第10話 かべあて

 

 野球が好きだった。


 一本足打法の王選手と長嶋選手に憧れる子供が殆どだった東京で、小さい頃から変わり者だった私は、ユニフォームが青くて綺麗だから、というだけの理由で中日が好きになった。名古屋とは何の縁もない。


 野球をしたいとの思いは子供のときから強く、気が付けばボールを持って遊んでいた。


 何歳からボールを持っていたのかは覚えていないが、赤松公園に野球をしに行くずっと前から、ボールを持っていた。


 始めの頃は確か、今でいうところのソフトテニスのボールだったり、駄菓子屋の「かどや」で売っていたカラーのボールだったりしたが、やがてソフトボールや軟球になって行った。


 ボールを手にすれば、投げたくなる。私は自宅の前にある、道路を隔てた一軒家の壁にボールを投げつけて、よく遊んでいた。


 子供だったし、コントロールもままならなかったので、何度も壁を乗り越えて、こちらのお宅の家の中にボールが入ってしまった。


 その時は「ボール取らせて下さい」などといいながら門扉を開け、中に入り、ボールを取らせてもらった。


 もう一カ所、確か東京ガスだか下請けさんだかの倉庫があって、そこにもボールを投げつけていた。よくある石でできた洗面台のようなものが、取り外したらしい廃品で転がっていたので、これを斜めに立てかけると、投げたボールが弾んでこちらに返ってくるので、ここもまた楽しかった。


 いつかなどはコントロールが大幅に狂い、倉庫の窓ガラスに命中してしまった。しかし、針金の入った強固なガラス窓だったので、ヒビが入っただけで済んだ。


 蜘蛛の巣状にヒビが入り、子供心にこれはまずいなと思ったが、しばらくするとガラスが入れ替えられ、修理完了となっていた。


 ボールは固くなっていくにつれ、グローブの使用が必須となる。


 いとこのグローブをもらったのがグローブを手にしたはじまりで、しばらくして赤松公園で野球をするようになると、親が経堂の小田急OXの二階のゲームコーナーの手前のスポーツ用品店で、何千円かするグローブを買ってくれた。死ぬほど嬉しかった。


 バットは、当時、松沢小学校が接する、今はコンビニがあるらしい五叉路の一角にスポーツ用品店があり、ここで木のバットを買ってもらった。1,000円だった。


 自分では上手いつもりでやっていたが、球を投げれば悪送球だし、バットを振ってもなかなか当たらないし、試合に行く道すがら、自転車に乗りながら、雨宮くんと


「今日はたくさんヒット打ちてぇな、ふくしま。最低二本約束な」

「そうだね」


 なんて話をしたところで、見事に全三振だったりと、好きこそ物の上手なれ、とはいかなかった。



 今の時代、他所の人様の大切なマイホームの壁に、そこそこ固いボールで壁あてをして遊んでいる小学生など、どこにもいないだろう。


 万が一遊びはじめたとしても、怒られて撤退が目に見えている。


 面白い時代に子供時代を生きさせてもらったこの頭と身体を、何とか人の役に立てたいと思い、こんな物を書き始めた。


 これもまた野球同様、成果を出すのはほぼ無理なのは感覚的にわかっているのだけれど、がんばって続けてみようと思っている。


 

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