった。
これで理解できない馬鹿ならば不要と暗に告げるその瞳は、呑み込まれそうな深みを有していた。
役者が違う。それがウィルの偽らざる本心だ。
驚くことに、メルロイと比較しても上だろう。
「静かになったところで挨拶だ。俺の名前はカウフマン、今回新人募集をかけてる救助隊の隊長だが……ま、俺のことはいい。一次試験で受かったやつだけ覚えてくれや。他は二度と会うこともないだろうからな」
あまりと言えばあまりな発言だが、気圧された受験者たちに反発する者はいなかった。
「で、だな。お前らの後ろにいるディアンが今回の試験官だ。お前らが覚えなきゃならんのは俺の名前じゃなく、いまからそいつの尻を追っかけなきゃならんってことだな」
確かに集団の後方に身軽な恰好をした狼の獣人がいた。
雰囲気はある。カウフマンより数段、そしてメルロイよりは一段劣り、ウィルより数段上というところだろうか。
ディアンと呼ばれた狼の獣人は視線が十分に集まると、特に何かを言うでもなくおもむろに走り出した。
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