筋肉の囁き

 あれからさらに一カ月が経過した。

 ディアンとウィルの関係性は悪化の一途を辿っている。


 それというのも、ウィルが自身の勘に基づく行動を自重することがなかったからだ。それが全て結果を出すのであれば問題なかったのかもしれないが、決してそうではない。


 半分の確率で外れるというディアンの言葉通り、ウィルが危険を告げても何も起こらないことも多くあったのだ。


 その度に訓練を中断させるウィルに、ディアンが鬱憤を貯めるのは当然だ。それに応じて、ディアンの悪感情を超えてる何かを必要とするウィルが自身の勘に傾倒していくのもまた、当然の成り行きだった。


 そうして迎えた最終訓練で、一行は少し難度を上げて、いつものアクタ高原から訓練場所を変更していた。


 なによりいつもと違うのは、同行者にラーミアルフィがいることだろう。


 彼女と仲がいいアリシアは、道中も楽し気に話していた。


「いま向かってるのってどこなんですか?」

「リデニア洞窟さね。アクタ高原とは違って、迷宮下層に向かう順路の途中にある場所だよ。岩石蟲っていう石晶獣の縄張りがあるから、上層を根城してる猟兵がたくさんいるから、気を付けないと食べられちゃうからね」

「え、食べ……?」


 中途半端な情報に露骨に引いてしまっているが、ちょっと素直過ぎるのではないだろうか。からかわれていることに気づいていないアリシアに若干の不安を抱きつつ、ウィルはそっと助け舟を出した。


「食べられるのは死体だけだよ。岩石蟲は雑食だけど、基本的に気性は大人しいからね。生きてる人間を襲ったりはしない」

「ほ、本当に……?」


 若干涙目のアリシアに庇護欲をそそられたのか、ラーミアルフィが抱き着く。


「本当だよ~。縄張りを暴れ散らかす狂暴さを持ってるから絶対安全ってわけじゃないけど、逆に言えば縄張りに入りさえしなきゃ可愛いもんさ。手ずから餌を食べるくらい人懐っこいしね。猟兵連中にも人気があるさね」

「へ、へぇ。手から餌ですか……なんだか可愛いような気もしてきました」

「だろう。ちょっとつつくところんと丸まって可愛いんだよ」

「へぇ~」


 興味津々と瞳を輝かせ始めるが、やはりラーミアルフィ。あくどい、実にあくどい。からかう手を緩める気がないらしい。


 岩石蟲は背中に岩を纏った小動物といった風体で、可愛らしいといえば確かに可愛らしい。


 しかし、猟兵達に人気があるのは人懐っこすぎて簡単に晶石が採掘できるからだし、つつくと丸まって可愛いが、そのまますさまじい速度で転がり回るので可愛いなどと言う余裕がない。


 実際、それは彼らの唯一の攻撃手段だ。

 速度の乗った彼らの体当たりは、防護服越しであろうと少なくない衝撃をもらう。正面から喰らえば内蔵破裂もあり得る、洒落にならない攻撃である。


 ちなみに縄張りを荒らした愚か者は、縄張り内の全ての岩石蟲から追い回されることになる。言葉だけなら可愛いが、実際には数百の鉄の塊があらゆる方向から投げつけられるようなものだ。一撃もらえば動きが止まり、あっという間に人だった何かのできあがりである。


 とはいえ、実際に見ればからかわれていたとすぐにわかる。


 絶対に言うなよと目配せしてくるラーミアルフィに逆らうのも面倒で、ウィルは岩石蟲と戯れるのを楽しみにしているアリシアに心の中で頭を下げた。


「そういや、アリシアも結構筋肉ついてきたね。努力の成果が出てるじゃないか」

「え、そうですか?」


 アリシアは防護服越しに二の腕をむにむにし、しかめっ面である。


「全然変わってないような……?」

「自分ではわからなくても、周りで見てる人間は違いに気づくのさ。なぁ、ウィル?」


 なぜそこで話を振るのか。

 肌を直接見ているわけではないが、二の腕を揉む女子というのは直視してはいけない気がしてならず、ウィルは可能な限り視線を逸らしながら頷くしかなかった。


「……そう、ですね。前より筋肉はついたと思いますよ。まだ足りないですけど」

「おっと、一言余計だねぇ」


 余計でも事実ではある。

 五年の経験の差がある。そもそも男と女では筋力に差があるのだから足りるなどあり得るはずがない――そう言いかけて、なぜか二の腕の力こぶを見せつけてくるラーミアルフィに言葉を飲み込む。


 一見細身に見えて、引き締まった体はそこらの男など裸足で逃げ出しかねない筋肉で覆われている。カプーノ人は空を飛ぶために体重が軽いと聞いたことがあるのだが、目の間でにんまりと笑う彼女からはそんな噂を吹き飛ばすだけの威力があった。


 断言できるが、ラーミアルフィはウィルよりも筋肉がある。


 男女差とは何か。

 深淵を覗き込みかけ、なぜかそこから真顔のラーミアルフィが現れる姿を幻視してしまった。いつもの勘ではないが、これ以上は考えることは危険な気がした。


「あー……すごい、筋肉ですね」

「ふふっ、そんな褒めるなよ」


 満更でもないらしい。

 何やら筋肉がえるように体勢を整えるラーミアルフィに、アリシアがぱちぱちを拍手をしていた。


 筋肉を鍛えている人間は筋肉を褒めると喜ぶ。これまで出会った猟兵たちで学んだ不変の理は、彼女にもばっちり効果的だった。


「どうやったらラーミアルフィさんみたいになれるんですかね。頑張って鍛えてるはずなんですけど……足りないんでしょうか」

「いや、そんなわけないでしょ」


 あっけらかんとした口調で否定するラーミアルフィに、ウィルもかぶせ気味に頷いた。


 足りないのは筋肉であって、努力ではない。

 そこを勘違いすると、とんでもないことになる。


「頑張ればなんとかなるって考え方は嫌いじゃないけどね。多少の無理なら通せても、それを越えれば怪我をするだけだよ。あんたは精一杯やってるし、それ以上どうにかなるもんでもないさ」

「で、でも、ウィルやラーミアルフィさんと比べると……」


 アリシアは肩を落としてしょんぼりとそう言うと、自分と二人を見比べて深いため息をついた。


 困ったのは目標にされた二人である。

 片や五年の経験を持つ男の猟兵で、片や女性という枠組みを逸脱したラーミルフィ――一瞬睨まれた気がしたが、さっと目を逸らした――であり、どちらも比較対象にするのが間違っている。


 とはいえどう説明すれば納得させられるかなど、人間関係の浅いウィルには考えもつかない。よくも悪くも、ウィルは五年の迷宮生活で人との付き合いから離れ過ぎていたのだ。


 そこで頼りになるのは一人しかいないと目配せすれば、心得たと頷きが返る。

 さすが頼りになる姉御、ラーミアルフィである。


「ないものねだりはみっともないさね。それよりは、いまある武器をしっかり見つけてやるのがよっぽど健全だよ。せっかくの武器も、放置されてちゃ磨きようがないからね」

「いまある武器……そんなの、私にあるんですか?」

「ああ、あるよ」


 それは何かは教えてくれる気はないらしく、ラーミアルフィはぼすぼすと乱暴にアリシアの頭を叩いた。


 自分で見つけろ、ということだろう。

 ウィルも答えが気になったが、アリシアに教えないものをウィルにだけ教えてくれるはずもない。

 

 わははと豪快に流され、気づけばもう間もなく目的地に到着する頃合いだった。


「そうそう、今回の訓練は要救助者役の猟兵を雇っているからね。あんたらと同年代の猟兵だ。そいつらを見て、自分の強みってやつを探すのもいいんじゃないかね」


 同年代の猟兵と言われ、二人で顔を見合わせる。

 アリシアは期待を込めて、ウィルは怪訝を込めて。そしてそんな二人を見つめるラーミアルフィは実に楽し気に。


 三者三様の表情を浮かべながら、今回の目的地であるリデニア洞窟へ到着した。

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