第19話 梶浦由記さんと牛乳

 小学校5年生の一学期が終わってから、日野の百草団地に引っ越しをした。


 5年生の一学期まで、世田谷区立松沢小学校で過ごした。


 この時の担任を、私は一生忘れない。


 躾の一環で、悪いことをすると、生徒を一列に並べ、端からビンタをする。


 男だろうが女だろうが容赦ない。


 私はそこそこのいい子だったかもしれないが、一度だけこれを食らった。


 「歯を食いしばって…」


 とのかけ声のあと、一列に並んだ子供の頬を張り手していく教師K。


 今では考えられないが、50年ほど前はこれが許されていたし、今ほどうるさくもなかったので、先生も生徒もこれが当たり前なのだと思っていた。


 この教師K、家庭訪問の段取りも奇抜だった。


「先生はバイクでみんなの家を回ります。後ろの人は、前の人の家まで迎えに来て下さい。先生の後ろに乗って、自分の家まで案内して下さいね」


 私たち生徒は、どんなバイクなのか、とても楽しみだった。


 密かに、カッコイイバイクを想像し、教師Kと共に世田ヶ谷の街中疾走を期待していた。


 彼のバイクはスーパーカブだった。その荷台には人が乗ることができる椅子が取り付けられている。今あるような立派なシートではない。おそらく彼の手作りのような代物だった。


「バイクって、こんなの…」


 私が迎えに行った家の宮城さん(女子)は、トレードマークのはにかみ顔でそう言いながら私に引き継ぎをしてくれた。


 ちょっと記憶が定かではないのだが、このあとだか、それとも病欠だった時のプリントお届けだったか、今や世界的な作曲家となった梶浦由記さんの家に行ったことがある。友人と二人だったので、おそらく病欠時のプリントのお届けだったかもしれない。


 私と友人が彼女のおかあさんにプリントを届けると、おかあさんは私と友人に牛乳をごちそうしてくれた。


 今ではメールやLINEに取って代わっているのだろうけれど、昔は病欠の生徒がいると、こんなことをしていた。


 彼女は当時、おとなしく目立たない子だったが、密かにピアノを習っていたのだ。NHKの朝ドラのキャプションに彼女の名前をよく見かけたので、めんめっつに次ぐ、私の同級生の有名人だなと思っていた。


 しかし最近になって、彼女は名だたるボーカリストや声優達をひっさげて、大会場をいっぱいにしてコンサートをするレベルの、世界的な作曲家となっていたことを知り、おったまげた。


 あの時、彼女のおかあさんがくれた牛乳の味を、今でも覚えている。


 冷たくて、ガラスのコップに入っていて、コップが汗をかいていて、とても美味しかった。


 うだつの上がらない物書きもいれば、世界を圧巻する作曲家もいる。


 まあいいじゃないか。



 

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東京都世田ヶ谷区赤堤四丁目 福島 博 @shironeko28

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