第7話 新聞やさんの あだちくん

 松沢小学校1年生か2年生の頃、あだちくんと友達になった。


 あだちくんの家は新聞やさんを営んでいて、知り合った頃の家は、下高井戸から明大前に向かって右側の通り沿い、映画館とひとつめの踏切を過ぎたあたりにあった。


 よく遊んだことだけは覚えているのだが、その内容は殆ど記憶にない。


 ただ一つ、クラスの授業で育てた朝顔を持ち帰った時の会話だけ、鮮明に覚えている。

 私はあだちくんの新聞やさんに遊びに行った。


 お母さんがいて、あだちくんがクラスで育てて持ち帰ったあさがおに水をやっている。


「ふくしまくん、こんにちは。ふくしまくんちの朝顔はどう?咲いた?」

「お母さんが肥料をやり過ぎちゃったみたいて、枯れちゃいました」

「あら、そうなの…」


 私もあだちくんと同様、クラスの授業で育てたあさがおを家に持ち帰ったのだが、母が肥料を上げましょう、といいながら、スコップでじゃりじゃりと鉢植えの中を掘り返し、化学肥料をくべた。その際に根っこが切れてしまったのだと思う。


 あさがおはとたんに元気がなくなり、枯れてしまった。


 子供心にこの出来事はかなりショックだったので、鮮明に覚えている。


 

 やがてあだちくんの新聞やさんは、ここから日大通りのサミットストアを過ぎたあたりの右側に、新築の綺麗なお店を構えた。ここにも何度も遊びに行った。近くの空き地で、野球をするのが定番だった。


 あだちくんとは、駄菓子屋なかまでもあった。松沢小学校の南隣のブロック、南西側の端っこに「かどや」という駄菓子屋があり、私たちは時間があれば通い詰めていた。


 あだちくんは、キレイな色の付いた、ちょっとだけ固い感じのビニールに入った飲み物が大好きで、かどやに行くといつもそれを買って飲んでいた。2本も3本も、4本も。


 私が赤堤四丁目を離れてから、悲しい知らせが届いた。


 あだちくんは、何かの病気で亡くなってしまった。


 友達どうしの噂では、駄菓子屋の色つきジュースの飲み過ぎじゃないかと言われていたが、まんざら嘘ではないのかもしれない。


 私たちの幼少期は、こんな感じで、いろいろと危ない時代でもあった。


 あらためて、あだちようへいくんのご冥福をお祈りします。


 あだちくん、ありがとう。


 

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