振り切れぬ過去と決別の決意
三か月後、迷宮上層リデニア洞窟近郊。
要請に従い、カウフマン隊は救助活動を行っていた。
「ウィル! そっち抑えてて、私のほうが近い!」
崖の途中に引っかかった猟兵に意識はなく、ずるり、ずるりとずり落ちていく。あまり猶予はない。
崖の上方で支点確保中のウィルが救助を行うとすれば時間的に機会は一度だが、自分であれば二度の機会が得られる。ならば失敗を恐れず挑戦すべきだ。
しかし、ウィルの返答はいつもと変わらない。
「ダメだ! 俺が行くまで待機しろ!」
「でも――」
「いいから!」
有無を言わせない言葉に、不満を呑み込むしかなかった。
ゆっくりとずり落ちる猟兵を忸怩たる思いで見つめる。手を伸ばせば届く距離で、確実に死に近づいていくのを見れば焦燥がこみ上げた。
ウィルはすぐに降下してきた。宙吊りの状態で器用に体を回転させ、岩壁のわずかな隙間に両足を噛ませて固定する。要救助者の吊り上げ準備が整うまで一分とかからぬ早業だった。
「結索良し! 吊り上げ準備良し! 引き上げぇい!」
「引き上げ開始っ!」
カウフマンとラーミアルフィの力強い返答とともに、男は崖の上へと吊り上げられていった。
その様子を見つめながら、アリシアは唇を噛んだ。
ただ、悔しかった。
試行機会よりも確実性を選んだ、それだけではある。アリシアよりもウィルが作業をするほうが安全性が高い。
あるいは、ウィルの特別な勘で何かを察知したのかもしれない。
この場合の察知した何かと言えば、アリシアの失敗だろう。
そんな馬鹿な、と自嘲する。
例えそうだとして、頑張るしかないのだ。
アリシアの中に滲み出る、毒とも呼べないほどの不穏は、少しずつ、しかし着実にその量を蓄積していた。
◇◆
隊長室にはいつもと変わらず人がいなかった。
多くの部隊は迷宮内の自分の任地を巡回しているために、隊舎に戻って来ることが少ないのだ。
新人が入ると安全のために最下位まで番手が下がる。安全な上層入口を任地とし、訓練を多く行えるようにという配慮だが、元々が中層を任地としていたカウフマンにとっては
書類仕事に一区切りをつけたところで、呼んでいたラーミアルフィが顔を出した。
「来たぞ、糞親父」
「おう、糞はやめとけ。嫁の貰い手がなくなるぞ」
誰に似たのか、口が悪い。
親心で忠告するが、ラーミアルフィはどうでもいいと聞き流した。
「それで、何か用?」
よっこらせと椅子に座り本題に入れとせっつかれれば、これ以上言っても無駄と悟るのは簡単だった。
「アリシアだ。お前、どう見る?」
「あー……頑張ってるけどね。いつか破裂する気はするさね」
さすがに気づいているらしい。
これがウィルならまったく理解できないだろうが、話が通じるのは良いことだ。
「ありゃ、気負い過ぎだな。自分で解消できるなら一番だが、一応様子見ててくれ。最悪、こっちでなんとかする」
「はいよ。人は人、自分は自分で割り切れたら一番なんだけどねぇ」
「それができねぇのも青春ってやつさ」
アリシアはウィルと自分を比較して苦しんでいるようだが、傍目には実に馬鹿馬鹿しい。
技術が劣る?
ウィルは五年も迷宮に潜っていた。
筋力が劣る?
ウィルは男で、相応に鍛えている。
そもそもの土台が違い、比較にすらならない。
追いつこうという努力は素晴らしいが、追いつけないと自身を責めるのは不健康に過ぎた。
しかし、そこまで達観できないのが若者の感情でもある。ならば成長を見届けるのが大人の役目だ。
「ま、潰れる前に一回張りつめたもんを抜く。その時期さえ見誤らなきゃいい」
「で、あたしはその見張り役と。ウィルはいいのかい。あれはあれで問題が多そうだけど」
ラーミアルフィはウィルについてもアリシアと同じく気にかけているようだった。
しかし、カウフマンは苦笑で応える。
「あれこそ放っておいたほうがいい。覚悟が決まった人間に安易に触れるほど危ないことはないからな。下手すりゃ周囲を巻き込む。自分で考えて、自分で答えを出すまで見てりゃいい」
「ふぅん。そういうもんかね?」
あまり納得いってないようだが、反論はない。
少なくとも隊長として尊重はしてくれているのだ。
「まぁ青春真っ盛りの
「まだ何かあるのかい?」
「ああ。特大の面倒くさいのがあるぜ」
ひょいと差し出された封筒を受け取ったラーミアルフィは、中身を一瞥して露骨に顔をしかめた。
さもありなん。
カウフマンも初めて目にした時は昼間から酒を飲もうか悩んだくらいだ。
「貴族様が迷宮の視察をなさるとよ。番手最下位の俺達が接待役だ」
「ハーディスの貴族様からのご依頼ねぇ。自前で安全な迷宮があるだろうに、何を視察するってんだい?」
ラーミアルフィの疑問ももっともだ。
なにせ、ハーディスは世界に七つある迷宮のうち、ただ一つ踏破済みの迷宮を持つ王国なのだ。
もちろんそれで迷宮から危険が消えるわけではないが、未知が既知となる、ただそれだけで安全の確保は格段にしやすくなる。
ただ迷宮の視察をしたいのであれば、これほど適した場所もない。それをわざわざ、隣国とはいえ他国に赴く理由がわからないのだろう。
とはいえ、それは表面的な捉え方をした場合に限る。
「理屈が合わないなら裏に別の理屈があるってことさ。迷宮視察ってのは単なる方便だろうよ」
「方便?」
「ああ。十中八九、本命は救助隊の視察だな」
「はぁ? 救助隊ならハーディスにもあるだろ、迷宮があるんだよ」
「ま、それはそうなんだがな」
迷宮があれば救助隊も存在する。
人類聖教紐つきの猟兵組合では猟兵を救えぬと設立された救助隊は、七つの迷宮全てに支部を持つ。迷宮がある場所に救助隊が存在するのは当然だが、それは全ての救助隊が同等の質を保っていることと同義ではない。
安全な迷宮に要救助者の数が減れば実戦経験の機会が減る。もちろん、そんなものは言い訳でしかない。訓練で練度を保つのが当然であるが、救助隊の本拠があるアルバニア王国は大陸北西だ。大陸南東に位置するハーシェス王国とは正反対の位置であり、距離があれば監督の目も緩む。
人は易きに流れやすく、己を律するは激流の只中に不動たらんとする難事である。その証明が、ハーシェス王国の救助隊の現状だった。
「ハーシェス王国の救助隊の練度低下はいまに始まったことじゃねえからな。そのせいで事故が起きてるって話も聞くし、偉いさんが梃子入れしたいと思っても不思議じゃねぇさ」
「それはまた、なんとも面倒くさい話だね」
ラーミアルフィの言葉に、カウフマンも同意せざるを得なかった。
とはいえ仕事は仕事と割り切り、出迎えの準備をする。
なに、適当にお偉いさんにおべっかを振りまき、救助隊の仕事ぶりを見せてやればいいだけだ、なにほどのことでもない。
しかしカウフマンの楽観は、予想もつかない内容で裏切られることになった。
◇◆
「ウィル、襟元曲がってる」
「……こうか?」
襟首を軽く引っ張ってみたが、全然違うとアリシアに正され、ついでにラーミアルフィに笑われながら、ウィルは黙って目を閉じた。
貴族を出迎えるために慌てて仕立てた礼服だが、なんとも馴染みが悪い。ごわごわした防護服のほうがむしろ落ち着くくらいで、もはや好きにしてくれという心境である。
腐っても貴族。迎えるにも最低限の礼儀が必要ということだが、ウィルにとっては実にどうでもいいことだった。そんな暇があれば訓練がしたいと思いつつ、問題の貴人様が現れるのを待つ。
そして、その時はきた。
「失礼するよ」
ラーミアルフィの先導で現れたのは、貴族というには少し落ち着いた身なりの男だった。
ウィルの貴族の印象は華美な装飾や衣服を纏っているというものだが、目の前の男は素材や仕立てこそ金がかかっているが、動きやすい実用的な衣服だ。装飾も最低限で、見栄より実を取る姿には好感が持てる。
だが、なぜだろうか。
男は目を見開き、固まっているではないか。
その視線はウィル――ではなく、その隣にいるアリシアに向けられていた。
ウィルと同じく気づいたカウフマンが、気乗りしない様子でアリシアに問うた。
「アリシア、お知り合いか?」
「……父です」
特大の爆弾だった。
いや、冷静に考えてみればウィルはアリシアが貴族だと聞いていたし、それがたまたま来たというだけでそれほど驚くことでもない。
ただ、家出中ということを考えれば多少まずいことになるのだろうなと思ったくらいである。
しかし、カウフマンたちは違う。
アリシアの立ち居振る舞いからいいところの出であろうとは知っているが、貴族とは聞いていない。ましてやその父親を接待することになろうとは夢にも思っていなかったはずだ。
困惑も甚だしいが、ハヴォックと名乗ったその侯爵閣下がアリシアの手を掴み、「連れて帰る」と宣言するに至ってはもはや頭を抱えるしかなかった。
迷宮詩編 ~斯くもおぞましき迷宮の底で。たった一人の姉を救うために救助隊に入隊した少年が、全てを取り戻すまでの物語~ ひのえ之灯 @clisfn3
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