崩れる静寂

「訓練を開始する! 訓練想定、リデニア洞窟中部、猟兵一名が崖から滑落――以上、かれ!」


ディアンの号令で訓練が開始された。

訓練想定はリデニア洞窟の中部、猟兵一名が崖から滑落。軽症だが自力登攀は不可能。救助要請から現時点で八日が経過し、水と食料は三日前に尽きている。


 今回の訓練は救助士としての救助活動訓練のため、補助士の仕事である現場の安全確保などは終わっている想定だ。ウィルとアリシアは崖下で寝ころんでいる要救助者役のカミナを安全に崖上まで運び、医術士であるアルツトに引き継げば訓練終了となる。


 地上で行って来た訓練から言えばむしろ単純な想定だが、現実の迷宮、人形ひとがたではなく本物の人間という状況は、これまでの訓練ではなかったことだ。


 そういった意味では、数か月に渡る採用試験の合格者を決める最終試験として相応しいだろう。


「アリシア、作戦会議だ」


 お互いに周囲を見回し状況把握を終えると、崖から離れ安全地帯を決めて今後の方針を考える。


 二人ともすでに訓練に思考が切り替わり、小休止の際の弛緩した空気は消え去っていた。


「崖下見たけど、結構深いよ。あと、崖上の足場が結構脆いね。単純にロープを垂らして吊り上げは危ないと思う」

「崩れて要救助者に落石が当たるのは御免だな。となると、天井に支点を取って、そこから吊り上げたほうが安全だろうな」

「私もそう思う。支点は二点?」

「それが安全だな。要救助者は衰弱状態だから暴れないだろうけど、念には念を入れよう」

「それじゃあ上と下に分かれるとして、あとはどっちが降りるか――」


 てきぱきとお互いの分析を共有し合い、救出方法を決める。拙速よりも功遅、されど時間を浪費することは許されない。


 ディアンは一歩離れた場所でその様子を眺めながら、ふん、と鼻を鳴らした。


 三カ月かけて徹底的に仕込んだだけあって、いまのところ問題はない。状況判断も、救出計画も、二人の対応は及第点と言えるだろう。


 しかし、だからこそディアンは気に入らない。

 頭を使う場面でウィルに減点がないということは、アリシアは体を使う救助活動で水を開けられるということだ。


 技術、経験、肉体強度、どれを取ってもウィルが一段も二段も上である。


 仕方ないと言えば仕方ないが、ウィルにだけは合格されたくないディアンとしては、現状は非常に好ましくなかった。


「……いまのところちゃんとしてますけど、あいつ、本当に大丈夫なんですか?」


 ウィルに対する敵意という点では、見学しているジークも同じだ。かといって仲間意識が芽生えるわけもなく、ディアンは「知るか」と切って捨てた。


 最近名前を上げてきた傭兵団の団長らしいが、ディアンから見れば有象無象の一片でしかない。


 多少救助隊の隊員と交流があるとかで今回の契約の運びとなったが、仲良しこよしをする意味などない。たかが要救助者役、たかが見学である。はっきり言ってしまえば、邪魔だ。


 ジークはそんなディアンの態度に眉根を寄せたが、反発するほど子供でもないのか、黙ってウィルに意識を戻していた。


 しかし、それはある意味で正解だろう。

 もしもディアンと深く話すことができたとしたら、彼は怒り狂うに違いない。なにせディアンはウィルの失敗を望んでおり、それは即ち、要救助者役のカミナが危険な状況に陥る可能性を許容しているということだからだ。


「支点確保! ロープ結索……良し!」


 そうこうしているうちに、訓練は進んでいた。

 どうやら下に降りるのはアリシアらしい。


 力があるウィルが、万が一の滑落に備えて上で待機するのは正しい判断だ。


 要救助者の頭側と足側、万が一抜けた際に要救助者にそのまま落下しないよう離れた位置で鉄針が二本突き刺さっている。それぞれから伸びたロープを束ね、要救助者の近くにロープを垂らす算段だ。


 防護服に備えられた金具にロープを通し、アリシアが降下。ほどなく着地し、要救助者の確保を知らせる声が届いた。


 ここからが山場だ。

 担架に固定されたカミナをロープで吊り上げる。

 落下すれば身動きが取れないカミナは大怪我を負うだろう。


 しかし、二人は問題なくやり遂げた。

 アリシアとウィルが上下で息を合わせてロープを引き、少しづつ担架を持ち上げる。そうして崖上まで上がったところでロープを固定し、ウィルが担架を安全な崖上へ引き込んだ。


 あとはアリシアが崖上に戻り、アルツトの元へ担架を運べば状況終了だ。


 だが、そこでウィルの動きが止まった。

 担架をロープから外しているはずが、アリシアが崖上に戻ってもまだ担架は固定されたままで、カミナが不安そうな顔を向けてくる。


「ウィル?」


 ウィルは答えなかった。

 じっと周囲を見回す横顔はいつも通り真剣だ。いや、むしろ訓練よりも険しい。


「何か、あるんだね?」


 アリシアはウィルの勘について詳しく聞かされていないが、しかし度々検知器よりも早く毒溜まりを警告する様子から、何かがあると察していた。


 外れることもあるが、ウィルが警告するなら信じたほうがいい。その程度の理解ではあれ、アリシアにはそれで十分だ。


 しかし、何が起きるのかが分からない。

 ウィルの視線を辿る。

 天井だ。


 安全な崖上地帯のちょうど真ん中、ディアンとジークが待機する場所よりも洞窟入口に近い。一見して不審な点はない。


「あ、あの……大丈夫なんですか?」


 担架に固定されたまま不安そうなカミナに、アリシアも返答に困った。どう説明したものか悩み、説明する時間もないと微妙な微笑みを返す。


「大丈夫。たぶんね」

「ふ、不安過ぎるんですが……っ」


 だろうなとは思うが、それ以上できることがない。

 さらに言葉をかける機会は失われ、ウィルの緊迫した声が現実を突きつける。


「下がれ」

「……ウィル?」

「いいから、下がれ」


 下がれも何も、後ろは崖だ。

 下がれば落ちる。


 どういうことか問いただそうとしたが、振り返ったウィルの真剣な眼差しに封じられた。


「下がれ! いますぐだ!」


 同時にウィルの取った行動に驚愕する。

 安全な崖上に引き上げられていた担架を、崖下に突き落としたのだ。


 落下防止のロープで固定されているとはいえ、下までは自由落下だ。天井二点での固定のおかげで崖肌にぶつかることこそないが、突然落下を始めたカミナの悲鳴が響き渡る。


 ぎょっとしたアリシアも、すぐあとに浮遊感を味わった。


 カミナを救うために飛び出したわけではない。

 咄嗟に顔を巡らせれば、自分を突き飛ばしたであろうウィルが見えた。切迫した表情で天井を見つめるその姿は、明らかに何かを察知しているようだった。


「こ、の……っ!」


 地面に落下する前にロープを掴み、急減速。

 大きく揺れる担架を抑え、かろうじて体勢を整える。


「き、貴様っ!」

「お前、ついにやりやがったな!」


 崖上からは二人の憤怒の声が聞こえて来る。

 だがアリシアたちが引き上げられることはなく、見上げるとウィルと絡み合ったディアンたちが一塊になって落下するところだった。


 ディアンたちが自分から落下したというわけではない。ディアンとジークの襟首を掴んだウィルが無理矢理に崖下に引き込んだのだ。


「馬鹿野郎、お前……っ!」


 ロープで安全を確保しているウィルと異なり、ディアンとジークは何の装備もない。落下しながらディアンが右手でロープを掴み、空いた左手でジークを掴まなければそのまま崖下に激突している。


 いや、違う。

 いつの間にやったのか、ウィルのロープが二人の体に巻きついている。それだけで落下を防ぐことはできないだろうが、ウィルが二人の襟首を掴んでいるのだ。


 少なくとも大幅に減速し、落下しても大した怪我はないだろう。


 だがそれでも二人の怒りは収まらない。

 崖下に到着するや、感情を爆発させてウィルに詰め寄る。


「お前、何がしたいんだ!」

「この人殺しが! 掟破りだけじゃなく、俺たちまで殺す気なのか!」


 彼らの反応も最もである。

 だがウィルは二人に構わずアリシア達に駆け寄ると、ロープを切った。担架に乗せられたままのカミナを引きずるように、崖下を奥へ奥へと向かう。


「おい、ウィル! どこへ――」

「いいから走れ!」


 ウィルの絶叫と、轟音は同時だった。

 崖上から響き渡る何かが崩れる音。

 降り注ぐ大岩。

 少し前まで自分たちが立っていた場所に、人の頭よりも大きな岩が数えきれないほど降り注ぐ。


「走れ!」


 再び繰り返されたウィルの絶叫に、わけもわからず一同は走り出すしかなかった。

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