対立の焔
迷宮の中にあって、夜という概念は存在し得るのかと問えば、地上の民は首を傾げ悩むだろう。
しかし、迷宮に生きる猟兵は「存在する」と断言する。
迷宮はそれ自体が発光している。
薄青く、決して明るいとまでは言えない光量ではあれど、それは間違いのない事実だ。そして地上が夜となった時にはその光量が明確に激減するのだ。
近場であれば見えなくはない。
しかし視認距離は確実に下がり、見通せぬ闇の中に迷宮が沈んでいく様は確かに夜の帳と表現するに相応しい。
そんな夜の時間は迷宮に生きる者たちにとっても体を休め、明日に備える時間である。
それはアクタ高原で訓練する十八番迷宮救助隊の面々もまた、同じであった。
「……糞がよ。あいつのせいで迷宮内で一泊とか、ふざけんなよ」
「まだ言ってやがんのか」
水袋の中の酒を呷り、カウフマンはやれやれと息を吐く。巨体をこじんまりと丸めて杯を重ねているアルツトもまた、似たような心境のようだ。器用に肩をすくめていた。
すでに夜の時間に入って長く、地上であれば夜中だ。ウィルもアリシアも念のため携行していた寝袋に潜り込み、野営地の端で寝息を立てている。
「まだも糞も言い足りねえよ。あいつが命令違反なんてしなけりゃ、訓練を全部消化して今頃地上に帰れたんだ。あんたらだって、こんなしけた場所じゃなく酒場で美味ぇ酒を飲めただろうよ」
「まぁ、そうかもな」
適当に返事をしてはいるが、内心では溜息しきりである。
実際のところを言えば、ウィルの行動は命令違反ではない。「許可なく面装を使用するな」などという命令は出していないし、出すつもりもない。そんなことをすれば、万が一の際に毒溜まりに呑まれて死ぬだけだ。
だから、ウィルの行動を説明するなら独断専行が正しい。必要に応じて独自の判断を行い、行動する。迷宮において必要な資質ではあるが、部隊としての活動目標に基づいている場合に限る。それを暴挙か柔軟な対応のどちらと捉えるかは慎重に評価しなければならない。
まして、訓練が消化できなかったのはどちらかと言えばディアンのせいだ。勝手な行動をしたウィルを叱責するまではよいが、怒りを抑えきれずそれで時間を浪費したのは彼の落ち度である。
とはいえ訓練内容は消化できたわけで、一泊して朝には帰還を開始できる。
ディアンを諭すのは隊舎に戻ってからだ。時間を置けば頭も冷え、理解もしやすくなるだろうという判断である。
だが、言葉にせぬ思いは往々にして曲解されるものだ。
ディアンもまた言葉を濁すカウフマンの意図を誤って捉えていた。
「なぁ、命令違反で首にできねぇか」
突然出てきた言葉に、カウフマンは盛大に咽せ、アルツトもぎょっとした表情を見せた。
「ディアン君、正気かね?」
「正気だ。カウフマンのおっさんも、旦那も分かるだろう。自由を振りかざすのは猟兵だけで十分だ。救助隊に必要なのは、規律だろうがよ」
「それはそうだ。しかし、いきなり首は性急に過ぎる。そもそも、それを言うなら監督不行き届きで君の責任も問うべきだ。そうでないと言うなら、吾輩には納得できんね」
「あんたこそ正気かよ?」
部下の責任は上司の責任、至極当たり前の論理ではあれ、無謀に暴走した馬鹿の責任を押し付けられるのは納得がいかない。
一触即発の様相を見せる二人に、ようやっと喉に入った酒精が消えたカウフマンが割って入る。
「待て待て待て、落ち着け。その判断をするのは俺で、お前らじゃねえだろ。おじさん抜きに話を進めると拗ねちまうぞ。嫌だろう、こんなおっさんが拗ねるの」
同時に、カウフマンの目配せにアルツトも応え、後を譲った。意見が違うならともかく、同意見であれば責任者に任せたほうが話が早い。
「ディアン、なんでいきなり首なんて話になる?」
「いきなりじゃねぇよ。前から俺は言っているはずだぜ。あいつは仲間を殺す毒だ」
「だからこの命令違反を理由に首か?」
「それだけじゃねぇさ。あいつが命令違反をした理由だ……なんと、勘だとよ!」
さて、どうしたものか。
ウィルの性質はカウフマンにとって織り込み済みだ。それを問題視しているのはディアンのみであって、一度の命令違反で首にするなど馬鹿げている。
そもそも、今回のウィルの行動は難しい部分はあるが、柔軟な対応の範疇だろう。
だが、目が曇れば見えるものも変わるのは道理で、それがディアンには理解できていない。いや、そもそも前提を知らないことが問題なのか。
「勘もそう捨てたものじゃないぞ。特に、あいつに関してはな。あれは、恐らく異能だ」
「……異能?」
「ああ。地上では普通の人間だが、迷宮でだけ特殊な力を持つ人間がいる。そいつらの力を異能って呼ぶのは知ってるよな」
黙って頷くディアンに、カウフマンも安堵して話を進める。さすがに隊長の話を聞く気はあるらしい。
異能は迷宮の中でしか発揮されない特殊な力だ。
身体能力が少し上がる、闇を見通す視力を持つ、傷の治りが早くなるといった具合に、便利ではあれ、それがなければ困るというわけでもない。それなりの数がいる異能者というのは、そういう存在だ。
とはいえ、それ以外の人間が無能というわけではない。明確な異能とは呼べないまでも、迷宮に潜る全ての人間にその片鱗はある。
地上よりも、迷宮のほうが感覚が鋭くなるのだ。例えば背後から近づかれるとして、気づく距離が明確に遠くなると言えばいいか。危険な迷宮の中にあってそれがどれほど有効かは言うまでもない。
兜や布を頭に巻くだけで失われるために、猟兵はおろか救助隊でも頭を防護しないのはそのためだ。
「あいつは猟兵の中じゃちょっとした有名人だ。ガキの癖に迷宮に潜るって部分もそうだが、あいつが危ないと言えば半分の確率で当たるってな。実際目にするのは初めてだが、確かにあいつは毒溜まりを察知してやがった」
「だから異能者だってのか?」
「そうじゃなきゃ説明がつかねぇからな」
お前に同じことができんのか、と視線で問われれば、ディアンもまたできないと答えるしかない。
毒溜まりが来る、と宣言するのは簡単だが、半分当てるというのはどう考えても不可能だ。
だが、言ってしまえばたったそれだけ。
そんなものは検知器で対応できる。
問題なのは、半分外れるということである。
「つまり、あいつは命令違反をした上で半分は失敗するってことだ。その数だけ、隊を危険に晒す可能性があるんだぞ」
「さて、それはわからんな」
「わかるだろうが!」
杯を投げ捨て、ディアンが吼える。
「勘なんてあやふやな博打に乗っかって救助をやる気かよ? 生きるか死ぬかの瀬戸際で必ず帰って来れるのは、博打に頼るからじゃねぇ。確実な行動を積み重ねるからだろうが!」
「言ってることはもっともだな。が、危険があらかじめわかるってのはでかいぞ」
「だから、それが外れるのが問題だってんだ! なんでわからねぇ!?」
カウフマンとてわからないわけではない。
その上で有用と判断しているだけだ。
だが、カウフマンとディアンのずれは物事の捉え方の違いである。意見の土台となる考え方そのものを変えることは容易ではない。
明確な反証が可能な類の話ではなく、どちらにも理があるとなればなおさらだった。
ゆえに、会話はすれ違い、まとまることはない。
「……もう、いい。てめぇの考えはわかった」
「ディアン」
「うるせえよ!」
立ち上がり、自身の寝床に向かうディアンの背中に、それ以上言葉をかけることはしない。
ウィルやアリシアとは違い、ディアンはガキではない。隊員として育て導く責任はあれど、すでに育っている者には接し方も変わるというものだ。
「考え、悩み、自分の足で立ってこそってな」
「上手いこと言った気かね。君に教師としての才があると思えないのであるが」
ずばりと切って捨てるアルツトに、カウフマンは肩をすくめる。
だとしても、やれるだけはやる。
それが隊長としての責任なのだ。
教師としての才はないかもしれないが、少なくとも隊長として失格ではない。隊員たちの性格も、動きも把握している。
だからこそ、寝袋の中からこちらの様子を伺うアリシアの気配にも気づいていた。
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