立ち上がる力と、運命の出会い
ウィルはまとまらない頭を抱え、街を歩いていた。
宿にいても鬱屈とするだけだ。
ともすれば込み上げる怒りと自己嫌悪に突き動かされて窓から飛び出しかねない自分を抑え、それでも堪えきれず堰を切ったように暴れそうになる。
そしてふいに訪れる無にも似た小康状態で己がなぜこれほど無力なのかと自問し、再び衝動が激発する。
そんな毒にしかならない循環を断ち切ろうと、空気を吸いに外に出てみたが何も変わらなかった。心を蝕む自己嫌悪と自罰の感情が己を傷つける。鈍らの刃でつけられたかのように汚くつ裂かれた傷はじゅくじゅくと膿み、益体もない思考を生みだし続けるのだ。
明確な解決策など何もない。姉を助けたいと願ったところで、結局のところたった一つの事実に全ての道が閉ざされてしまうのである。
猟兵免許、永久剥奪。
それはつまり、ウィルが迷宮に入るための資格を失ったということだ。
姉が死んだのは迷宮下層。迷宮蟲によってさらに下へと運ばれているだろう。であれば、助けるためには迷宮へ潜らねば始まらない。だというのに、現在の自分はどうか。
猟兵免許を剥奪され、迷宮への道は閉ざされた。
迷宮への入り口を守るのは国軍の精鋭と、幾重にも重なる鉄の門である。
突破など不可能、それが理解できるだけのウィルの思考が堂々巡りを繰り返すのも当然のことだ。
何か方策はないかと頭を捻り、何もないと理解して己を責める、責め疲れれば再び足掻くように何かできることをと願い考える。その繰り返しの末に注意力も散漫となっていた。
どれくらいぼうっとしていたかといえば、誰かとぶつかり盛大に転がっても、一瞬何が起きたかわかないほどだった。
「ちょ、ちょっと、大丈夫? そんなに強くぶつかったつもりないんだけど……ちょっと君?」
俺は転んだのか?
鍛えた体はそれしきで痛みを訴えたりはしない。茫洋と声のする方向を見上げると、怪訝な顔をした少女が見えた。
薄緑色の髪をした少女だった。
可愛らしく活発で、笑顔を浮かべれば誰もがつられて笑みを浮かべるだろう太陽のような性質の少女である。
しかしその顔に浮かんでいるはずの明るい笑顔は鳴りを潜め、怪訝から心配へと変わり、
「ねぇ、本当に大丈夫? 私の声、聞こえてる?」
ああ、自分が話しかけられているのだとようやく理解する。
そうして、浮かんだのは苛立ちだった。
「聞こえてる……放っといてくれ」
「……ふぅん?」
きっと少女は優しく、心根の優しい人間なのだろう。
だがそれがいまのウィルに何の意味があるのか。むしろ無力で役立たずな自分が空しくなるだけだ。消えてくれ、本心からそう思っていた。
願いが叶ったか、覗き込む少女の顔が視界から消え、足早に走り去る音が耳朶を打つ。
これでいい、そう諦念の中で息を吐く。
立ち上がる気力が湧かず、周囲を過ぎ去る人々の足音を聞きながら道の真ん中に座り込んでいた。邪魔になっているんだろうなと頭の片隅で考えるが、通れぬというほどでもなし。気力が湧くまでこうさせていてもらおうと思っていたウィルだったが、そうは問屋が卸さなかった。
腕の下に何かが差し込まれたかと思ったら、思い切り上に引っ張り上げられたのだ。
何事か目を白黒させているウィルを、先ほどの少女が脇に頭を入れて立ち上がらせていた。華奢な見た目のわりに力があるのか、あるいはウィルに抵抗の意志がないだけか、ずるずると道を外れて木陰に連れて行かれてしまう。
「もう、重い……ちょっとくらい自分で歩いて、よっ!」
木陰はひんやりと涼しかった。
夜のうちに空気を吸いに出たはずが、気づけば太陽が頂点に上っていたらしい。何時間も歩き続けたのだと意識をすれば、足が棒のように重く、節々に痛みを感じた。
馬鹿みたいだ、そう自嘲するウィルの眼前に、少女の小さな手が付き出される。一瞬殴られるのかと思ったが、握られている使い捨ての素焼きの杯を見てそうじゃないらしいと気づく。
恐る恐る受け取ると、思ったよりもずっと冷たかった。
「飲んで。何があったかわかんないけど、とりあえずひどい顔色だよ。飲んで、落ち着いて、それから話そう。それまでは無理しなくていいからね」
なんともお優しいことだ。
こんな生きる価値もない、馬鹿みたいな俺を気遣ってくれるなんて……そう言いかけて、じろりと睨む少女の気迫に言葉を飲み込む。
溜息を一つ。
「……放っておいてくれ」
「残念。私、人助けが趣味なの……っていうのは冗談だけどね。全部諦めたみたいな顔だ。そういうの、駄目だよ」
突き放しても少女はまったく気にする様子がなかった。
「別にいいわ。せっかく買って来たんだから、とりあえず飲んで」
なぜ諦めない?
困惑しながらも飲んでと目で促され、渋々口をつけた。
屋台でよく売っている果汁を水で薄めたものだ。冷たい井戸水で薄めているから、初夏の暑い季節には人気がある。大陸の南のほうに比べれば比較的過ごしやすいが、それでも毎年暑さにやられる人間が出るほどには暑い。
気づいていなかったが、熱い日差しの中を長く歩いたせいで随分と体力を奪われていたらしい。干乾びる寸前だった喉が潤い、頭にかかっていた靄も幾分か薄れたような気がした。
「私はアリシア。
「ウィル・ミグニッド。ただの猟兵……いや、免許を取られたから、ただの迷宮に入りたくても入れない男、かな」
自分がなぜ答えているのか、自分でもわからない。
迫力に押されて、そう、たぶんそれが一番近いだろうか。理由は判然としないながらも、ウィルは少女の言葉に何となく答え続けた。
「なるほど。それで、ウィルはいまにも死にそうだね。迷宮に入りたくても入れないっていうのが関係してるのかな?」
「……まあ、そんなところだ。全部諦めるしかなくなったからさ」
ウィルが経験したことがない距離の詰め方で、聞きづらい質問をずばりと聞いて来る。とはいえ真面目に答える必要もなく、適当に誤魔化したつもりだった。
あとは何を言われても適当に流しつづければ、興味を無くして去って行くだろう。人好きのする少女はその優しさで声をかけてくれたのだろうが、応える義務などないのだ。
諦念と達観ゆえにそう考えたウィルだが、アリシアが発した次の言葉はさすがに無視することができなかった。
「素直に諦めるんだ?」
素直に、だと?
まるで己が何もせず唯々諾々と全てを受け入れるように?
ふざけるなよ。
言葉にならない怒りが、己の内から湧き上がる。
諦めるしかないのだ、それは理解している。しかしそんな理性の蓋を吹き飛ばすほどに、ウィルのこれまでの努力が、献身が怒りをぐらぐらと沸き立たせるのだ。
「諦めるしかないんだ。元々、無理だったんだ。みんなも無理だって言っていた。みんながもう終わったって決めつけたんだ」
そう、決めつけるんだ。そしてそれは、決して間違っていない。ウィルとて馬鹿ではないのだ。全部その通りだと頭では理解しているのだ。命の期限は確かに尽きた、尽きてしまったのだから。
だが、そうだとして抗った己のこれまでの行動まで捨て去るなどできるはずがない。
「必死にやった。やれることは全てだ。これ以上俺に何ができた? 馬鹿みたいに足掻いて走り回って、それでもどうにもならない。迷宮に入れないんだ……入れないんだよ!!」
気づくと、声に力がこもっていた。
出会ったばかりでもう二度と会うこともないアリシア相手だからか、もうどうでもいいと自暴自棄になっていたのもあるかもしれない。
アリシアはそんなウィルをじっと見つめるだけで返事はない。
そりゃあ急に感情的になって怒鳴られても困る。望むところではあるが、これでアリシアも呆れてどこかに行くだろう、そう思ったのが、アリシアは立ち上がることもなくウィルをじっと見つめ続ける。さしものウィルもアリシアが呆れてなどおらず、何かを考え込んでいるだけだと気づいた。
「うーん……迷宮ね。駄目って言っても無駄な気がするな」
何かを決心したように頷くと、アリシアは懐から取り出した紙をウィルに手渡した。
「それ、あげる」
「…………?」
意味が分からないまま紙を受け取り、視線を落とす。
安っぽい紙に書かれた妙に達筆な文字と、下手くそな絵。だが何よりも、そこに書かれていた言葉がウィルの目を捕えて離さない。
『迷宮救助隊、新隊員募集!』
迷宮救助隊。
言葉通り、迷宮で救助活動を行う組織だ。
危険極まりない不自然な自然が広がる迷宮は、人類聖教にとっての聖女信仰の聖地であると同時に、莫大な燃料資源の採掘現場だ。当然のようにそこに足を踏み入れる猟兵たちの数は増え、玉石混合の人材がゆえに無為に命を落とす者も後を絶たない。
しかし、猟兵組合にとっては彼らの命がどれだけ散ろうと関係がない。なにせ自由と自己責任が彼らの望みであるのだから、そこで命をどぶに捨てるのもまた彼らの自由である。迷宮から得られる資源は即ち猟兵組合にとって、そしてその手綱を握る人類聖教にとって巨大な利権であり、力の源泉なのだ。金に目がくらみどこからでも湧いて来る猟兵の命など、その利権と秤にかけるべくもない。
とはいえ、それを良しとしない風潮もまたあった。
それが人類聖教の意志や利権から離れ、各国首脳の肝いりで立ち上げられた迷宮救助隊だ。
彼らは無為に命を散らす猟兵を少しでも救うという想いから立ち上げられ、各地の迷宮に支部を持っている。
各国の善意で賄える運営費は少なく、それを補填するために救助した猟兵に多額の料金を請求することから猟兵受けは悪い。
しかしそれを踏まえても、自己責任を盾に怪我をした仲間すら置いて行く猟兵たちの無慈悲なる世界にあって、命がけで助けに来てくれる彼らの存在は最後の砦だ。
そして、何よりも。
彼らは迷宮に潜る権限を持つのだ。
「……盲点だった」
なぜこんな重要なことを忘れていたのか、さっきまで苦しんでいた自分が滑稽に思えてしまう。
猟兵免許の再取得は不可能。なにせ永久剥奪だ。
しかし、猟兵の他にも迷宮に潜れる職業がたった一つだけあるじゃないかと失笑する。
これしかない、ありえない。
これが最後の手段だ。
そう確信すれば、世界を覆っていた暗雲が割広げられたかのように世界が色づいていくではないか。
可能性とはかくも重要なもので、落ち込んでいた気分など嘘のように活力が湧いて来る。
じっと自分を見つめるアリシアに、ウィルは深い感謝を覚えた。なんとかこの気持ちを伝えるべきだろう。なにせ死にかけていた自分を救ってくれた恩人なのだ。
ならばまずは感謝の言葉だろう。
ウィルは勢いに任せてアリシアの両手を握り、正面から彼女の瞳を見つめた。
「ありがとう。アリシアだったね。君のおかげだ」
「え、あ……ど、どういたしまして?」
握られた手が気恥ずかしいのか、顔を赤くしながら手を引くアリシアだったが、ウィルは感謝を伝えるためにむしろ力を込めて彼女の手を握りしめた。
「え、えっと……?」
「感謝と、お礼をしたい。なにがいい?」
言葉に詰まるアリシアに、ウィルはぐいと近づく。
姉を救うために全てを犠牲にする覚悟があったとしても、それでも目的の邪魔にならない範囲であるなら恩に報いるべきだ。目には目を、歯には歯を。ならば死にかけの自分を救ってくれた恩に報いるにはどれだけのことをすればよいのか。
可能な限り善処しよう。
そう決意して勢い込むウィルは、距離感という概念がいずこかへと吹き飛んでいた。ついでに言えば、年頃の少女の微妙な心の動きなは毛頭念頭にない。多感な時期の五年を粗暴な中年男と迷宮の中で費やした弊害は大きい。
みるみる真っ赤になっていくアリシアの顔色を怪訝に見つめ、ああ、彼女は果実水を飲んでいなかったな。夏の熱にやられたかと心配する。
「俺が言えた義理じゃないが、水分補給は大事だぞ」
「そういうんじゃないよ! いや、もうそれでいいけどね!?」
恥ずかしさを自認しているアリシアにしてみれば驚くほどの察しの悪さだが、逆に乙女心が露見するより幾分マシというものである。
「とりあえず手を放して……お礼とかいいから、またね!」
強引にぶんぶんと手を振られては、さすがにウィルもそれ以上手を握っているわけにもいかない。
解放されたアリシアは、気恥ずかしさもあってか挨拶もそこそこに踵を返して走り出した。
「……お礼はいらないのか?」
そうして残された鈍感が一人。
耳まで真っ赤になっていたアリシアの後ろ姿に、水分補給はしっかりなと声をかける程度には鈍感な少年は、それでももう一回出会う機会があればきちんとお礼をしようと心に決めた。
思考の狭窄によって余裕がなくなっていたが、元来ウィルは生真面目な少年だった。
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