第8話 世田谷区立松沢小学校

 小学校は5年生の夏休みに転校するまで松沢小学校だった。


 京王線の下高井戸駅から、日大通りを日大方面、桜上水方面へ歩いて行くと、ほんの数分で松沢小学校の北門が見えてくる。


 松沢小学校の敷地は四角で、それぞれの辺に門がある。


 日大通りに接しているのが北門で、ここには職員の下駄箱や用務員室などがあり、お客さんをもてなすメインの入り口だ。(私の在籍時)


 私の家から北に向かって歩いて行くと、駄菓子屋の「かどや」があり、その隣のブロックが松沢小学校になる。これを更に歩いて行くと西門がある。私が通っていた頃はこの西門から学校へ入って行った。


 更に南側には南門、東側には東門がある。


 私はつい先日まで、東西南北をこの、松沢小学校の入り口の名前でイメージし、覚えていた。いや、今でもよく思い出す。


 北と南は一瞬で判断がつくのだが、西と東がかなり怪しい。最近では西日本と東日本という言葉でイメージすることもあるけれど、やはり私にとっては松沢小学校の門が一番なのだ。


 私が入学した頃は、希望者になのかはわからないが、入学祝いに桜の苗を配っていた。姉の時にもらった苗は見事に成長し、我が家の小さな庭で桜の花を付けた。


 一方で、私の桜は花が咲くことはなかった。おそらく枯れてしまったのだと思う。


 入学した当初は、まだ、南側に木造の校舎があった。確か小学校三年生か四年生の時に、木造校舎で勉強したように記憶している。


 これもまた、勉強自体は全く覚えていないのだが、私は本当に小さい頃から腹が弱く、よく腹痛を起こしたので、面白いことを覚えている。


 私は頭がピカピカの高田先生のクラスだった。


 高田先生は、とても怖い先生だったのだが、私は何ともまあ、給食時に「大」をもよおしてしまった。


 もらすわけにはいかない、最大のピンチ。


 クラスメートが静かに給食を食べている中、席を立ち、高田先生の元へ行き、


「先生、うん〇したくなっちゃったので、トイレに行ってきていいですか?」


 と、高田先生に申し出た。その時の高田先生の顔を今でも覚えている。目の色が外国人のように青く、あの怖い先生が近くで見るとこんな目をしているんだ、なんて、うん〇を我慢しながら観察した。


 頭がピカピカの高田先生は一瞬怪訝な表情を浮かべた後、


「そうか、行ってこい」


 といって、私の離席を許してくれた。


 

 その時に行った、木造校舎の「大」のトイレの様子を今でも僅かに覚えている。



 こんな事があった木造校舎も取り壊され、L字型の画期的な鉄筋コンクリート製の新校舎が建築された。


 記憶が定かではないが、元からあった校舎に、Lの文字の下の部分を増築し、L字型校舎と言っていたように思う。


 少し前にHPを見てみたところ、この画期的だったL字型の校舎も建て替えられ、すっかり現代風になっている。


 木造校舎を取り壊す際、校舎を構成していた木が小さく切り刻まれ、生徒に配られた。私はしばらくの間、大事にしまっておいたが、今も実家のどこかにあるかもしれない。



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