試練を超えて

 次はウィルの番だ。


 天井と前方の壁には岩壁があり、赤い的が幾つもある。試験用に割り当てられた枠にはすでに何本も鉄針が突き刺さっているのが見えた。


 アリシアは現状一位で、二位の猟兵との差はほんのわずかだ。アリシアより内側であれば二人で合格できる。だが、狙うならばど真ん中、鉄針が一つも刺さっていない第一円だろう。


 所定の位置に立ち、大きく息を吸う。


 大丈夫、問題ない。 

 緊張はないが、弛緩しすぎているわけでもない。迷宮中層の緊張を強いられる環境に比べれば、この程度何ほどのこともない。

 

 訓練ではしっかりと的の中心を射抜くことができていた。体に馴染ませるには少し不安があり、アリシア用に用意した晶石を数個譲ってもらったおかげもあって、不安要素も払拭できている。


 三射しかない?

 逆だ。三射もある。


 一度の失敗で死ぬ可能性がある迷宮と比べてなんとお優しいことか。二度の失敗を許容されるという優しさに笑ってしまいそうだ。


 射出器を見る。

 昨夜入念に整備をした装具には、誰の射出器か識別できるように結び付けられた青い紐が風にたなびいていた。


 全て問題ない。やれることは全てやったと自信を持って言える。それは絶対の自信と、確信だった。


 猟兵組がわあわあと何か騒いでいるが、集中を増すごとにその雑音も遠のいていった。


「行きます!」


 片手をあげ宣言すれば試験開始だ。

 宣言と同時にディアンが砂時計をひっくり返す。あの砂が落ち切るまでの間に三射を放たねばならない。時間外の射撃は無効だが、射出器の故障に対処するために余裕を持たせてあるだけで、整備が万全であれば時間切れは実質気にしなくていい。


 ウィルは素早さよりも丁寧さを意識し、射出器に取りついた。


 三脚を広げ、付属の金槌で地面に楔を打つ。固定に問題なし。


「発射準備、良し!」


 側面の装具機構に晶石を装填する。

 ぶぅんという低い起動音が鳴ると、取っ手をくるくると回して角度を調整する。内部の摩耗によって鉄針のぶれ方は変わるが、訓練でその癖も把握している。ぴたりと合わせた中心から、わずかに左。的の距離は変わらないから、この角度の調整で鉄針は的の中心を射抜くはずだ。


「照準、良し。最終確認、周囲の安全、良し!」


 周囲を見回し、当たり前だが誰も近くにいないことを確認。太ももの収納具から鉄針を取り出すと、射出器の開口部に滑り込ませた。


「発射、発射、発射っ!」


 開口部から顔を背け、両耳を覆って炸裂音を防げばそれで終了だ。


 完璧を確信し、鉄針の行方を追う。

 ディアンの試射では鉄針の尻にロープが引っ掛けられていたが、試験ではロープはなく、鉄針を発射するだけだ。的のどこに刺さっているか、的をしっかりと探さないと見つけづらい。


 だがウィルは自分の射撃が完璧だと確信しているから、見るべきは同心円の中心だけでいい、そのはずだった。


「……ない?」


 そこに刺さっているはずの鉄針がなかった。


「第一射、第三円!」


 愕然とするウィルだったが、訓練場に響くディアンの言葉に我に返った。


 第三だって?

 わけがわからず第三円を探せば、なるほど確かにさきほどまで刺さっていなかった鉄針が一本増えている。それがウィルの放った鉄針なのだろう。


 だが、なぜそこにあるのかが理解できない。


 予測と現実の乖離はウィルの頭を掻き回し、試験中だというのに混乱を誘った。中心円を捕えるという予測は希望的観測などではなく、積み重ねた努力と経験から来る極めて確度の高いものなのだ。


 第一円の中心から少しずれるならばまだ理解もできようが、第三円などとあり得るはずもない。ならば外的要因の可能性を検討するのが最も合理的。考えられるのは風だ。


「そう……そうだな。風か。確かにあり得る」


 風が吹いていた気はしなかったが、極度の集中で気づけなかった可能性はある。もっと言えば、的までは百歩ほどの距離があるから、向こうだけ風が吹いている、ということもあるだろう。


 訓練場の壁は天井と正面だけで、左右は開いている。風も吹き放題だ。


「二射目、行きます!」


 風が問題なら、それを計算に入れればいい。

 再び集中し、まずは体に触れる風の感覚を探る。まったく問題なし。そして訓練場の端に設置されている風読み用の旗を見る。こちらも問題なし。


 万全を確信して発射した二射目は、しかし再び第一円どころか第二円にも掠っていなかった。


「第二射、第四円!」


 むしろ悪化しているという事実が、混乱に拍車をかける。


 馬鹿な、あり得ない。

 心の叫びとは裏腹に、それは現実に発生していた。


 射出器に問題がある?

 あり得ない。整備は完璧に行った。

 ならば発射のやり方に問題が? 

 あり得ない。訓練では確かな結果を出していたし、今日の調子はいつもとまったく変わらない。緊張も気負いなければ、緩みもない。


 ならば風か。

 発射の瞬間、目を守るために顔を逸らす必要がある。その際に突風でも吹いたか。それが二度も続くという可能性を考えれば馬鹿げた考えだが、その時のウィルにはそれしか考えつかなかった。


 普段のウィルであれば問題はなかった。

 しかし、その時のウィルは二度の失敗と時間制限という制約によって、思考が混乱していた。往々にしてあることだが、外から見ればすぐにわかることでも、その事態に直面している人間は簡単なことでも気づかないものだ。


 視野の狭窄、それは誰しも逃れられない。

 むしろ己に自信があり、確信があればなおさらだ。


 アリシアがそれに気づいたのは、まさしく外から見ていたからだった。当初からあった、奇妙な違和感。そのせいで集中してウィルの応援ができていなかったのだが、それが功を奏した。


「何あれ……紐の場所が違う……?」


 使用者を識別するために巻かれた紐。結ぶ場所は自由だが、多くは三脚に巻く。ウィルもそうだ。射出器の操作は左側で行うから、右側に巻いたほうが視界に入らなくていい、ウィルはそう言って右の脚に紐を巻き付けていた。


 だが、その紐が左側にあるのだ。

 ここ数日の訓練で嫌でも理解したことだが、ウィルはこだわりが強い。一度決めたことを理由もなく覆さない。


 それが示すのは、ウィル以外の誰かが射出器に触った、という事実だ。


「ウィル!」


 アリシアの声に、ウィルが振り返る。

 試験中の助言は許されていない。アリシアができたのは、自分の番が終わり回収していた識別用の紐を、軽く持ち上げるだけだった。


 気づけ。祈りを込めて、ウィルを見つめる。

 交錯した視線の末に、願いは届いたか。


 その答えは、ウィルがすぐに射出器の固定を外したことで返された。


 三射射撃する試験で、固定を外す意味などない。

 つまり、ウィルも気づいたのだ。


「くそったれめ、そういうことか……っ!」


 人の装具に手を加えるなど想像もしていなかったウィルは、痛烈な舌打ちをしながら整備道具を地面に広げた。


紐の位置を変えた記憶などないのであれば、誰かが触ったということだ。わざわざ紐を結わえなおしただけということはあるまい。分解し、組み立てる際に三脚を取り違えた、そう考えるのが自然だ。


つまり射出器を分解し、何かをしたということだ。そんな状態では万全の射撃などできようはずもなし。分解し、原因を突き止めなければ結果は同じである。


 砂時計を見れば、時間はわずかしか残っていなかった。


 間に合うのか、ぎりぎりだ。

 いつものように丁寧に一つ一つ確認する時間はなかった。多少雑でもいい、素早く固定された部品を外し、地面に並べる。単純な機構であることが唯一の救いだ。


 装具機構は分解しないと割り切る。

 恐らくこれをやったのは猟兵組で、彼らは技師ではない。装具機構を破壊することはできても、一見して問題がないが、わずかに狙いがずれるようになど調整はできないという判断だ。違っていたら終わりだが、そこに手をかければ確実に制限時間を超える。


 急げ、急げ、急げ――焦る気持ちを抑えながら、手元が狂わないよう急ぎながら丁寧に・・・・・・・・という困難を両立させる。


 滴る汗が目に入り、痛みが走った。

 拭う時間も惜しく、片目を閉じて作業を続ける。


 刻一刻と時間は過ぎていた。

 ウィルの必死な様子に野次を飛ばし、笑い声をあげる猟兵達のなんと無様なことか。アリシアは悔しさを噛みしめ、必死にウィルを応援した。


「行ける、大丈夫だよウィル! 頑張れ!」


 その声が届いたのか。ウィルの手がはたと止まった。

 諦めたわけではない。その証拠に、ウィルの表情はそれまでの険しさから一転、笑みを浮かべているではないか。


「見つけたぞ」


 原因は照準器を固定する取り付け金具だ。ぱっと見には気づきにくいが、わずかに削られていた。根本が違えばその上についた照準器もずれるのは道理である。


 だが、原因が分かれば簡単だ。

 削られた部分を取り戻すことはできないにしろ、それによるずれを認識さえすれば照準器側で補修ができる。


 問題は時間だけだ。

 戸惑いに呑まれていた時間が痛すぎる。

 いくら故障があった場合に備えた余裕を計算に入れているとはいえ、全てを分解した総点検など想定されていない。


 必死に組み立てるが、その後を時間が追い立ててくる。


「もう少し、もう少しだ。あとちょっと……っ」


 最後の部品をはめ込み、改めて射出器を固定。

 視界の端に見えた砂時計は、もう上部分に砂は残っていないようにすら見えた。


 足掻け、それしかない。

 極度の集中が世界を支配する。

 猟兵達の野次も、アリシアの応援の声も、すべてが無になった。しかし、必要な風だけはしっかりと感じる。その中で黙々と発射工程を完了させた。

 

 鉄針を開口部に滑り込ませる。

 同時に顔を背け、


「発射、発射、発射っ!」


 響く炸裂音のあとに一拍遅れ、ディアンの「それまで!」の声が響いた。


「……間に合った」


 ほっと息を吐き、結果を見ようと顔を上げると、第一円の中心に突き立つ鉄針がはっきりと見えた。



 ◇◆



 人生を賭けた苦渋の決断、とでも言わんばかりの表情で、ディアンから合格者の発表がされた。


 ウィルを毛嫌いしているディアンであれば時間切れと偽るかとも思われたが、さすがにそれはない。


 なにせ、カウフマンが見ているのだ。

 試験開始からこっそりと覗いていたのだが、ディアンにはしっかりと発見されている。さすがにそんな状態で不正をするほど愚かではないだろう。


 長年の付き合いもあり、カウフマンもその点は信頼している。ただし、それはあくまでも見られているから・・・・・・・・だ。


 ウィルの射出器に異変があったが、あの挙動なら照準器辺りに仕掛けがあったのだろう。たかだか上層の猟兵がそんなことができるかと言われれば、不可能だ。


 まともに装具を使う機会すらない安全安定の上層で、装具に触れる機会などごく僅かだろう。まして地上に持ち出せば工房に整備に出せるのだから、素人がいじる必要性などない。


 自然、実行者はそれが可能な者に絞られる。


「やれやれ、若気の至りってやつかねぇ」


 困ったような、面白いような、複雑な表情で顎をなぜる。じょり、と無精髭が鳴り、そういえば昨日髭を剃っていなかったなと気づき、まあいいかとすぐに忘れた。


 何はともあれ、仮入隊二名の決定だ。

 根性だけは素晴らしいかわいこちゃんと跳ねっ返りの大ぼら吹き。どちらが正隊員に選ばれても、実に面白い部隊になりそうだった。

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