第16話 汲み取り便所の便器の秘密
家のトイレは汲み取り式だった。
物心ついた時から汲み取りだったので、しばらくは何とも思わなかったが、年頃になるとだんだんと友人の家のトイレと比べるようになり、家のトイレが嫌になってきた。
というのも、我が家のトイレは、ダイレクトぽっトンだったのに加え、便器が枠しかない、小便を受ける部分がない、緑色の和式のものだったので、地面に掘ってある穴が丸見えだった。このタイプは今になってもなかなかお見受けすることがなく、もしかするとレアなのかもしれない。
高級そうな友人の家の汲み取り便所には、木製の蓋などが付いている事もあったが、貧乏小屋の我が家のトイレにはそんなものもあるはずはなく、枠だけの便器に、土地に掘られた穴へと直行タイプの、極めて原始的な物だった。臭いを外へ逃がすための排臭煙突なども当然あるわけはなかった。
いつかなどは、踏ん張るところの板の床が抜けそうになり、大工らしかった、隣のゆきおくんのお父さんに頼んで、修理をしてもらったりもした。最後に家の中で話をしているところで遊んでいたのだが、父は遠慮するゆきおくんのお父さんに強引に一万円を渡しており、子供心に(金がないといいながら私たちを育てている割には)景気がいい父だなと思った。
私はだんだんとこの便器が嫌になってきた。汲み取りは仕方ないと思ったが、この便器が許せなくなってきた。せめて友人宅に多かったような、小便が当たる受けの部分があり、穴の全体がダイレクトには見えないタイプにして欲しいと、父に直訴した。
何度か訴えるうちに、その願いは父に届いたようで、ある日父と一緒に「便器を買いに行こう」ということになって、一緒にでかけることにした。
しかし、家を出たところで、我が家のトイレの床を修理してもらった、ゆきおくんのお父さんに会い、「今のままで充分ですよ。新しいのも結構高いし、もったいないから、今のままでいいじゃないですか」と言われ、父は納得して、買い物には出かけずに家に戻ってしまった。
私は便器が変わるものだと期待していたので、ゆきおくんのおとうさんを少し憎んだが、大人の話し合いだったので仕方がなかった。
そして実は、裏では姉も猛烈に抗議をしていたらしかった。これは数年前に実家に帰った際に父から聞いたのだが、あのトイレを何とかしてくれと、時を同じくらいにして、姉も私以上に猛烈に、父に訴えていたのだ。
この抗議が届いたのか、父はやがて狭い庭の中に、四畳半ほどのプレハブでできた子供部屋を建てることになった。
聞くところによると、大家さんの承諾を得ることなく、勝手にプレハブ小屋を建ててしまったのでトラブルになり、結果的にはいくらかのお金を払うから出て行ってくれと言うことで折り合いが付いたのだった。オヤジの同級生に弁護士がおり、この人とよく話していたのは、この事があったからだったのか。この弁護士の子供とは時々遊ぶことがあった。私は彼とのルーレットメダルゲームで30枚の大当たりを出し、小学校3年生ながら、マウントが取れて密かに嬉しかったのを覚えている。
結局、この髪の毛がスケベ分けの弁護士に頑張ってもらい、いくらかのお金を大家からもらい、赤堤を引き払い、それを頭金にして、今の日野市にある公団住宅を購入したようだった。金がない金がないと言われながら育ってきたのに、どうして公団住宅が買えたのかが子供心に不思議だったのだが、実はこのような事情があったのだった。
こうして振り返ってみると、あの汲み取り便所に、あの便器があったからこそ、今の実家を買うことができ、父も母も今では家賃の心配をすることなく、穏やかに暮らすことができているのである。
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