勝利への投資
翌朝、ウィルとアリシアはまだ誰も起きていない時間に合流して隊舎を抜け出した。
直前になって勝手に出ていいか迷ったが、
不寝番の隊員はラーミアルフィと名乗る大柄な女性だ。
亜麻色の長い髪と同色の瞳は快活そのもので、女性に対して適切な表現かはともかく、豪快という言葉が似あう姉御肌の人物だ。
そして何より彼女を印象づけるのは、背中から生えている一対の翼だろう。室内で邪魔にならないよう、体に巻き付けるように折り畳まれていた。
純白というほど白くはないが、陽光の下ではさぞ綺麗に見えるだろう。彼女は大陸北東の高地に居を構えるカプーノ人なのだろう。獣人より居住地が近いこともあり、ミリヤでも時折見かけることができた。
「へぇ、あんたらが噂の受験者か。話は聞いてるよ!」
「う、噂?」
背中をばんばんと叩きながらのラーミアルフィの言葉に、ウィルは思わずせき込む。アリシアとはまた違う方向で距離感の詰め方が凄まじい。
「そうだよ。跳ねっかえりの大ぼら吹きと、かわいこちゃんってさ」
「大ぼら吹き」
「かわいこちゃん」
二人とも目が点である。
特にかわいこちゃんなどという言葉は最近ではほとんど聞かず、カウフマンのおっさん具合が浮き彫りになってしまった。
「ま、親父は皮肉屋だからね。そういう風にしか言えないのさ。むしろ、他の連中に関しては何も言ってないよ。名前が出るだけ評価されてるさね」
「そういうものですか……?」
「あんまり納得いかないです」
不服なのを隠そうともしない二人に、ラーミアルフィは口を大きく開けて笑う。下手をすると粗雑に見える行動でも、彼女がやるとしっくり来るのはその人好きのする雰囲気のおかげだろうか。
そこでウィルはふと疑問を覚えた。
「……親父、ですか?」
「そうだよ? 私はカウフマンの娘だからね」
あっけらかんとした返答にウィルは言葉に詰まり、アリシアはなるほどと即答する。
「あ、養女なんですね?」
失礼極まりない発言だが、ラーミアルフィは怒るでもなく、むしろ堪えきれず盛大に吹き出した。
「残念ながら、正真正銘血の繋がった実子さね。まあね? 私のこの豊満な魅力と美しさがあのむさ苦しいおっさんと結びつかないってのはわかるけどもね?」
「いま親子だなって確信しました」
「ん、そりゃどういう意味だい。全然似てないだろう?」
喉元まで出かかった「そっくりです」という言葉はかろうじて飲み込む。そこで違和感に気付き、ラーミアルフィの背を見る。そこには確かに折り畳まれた翼があったが、ウィルの記憶が間違っていなければカウフマンには翼はなかったはずだ。
「あー……言わんとすることはわかるよ。親父の翼は、迷宮でね。よくある話でしょ」
「すいません、聞きずらいことを……」
「別にいいよ。なんならあの目ん玉もそうだしさ」
あっはっはっ、と豪快に笑い飛ばすが、ウィルとアリシアは愛想笑いを浮かべるしかなかった。
どうやらカウフマンの翼と右目は、迷宮で失ったものらしい。失ってすぐなら再生薬で回復もできるが、時間が経てば完全には再生しない。地上に戻る前に死んで卵胞で帰るという剛の者もなくはないが、それは多少なりと石晶獣へ近づくという事だ。
それを良しとせず、傷を受け入れ猟兵を辞めるものは少なくない。カウフマンも、恐らくはそういう考え方なのだろう。
「で、親子だなって確信したのはどういう訳だい?」
話が変わったと思ったが、忘れられていなかった。二人は必死に誤魔化しながら、這う這うの体で隊舎を脱出することになった。
それから二人で目的地へと向かう。
まだ朝日が昇ってすぐということもあり、朝市は忙しく準備の真っ最中だ。朝市を抜けた職人街はすでに働き始めているらしく、忙しく立ち働く作業音が聞こえていた。
かなりの喧噪だが、どこか規則的な作業音は不快ではない。ウィルにとって、それらの音は父親の作業場から聞こえてきていた音に通じるものがあるせいかもしれない。どこか懐かしく、好ましい空気だった。
とはいえそれはウィルの感覚の話で、一般的な価値観でいえば騒音でしかなく、アリシアに同意を求めるのは無理だろう。しかし、アリシアは満更でもない様子で周囲を見回していた。
「楽しそうだな?」
「こんな朝から出歩いたことがないからね。昼間と違って通りに人がいないのに、物凄く気配を感じるっていうか。生きてるぞ、やってやるぞって感じ……うん、結構好きかも」
「へぇ、そっか」
素っ気ない返事だが、滲む喜色は隠せない。
姉が死んでからこちら、楽しいと思う瞬間など一度もなかった。心が死んでいたというのが正しい。しかしアリシアとの出会いは、妙に心を沸き立たせる。会ってからこちら、どうも落ち込んでいた気分が沸き立つような感覚を味わっている。
しかし、普通と違う感情というのは手綱を握るのが難しい。
ウィルがいつもは気を付けている他者との距離感を見誤ったのは、恐らくはその高揚感に流されたせいだった。
「そういえば、アリシアはこの辺りの出身じゃないんだな」
「え? えっと、やっぱりわかる?」
「この辺の出身なら家があるだろ。そしたら宿舎を借りる意味もないだろうからさ。女の子が一人で家を離れるって、すごく珍しいよな」
まるで自分の推理を自慢するように、意気揚々と理由を説明する。冷静になれば馬鹿げた行為だが、その時のウィルは分かりやすく浮ついていたのだ。
「あー……うん、珍しい、かな」
歯切れの悪い返答だ。
さすがに、そこで無遠慮に踏み込み過ぎだと気づいた。
一瞬で後悔の念が押し寄せ、ウィルは道の真ん中であることも気にせず、すぐに頭を下げた。
「ごめん、個人的なことを聞き過ぎた」
「い、いいよ。そんなに気にしてないって!」
慌てたアリシアはぱたぱたと両手を振り、謝罪を受け入れる。元々、絶対に隠したいという話でもなかった。それに、よく考えてみれば自分ばかり一方的にウィルの過去を知っているのは不公平な気がする。
アリシアもまた、ウィルに負けず劣らず生真面目だった。
「あんまり面白い話じゃないけど、聞いてくれる?」
「……無理しない範囲で」
自分が無理強いしていないかと、恐る恐る念押しするウィルに苦笑する。やはり話すべきだ、アリシアはそう思った。
「すごーく簡単に言えば、自分探しの旅で、家出中って感じ」
「家出?」
アリシアは困ったように指先で頬を掻く。女性の家出と言えば、ウィルのような反応は当然だった。
「私の出身はハーシェドって国でね。実は結構上のほう……うん、はっきり言っちゃうと貴族なんだよね」
「いいところの出なんだろうなとは思ってたけど、貴族か」
アリシアの立ち振る舞いの端々から確かな教育の片鱗を感じていたし、貴族と言われてもそれほど驚きはしない。
「そうなの。まあともかく、ハーシェドの貴族って良くも悪くも古い考えなんだ。女は他の貴族に嫁いで子供を作るのが当然、って感じでね」
「まあ、貴族だからな」
「そう、当然だよね。でも、私はそれが嫌だったってわけ」
なるほど、と納得したウィルだが、気になる点もあった。
踏み込んでいいものか一瞬逡巡し、今を逃せばもう踏み込める機会もないだろうと判断する。
「貴族なら、あれだろう。跡継ぎの問題があるんじゃないか」
「平気だよ。弟がいるし」
弟がいる、そう言った時のアリシアの表情がわずかに曇ったのを見逃さなかったのは、さきほどまでの高揚感が消え去り、頭が冷えていたおかげだ。
これ以上はまずいか。そう判断して会話を切り上げたところで、ちょうど良く目的の店が見えてくる。
「あの店だ」
「どれ? あ、晶石屋さんかな?」
店はすでに開いていた。
高額な晶石を扱う店だけに、朝市のような露店や屋台という簡素なものではなく、しっかりとした建物だ。入り口には見張り番の大男があくびをしている。
アリシアは晶石屋に入ったことがない。おっかなびっくりウィルに連れられて中に入ると、店内には商品棚というものはなく、入ってすぐに金網で仕切られた窓口があった。窓口には小さな受け渡し口があり、そこから商品をやり取りするらしい。
「へい、いらっしゃい。御用で?」
「ああ。中層の晶石を欲しい」
見たことのない雰囲気に緊張しているアリシアだが、ウィルは慣れた様子で店主と商談を始める。その様子に感心していたアリシアだったが、次の瞬間、驚きに目を剥いた。
机の上に大量の金貨が転がり出たのだ。貴族の娘であるアリシアですもちょっと見た記憶がない量である。
「ちょ、ちょっとウィル!?」
「これで買えるだけ。まとめ買いだから少し割り引いてくれよ」
「こりゃ商売上手ですな、旦那。とはいえあっしも飯の種なんでそう無理はできねぇですが……そうですな、今日の相場ですとこれくらい。そこに割引分で上乗せと――」
金貨が回収され、木製の平皿が差し出される。皿には半透明の晶石が小山を作っていたが、受取口からひょいと現れた手が、追加の晶石を一粒、小山の上に置いた。
上乗せの晶石は他のものよりも色合いが濃いが、ウィルは満足して頷いた。
「それでいい。商談成立だな」
金貨が入っていた袋に晶石を詰めれば、金貨よりも嵩張るせいで革袋はぱんぱんだ。苦労して口を閉め、一安心する。
「え、ウィル、ちょっと? え、そんなにお金持ちだったの!?」
「迷宮に潜って稼いだお金だよ。別に金持ちじゃないぞ。あれで全財産だ」
「全財産!?」
あれだけのお金を持っていたというのも驚きだが、全財産を使い果たしたという事実にも衝撃を受ける。
ウィルはわけがわからないという顔をしているアリシアの手を取り、晶石の入った革袋をぽんと乗せた。
「なにこれ?」
「中層の晶石」
そうではない、そうだけどそうではないのだ、とアリシアは顔面を蒼白にさせる。
「な、なんで私に渡すの?」
「俺は装具の扱いに慣れてるから、これはアリシアの練習用だ」
「すごーく失礼なのを承知で言うんだけど、ウィルって馬鹿なの?」
直球すぎるが、多くの人間は同じ反応をするだろう。
それだけウィルの行動は思い切りが良すぎた。
「約束しただろう。俺達は手を組んだ。二人で勝つ……そのための先行投資だよ。むしろ、これでも思ったより少ない。アリシアの頑張り次第だが、勝てるかはまだ微妙だ」
ため息を一つ。
何を言っても聞かなそうな、よく言えば腹の決まったウィルに呆れ、同時にその言葉の意味を理解して息を呑む。
「……そんなに差があるの?」
「正直に言えばそうだな」
誤魔化しのない言葉に、ようやくアリシアも現状を理解した。いや、させられた。手を組むという言葉の重みと、ウィルの覚悟を見せつけられたのだ。
ウィルの言葉通りならば、これだけウィルが身銭を切って覚悟を示したとて勝てるかは微妙。アリシアが努力をすることなど、そもそも初めから当然として計算されていて、である。
ならば、アリシアもまた覚悟を決めるしかない。
「わかった。ちょっと待ってて」
くるりと振り返り、ごそごそと胸元をまさぐり出す。
気になったウィルが覗き込もうとし、見るなと怒られた。当然である。なにせ、アリシアは服の裏側に縫い付けた小袋を取り出そうとしていたのだ。覗き込めば違うものも見える。
ややあって振り返ったアリシアの手には、大粒の赤い宝石が握られていた。
「これ、もしもの時の備えで家から持ち出したんだ。正真正銘、私の全財産だよ」
ウィルが止める間もなく宝石は店主の手に渡り、素早く鑑定されて晶石に変わった。ウィルが作った山よりは一回り小さいが、それでもとんでもない量だ。
「……いいのか?」
「いいの。ウィルが覚悟を決めてるのに、相棒の私が覚悟を決めないのはおかしいでしょう」
「それは確かに……でも、いや、相棒か」
耳馴染のない言葉だが、なぜか悪い気はしなかった。
さきほどとはまた違った意味で高揚してくる感覚を覚えながら、宿舎へと向かう。
晶石が詰まった革袋を大事に抱えたアリシアもまた、どこか楽しげだった。
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