今宵、汝に命じよう

 

「日が落ちてきたわね。

 星も綺麗」


 開口部がアーチ状に連なっている渡り廊下。

 月の光がその渡り廊下の影を中庭に落としていた。


 月光の下で見ると、ぼうぼうの雑草もなんか風情があるな、とアイリーンは思う。


「ちょっと涼しくなってきましたね」

とメディナが言ったとき、アイリーンは気配を感じた。


 山の夜の張り詰めたような冷たい空気の中。


 なにかがこちらに向かって来ている、と思ったら。馬のひずめの音が一気に近づいてきて、下で止まった。


 例の崩れている道の方だ。


 なにか言いかけるメディナを手で制す。


「誰か呼びましょうか」


 小声でメディナが囁いてきた。


 残ってくれた従者たちは、夕食後、城の中の壊れている箇所を修復してくれているのだ。


 ――いや、とりあえず、様子を見よう。


 アイリーンは靴を脱ぎ捨てると、音をさせずに気配のする方に近寄っていく。


 途中、従者たちが置いていた弓矢をとるのも忘れずに。


 自らの気配は殺し、何者かが這い上がって来ようとしている気配を感じようとした。


 山賊だろうか。

 空き家になっていたここを寝ぐらにしようとか?


 今までも使っていたということはないだろう。


 床の上の埃に足跡もなく、荒れ果てていたから。


 弓矢を構え、アイリーンはジリジリ崩れ落ちた道に近づいていく。


 心の中で、


 やる?

 やられる?


 やる?

 やられる?

といろいろ想定しながら。


 ――よしっ。

 やられる前にやるっ!


 短時間に決着の着いた自問自答の末、アイリーンは崖下から覗いた手の方に向かい、弓を引き絞った。


 黒髪で凛々しい顔立ちの男と、茶髪で人の良さそうな男が固まり、こちらを見上げている。


 崖に手をかけていたのは黒髪の男の方だった。


 パッと人の視線を惹きつけるオーラが彼にはあった。


 慌てたように茶髪の男が叫ぶ。


 「陛下であるっ、陛下であらせられるぞっ」


 下の森には薄く霧が出てきていた。


 アイリーンはまだ弓矢を下さなかった。


 この風格のある黒髪の男が、コルバドスの王だろうと思ったが、確証はない。


 騒ぎに気づいて駆けつけてきた従者のひとりが下を覗き、

「王様っ」

と叫ぶまで、アイリーンは油断することなく、弓矢を構え、見下ろしていた。


 ほう。

 これが私の夫……


 には、まあならないだろう、王様か、

と思いながら。



 コルバドスの王は、今宵、この城を宿とするつもりのようだった。


「妃候補の元にお泊まりになるときには、任命状が必要なのです」

と使者、イワンが言い出す。

 

 正式な任命状を慌てて今、作り始めた。


 巻物を広げ、読み上げる。


「偉大なるコルバドスの王の8888番目の美しき妃候補、アイリーン・アシュバーンよ」


 いや、8888番目に美しいと言われているようで、ちょっとあれなんですが……。


 気を使って入れてくれているのでしょうが。

 いっそ、その形容詞、ない方が……、

と思うアイリーンにイワンは命じた。


「汝に、今宵、王の相手をつとめる栄誉を与える」


 ――いや、いりません、その栄誉……。



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