第5話 赤松公園で草野球
玉電松原の近くに赤松公園という大きな公園があった。
いや、今地図で確認してみると、まだある。
私は小学校2ー3年の頃から、この赤松公園で野球をしていた。
よく、サザエさんで見るような、あのスタイルの草野球。
リーダー格の五十嵐くんという子がいて、彼の指示で毎日公園に集まり、日がな、野球に打ち込んでいた。
毎日野球をして楽しかった、ならよくある話。
でも、私はちょっと違っていた。
この野球も毎日毎日だと子供心に負担になったのか、私と耳鼻科の息子大谷くんは五十嵐キャプテンに対して反乱を起こしてしまう。
ちかれたび~
ちかれたび~
今日も今日とて、また野球~
「まちぼうけ」のメロディーに乗せて、こんな歌を歌い、野球に行かなくなった。
そして何と、みんなが野球をしているそのグラウンドにフリスビーを持ち込み、私と大谷くんはフリスビーをして、野球に対するストライキを決行したのである。
私は小さい頃から、反逆心が強かったように思う。今もその気は少しある。
フリスビーをする私たちを横目に、五十嵐くん率いる松沢小学校小学生某クラスの草野球チームは、いつもの練習を続けていた。
しかしこれも数日だけで、気が付いた頃にはいつもの野球の練習に戻っていた。
小学校5年生の一学期で、私は世田谷区赤堤四丁目を去ることになるのだが、その時、五十嵐くんが私にプレゼントをくれた。優等生の彼らしく、「甲子園熱球物語」という本だった。
中には手紙が添えてあった。
「大谷とフリスビーをしていたときは、もうダメだと思ったよ。引っ越してもがんばれよ」
今こうして書くと泣けてくるが、当時はあまり響かなかった。
時々、クラスのチーム同士で、試合があった。
桜上水団地の中の大きな滑り台の向こうにある芝生で、よく行われた。確か赤い旗が出ているとダメで、水色の旗ならオッケーだった。赤松公園でも時々あった。
今の時代ように親が駆けつけるような大げさな物ではなく、普通の試合。
今では球技が禁止されてしまったようだが、振り返ってみれば私たちの子供時代は自由度が高く、面白かったなと、こうして50年前を振り返っている。
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