抑圧と直感の影

 入隊試験から一か月が経った。

 計画通りと言うべきか、ウィルとアリシアは合格し、見事に仮入隊の座を勝ち取ったのだ。


 しかし、二人の同盟はあくまでも仮入隊までだ。

 そこからは一名分しかない正隊員の座を争って熾烈な戦いを繰り広げる――と思っていたのだが、アリシアはそうでもなかったらしい。


「競争相手でももう友達だよ。お互い正々堂々戦おうね!」


 正隊員の座を勝ち取るためであれば何でもする覚悟のウィルだったが、これには毒気を抜かれてしまった。


 とはいえ、負けるつもりはない。

 そもそも冷静に考えて負ける要素は少ないのだ。

 経験も、身体能力も勝っている。アリシアは努力家だが、ウィルも同じかそれ以上に努力すればいいだけの話だ。


 唯一の懸念はディアンだけ。ウィルを毛嫌いしている彼は、多少の実力差では納得しない可能性があった。


 何かディアンですら納得するだけの決め手がいるかもしれない。それを探しながら、ウィルは訓練漬けの日々を送った。

 

 そして迎えた今日、迷宮での訓練初日である。

 目的地のアクタ高原は迷宮の入り口から半日ほど進んだ場所にあり、周囲には石晶獣の縄張りもない。晶石目当ての猟兵も訪れない過疎地で、猟兵組合が地上の民向けに行う迷宮観光の目的地に選ばれるような安全な場所だ。


「楽しみだね。私、これが初迷宮だよ」

「おめでとう、でいいのか?」

「なにか違う気はするよね。でも、ありがとう」


 他愛ない雑談を交えながら、二人は集合場所である迷宮入り口に向かっていった。そこでディアンと合流して、目的地のアクタ高原へと向かう流れだ。


 アリシアは初迷宮とあって興奮しきりだった。

 そんなアリシアの興奮を諫め、時に迷宮の質問に答えつつ歩を進めていく。


迷宮の入り口前は広場になっていて、数え切れないほどの猟兵たちが列をなしていた。迷宮の入り口は巨大な洞窟だが、その洞窟を完全に塞ぐ形で壁が作られている。猟兵たちはその壁に設置された小さな門の前に並び、衛兵に入場許可証を提示して門を潜っていく。


 上層を狩場とする猟兵たちは朝に迷宮に潜り、夜には帰る者が多い。出るだけの夜はともかく、許可証の確認が必要となる朝は込み合う時間帯だ。


「人多いね。こんなにたくさん潜ってたら、石晶獣もいなくなりそう」

「ああ、それは大丈夫。毎回殺すわけじゃないからね」

「そうなの?」


 そうなのである。

 石晶獣は無から湧き出るわけではなく、地上の生物同様に生殖で数を増やすのだ。体内の晶石が欲しいからと乱獲すれば絶滅待ったなしだ。


「上層の石晶獣なら薬で眠らせて、殺さずに晶石だけ抜き取るのが一般的だね。数日放置してればまた晶石を作ってくれるから、殺すよりそっちのほうが効率いいんだよ」


 羊毛を欲して羊を殺す馬鹿はいない、というわけだ。


広場の端に移動し、ディアンの到着を待つことしばし、アリシアが一人の男を見つめているのに気づいた。


 ウィルたちと同様、広場の端で猟兵の列を見つめている男だ。ひどくみすぼらしく、まともな装備も持ち合わせていない。ざんばらな髪、落ちくぼんだ眼窩、そして迷宮の入り口をじっと見つめる奇行。


「……迷宮病、かな」

「あれが? 見ただけでわかるんだ」

「まあ、見慣れてるからな」


 迷宮“病”とは言うが、実際に病気かといえば微妙なところだ。迷宮の毒気が摂取量限界に近付いているだけで、彼らの肉体は至って健康なのだから。


「体は元気でも、心に問題があるんだっけ」

「ああ。毒素の摂取限界を迎えてもまだ迷宮に潜りたい人たちだからね。殺さない優しさと、死に場所を選ばせる優しさと、どっちが正解なんだろうな」


 難しい問題で、答えは出ない。

 個人的には自由を愛する猟兵の末路なのだ、自由に選ばせてやればいいとも思う。しかし、人命の保護を説く地上の民から同意を得られないのだ。


 どちらの主張も間違ってはないだけに、正解を決めることができない問題だった。


 そうこうしているうちにディアンが到着した。慌ただしく荷物の確認をし、列に並んで出発だ。


 訓練は朝に出発して昼前には到着。

 小休止ののちに訓練を行い、夕方に出発して夜半に帰舎という予定だった。


 目的地が猟兵組合の観光指定地なだけあって、アクタ高原までの道は整備が行き届いていて歩きやすい。


 迷宮自体が薄青く光を発するから光源にも困らず、地上と変わらない気軽な道のりだった。


「光源があると楽だね。高原だけにね。ふふっ」

「……アリシア?」


 さっと目を逸らされたが、何かよからぬことを口走っていた気がする。


 ひとまず、アクタ高原に到着。予定通りに訓練が開始された。


 そうこうしているうちに訓練は開始された。

 今日の引率者が教導隊員であるディアンだが、なぜか少し離れたところでカウフマンとアルツトが座り込み、水袋の中身を美味そうにあおっている。


「あの、あれは……?」

「あれは書類仕事を放り出し、必要のない訓練監督という名目で着いてきた駄目人間とそのお付きの暇人だ。無視しろ」


 気になって質問したアリシアに、ぴしゃりと吐き捨てるディアン。ひどい言い草だが、内容が事実なら口が悪くなるのも理解できる。端的に言って、仕事しろということだ。


 たぶんあの水袋の中身も水じゃないだろうというウィルの予想は当たっていて、しっかりと酒である。


 言われた通り意識から二人を締め出し、訓練に専念する。


 今日の訓練内容は、迷宮での装備訓練だ。

 当たり前ではあるが、いきなり危険な場所で装備の習熟訓練は行わない。まずは安全な地上で、そして迷宮内でも比較的安全な場所から段階を踏んで難度を上げていく。


 ここ二か月で地上での習熟訓練は十分にこなしたから、今日からは迷宮でも安全なアクタ高原での訓練というわけだ。


 持ち込んだ資機材を地面に並べ、使用前点検を行う。それが終われば実際に使用訓練開始だ。


 今回訓練で使う装具は四種、面装、射出機、防護服である。

 

 射出機で迷宮の壁や天井に鉄針を放ち、繋いだロープを使って移動する訓練だ。防護服を併用し、峻厳な地形を踏破する。


 いかに安全なアクタ高原とはいえ、整備された道と休息地以外は不整地が広がっていた。訓練にはもってこいで、谷を飛び越え、小山を駆けあがり、平地とは名ばかりの岩場を走り抜ける。


 防護服で筋力を増幅されているとはいえ、体を動かしていることには変わらない。疲労は蓄積し、大量の汗が噴き出てくる。


 その合間でディアンが「場面想定! 毒溜まり検知!」と号令をかければ、どんな体勢であろうと即座に面装を装着しなければならない。酸素が供給される量は一定で、呼吸が乱れれば供給が追い付かない。それでも運動量を落とすことは許されない。


 ディアンの怒号混じりの指示が響く中、ウィルとアリシアは酸欠で意識が飛ぶ限界を見極めながら、真剣に訓練に打ち込み続けた。


「アリシア! すっとろい走り方してんじゃねぇぞ! 動け動け動け!」

「は、はいっ!」

「てめぇもだウィル! 多少できるからって怠けてんじゃねぇ! アリシアとそんだけしか差を付けられねぇとか、経験者として恥ずかしくねぇのか!」

「……っ、了解!」


 数回の小休止を挟みながら訓練を続ける。

 酸素不足の頭が思考を放棄し始めた頃、ふいにウィルが面装を装着した。


「おい、お前! 何勝手なことをしてやがる!」


 怒号が耳朶を打つが、ウィルは構わず晶石を装着した。起動鍵を“眠”から“起”へ、即座に面装内を満たす酸素で肺を満たす。


「ウィル、ど……どうか、したの……?」


 追いついてきたアリシアを片手で押しとどめる。

 酸素不足が解消されたことで、その間に頭がはっきりしてきた。


「面装を着けろ」

「ど、どういうこと?」

「いいから、黙って着けてくれ」


 有無を言わせず、首元にぶら下げられた面装を口元に押し付ける。戸惑ったアリシアが勢いに押されて面装を装着したのを確認し、ほっと息を吐いた。


 それからはっと気づき、怒鳴り続けるディアンと宴会をしながら何事かとこちらに顔を向けるカウフマンたちに向かって叫んだ。


「毒気溜まりが来るぞ! 面装を着けろ!」

「はぁ? お前何言って――」

「いいから、早くしろ!」


 訳が分からないにしろ、ウィルの鬼気迫る様子にカウフマンが装着の指示を出す。さすがのディアンも隊長の指示であれば従わざるをえない。


 実際のところを言えば、確証があるわけではない。それでも後頭部に差し込むような痛烈な痛みは、ウィルがこれまでの迷宮で感じた勘と同じものだ。


 半分の確率でしか当たらない糞みたいな代物で、外れれば問題になることは確実だろう。だが、だからといって万が一のことを考えれば警告しないという選択肢はなかった。


「おい、どういうことか説明しろ。ふざけた答えなら承知しねぇぞ」


 怒りの形相を隠そうともせずディアンが駆け寄ってくる。それと同時に、検知器が甲高い警告音を鳴らし始めた。


 検知器の針は右にいっぱいに振れていた。

 今回は正解を引いたらしい。

 ほっと息を吐くウィルとは対照的に、ディアンの顔は信じられないという驚愕に歪んでいた。


 どう説明したらいいのか。

 言葉に窮したウィルは、さきほどとは違う意味で深く息を吐いた。

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