信念の報酬
リデニア洞窟、外縁。
洞窟奥部の縄張りから上がって来る岩石蟲の採掘は、実に危険が少なく簡単な作業だ。
それゆえに集まる猟兵の数は多く、吐き出される晶石の数は増えることがない。自然発生的に猟兵たち自身による自治が行われるようになり、採掘の列に並んだところで得られる晶石の数は上限が決まっている。
一攫千金の夢を見る新人猟兵たちにとっては酷な現実だが、それでも自治に納得した古参猟兵に逆らうことができず、いずれ彼らの中に埋没していく。
しかし、リデニア洞窟の入口から遠く離れ、外縁部で作業をする年若い少年たちはいささか毛色が違った。
事の発端は一カ月前。
若手が自治に文句を言って古参猟兵に締められたまではよくある光景だが、苛立った彼らは拠点を飛び出したのだ。
そうして彼らが外縁部で見つけたのは、妙な音がする岩壁だった。小さな亀裂から中を覗けば、そこに黒い影がいくつも見える。
岩石蟲が入口へ向かう通路を発見したのだと彼らは小躍りし、一度地上に戻ると道具を用意して取って返した。
行儀よく自治に従う馬鹿どもとは頭の作りが違うのだと笑い合いながら、少年たちは岩壁の穴を広げて暗闇の中に体を滑り込ませた。
しかしそこで待っていた岩石蟲は、大人しく人懐こい彼らなどではなく、縄張りを荒らす敵対者を蹂躙せんとする暴力の塊であった。
そこからは阿鼻叫喚だ。
迷宮において愚行のつけを払うのは常に己自身だ。体を丸め砲弾のごとく押し寄せる岩石蟲の群れは一瞬にして少年たちを押しつぶし、それだけでは飽き足らず、幾度も幾度も潰し、散らし、固形から粘性の高い液体へと変えていく。
大岩さえも割るほどの彼らの突進である。
互いにぶつかり合い、洞穴内の要所を幾つも崩壊させ、その衝撃は連鎖するように洞窟全てに伝わった。
もちろんそれしきでリデニア洞窟全てが崩れることはないが、衝撃を受け流しきれなかった幾つかの地点で崩落した。
その一つが救助隊の試験場だったのは不幸という他ない。
「ああ糞が、最悪だな」
不機嫌そうにディアンは舌打ちを漏らす。
目の前には広大な空間が広がっていた。
迷宮内の岩は基本的に青白い光を放つが、この空間は黒く塗りつぶしたような闇に包まれている。
ウィルたちがいるのは空間の壁の一つ、中腹に空いた穴で、反対側の壁には人が一人通れるかどうかの小さな穴が開き、そこから光が差し込んでいた。
そして、その光に照らされて暗闇の中で蠢く無数の影がある。岩石蟲だ。
「見てみろよ。ここは奴らの縄張りだぜ。絶対に足を滑らせるな……落ちたら、ああなるぞ」
ディアンが示す先は反対側の壁に開いた穴、そこから差し込む光に照らされて赤黒く染まる地面だ。光が赤黒いわけではなく、そこに侵入した哀れな道化の変わり果てた何かで地面が染まっているのだ。
それでも好奇心に負けたジークは身を乗り出そうとして、カミナに引っ張られて断念していた。まったくもって危機感がなさすぎるが、ジークも皆の冷めた視線でそれに気づいたらしい。わざとらしく、誤魔化すように咳払いした。
「これからどうするんだ。一応ここは安全地帯みたいだが……ここで救助を待つのか?」
精一杯取り繕ってディアンに問うが、この場合、それは悪手だ。そもそもの現状認識もできていない人間に、ディアンが優しくする道理などない。
「お前、馬鹿か。ここが安全地帯だと?」
「馬鹿……まあいい。安全地帯じゃないのか?」
ディアンは説明するのも面倒と、やってきた道を示す。見ればわかる、そういうことだ。
仕方なくジークも穴の中を観察するが、何もおかしなところはないように見えた。いや、違う。よくよく目を凝らせばあちらこちらに亀裂が入り、ぱらぱらと石の欠片が断続的に振っていた。
「ここも……崩れる?」
「遅かれ早かれな。そして、救助も来ねえ。こんな危険な場所は救助士の仕事場だが、残念ながら装備なしで全員ここに勢ぞろいだ」
終わってやがる、と皮肉気に笑うディアン。
助けられるならば来るが、自身の命を賭ける馬鹿は救助隊にはいない。最優先は自分、次に仲間、要救助者は一番最後だ。
ならば方法は一つしかなかった。
ここまで連れてきた人間がいるのだから、そこには成算があったはずだ。
「ウィル。お前のことは気に入らねえし、当たり外れがある勘なんてもんも信じねえ。だが、ここまで連れてきたんだ。何の手もねぇとは言わせねえぞ」
「……勘? なんのことだ?」
事情を知らないジークは怪訝そうだが、ウィルは答えず、ディアンを睨みつけた。
「俺だけだと、生還は無理だ」
「……はぁん?」
生還できないと断言されて
俺だけだと無理。
実に奇妙な言い回しである。
「手を貸せって言いたいのか」
「そうだ」
力強く頷くウィルの目には、確信があった。
がしがしと頭を掻き、ディアンは仕方ないと息を吐く。
腹が立つし、大っ嫌いだが、それでもウィルの勘のおかげで生存しているのは事実だ。そしてここから無事に
「いいだろう。話せ」
賭けるしかないと納得して告げた言葉だが、しかしウィルはすぐに説明をしようとはせず、むしろ口ごもる様子を見せた。
「なんだ。ここまできて焦らすとか馬鹿なのか」
「いや、そうじゃないんだ。ただ……」
「ただ?」
まったくもって不快だ。
自信があるのかないのかはっきりしないウィルも、その後ろで何かあったら飛び出そうとするアリシアも、崩壊しかかる穴倉でそんな暇なぞないとなぜわからないのか。
いっそ本気でやってやろうか、そう思ったところで、まるでそれを見透かしたかのようにウィルが声を上げた。
「話す。だから、それはやめてくれ」
「……それ?」
気づかれた?
そんな馬鹿なと鼻で笑いかけ、ウィルの視線に口をつぐむ。あれは理解している目だ。全員が生還する方法は確かにない。しかし、ディアンが自身の生存のみを考えればその限りではない。
「……なら、話せや」
「冗談で言うわけじゃないから、怒るな。ディアンなら打開策がある。そう思った」
「はぁ?」
それはもはや案とすら呼べない。
願望、いや下手すればもっと悪い代物で、いっそ頭がおかしくなったと言われたほうが納得できた。
だがそれはウィルも同じのようで、黙りこくったままそれ以上の言葉を発しない。馬鹿げているが、本当にそれが理由なのだ。
呆れに怒りも立ち消え、言葉に迷う。
ディアンの代わりに怒声を上げたのは、カミナの解放を受けていたジークだった。
「なんだそれは! 無理矢理ここまで連れてきておいて、他人任せだと!? 正気なのか、貴様!」
それはそう、まったくもって同意である。
だが、ジークとは違い頭から否定することもできなかった。信用するつもりはないが、ウィルには異能が備わっている可能性があるのだ。
ウィルに掴みかかろうとしアリシアたちに取り押さえられているジークに黙れと目線で告げ、絞り出したのは確認の言葉だ。
「……それも、勘か?」
「そうだ」
糞ったれだ。
最悪で、最低で、糞ったれな状況だ。
その瞳に確信を漲らせるウィルの目に、そんな馬鹿なと端へ追いやっていた疑念が持ち上がる。
「あの時、俺たちに逃げろと伝えられたか」
「ああ、できた」
「そうすれば、入口に近かった俺達は逃げることができていた。そうだな?」
「可能性は高い」
やはり、間違いないとジークは奥歯を噛み締めた。
ウィルが危険を知らせる時、一瞬立ち止まった理由がわからなかったのだ。勘が正しいか確かめようとしていたのかとも思ったが、それにしては反応がおかしかった。
なんのことはない。
ウィルは危険を察知しただけではなく、自分達が確実に助かるためにディアンが必要だと判断し、逃がすまいと引き込んだのだ。ジークはただのおまけだ。
狂ってやがる。
だが、ディアンも似たようなことをしようとしていたのだから人のことは言えない。
結果、ディアンは舌打ちを一つして全てを呑み込んだ。
「考える。少し待て」
「わかった。それほど時間はないが――」
「いいから黙ってろ」
改めて広場に視線を向ける。
数えきれないほどの岩石蟲と、人一人がかろうじて通り抜けられる穴。距離は遠く、走って抜けることはできない。
ただし、それはミシュタール人には、だ。
ディアンの獣人の脚であれば――囮を数匹放り投げた上であれば、可能性がある。
それがディアンだけが生き残る策だ。
それ以外に方法は思いつかないのだが、しかしディアンはさきほどは止めた思考を巡らせ続ける。
ウィルの勘が、ディアンを引き込みさえすれば何とかなると訴えたのだ。ならば、方法があるかもしれない。
いま、ここにある何かを使い、なおかつディアンがいれば成り立つ方策。
「持っている装備を全部出せ」
集められた装備を一瞥し、ディアンはぼりぼりと頭を掻く。
なぜこれがここにあるかは置いておくとして、なるほど、これならばいけそうな気がする。
「……方法が一つある。失敗したら全滅するが、文句はねぇな?」
あったとしても知ったことではない。
実に清々しいまでに内心が想像できるディアンの言葉に、全員が頷いた。
ジークだけは不機嫌そうではあったが、それこそ知ったことではない。
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