愛があるわけではないのだが……

 

 崖が崩れてる……。


 王が去って数日後。

 アイリーンはその事実に気がついた。


 もともと崩れていた坂道の一番上のところが更に崩落していたのだ。


「今度、イワン様かコリー様が様子を見にいらしたら、お伝えしておきましょう。

 人手を寄越してくれるかもしれません」


 そんな呑気なことをメディナは言う。


 まだ食料などがあったからだ。


「そうねえ。

 次の補給までには直るといいわね」


 あとはただ、自分が眠っている間、じっとしておけばいいだけだ。


 ちょっと退屈だが、あちらの世界にも本が持ち込めるようになったしな、とアイリーンが思ったその日の昼過ぎ。


 縫い物をしていたメディナが、

「あら?」

と声を上げた。


 立ち上がり、窓の外を覗いてみている。


 ソファで本を読んでいたアイリーンもそちらに行ってみた。


「……なんか声が聞こえるわね」

「危険な森の動物でしょうか」


「危険な森の動物もなかなかこんなところまで来ないと思うけど」


 途中、木の実もなにもとれそうにないのに、と話しながら、二人で外に出てみた。


 すると、男の使用人たちが崖の崩れたところにしゃがみ、下に向かって手を伸ばしている。


 アイリーンたちは下を覗き込んでみた。


 危険な森の動物はいなかったが、危険な王様はいた。


 崩れた崖を這い上がろうとしている。


 わあわあ言いながら、みんなに助けられ、のぼってきたエルダーはアイリーンを見るなり言った。


「平地に住め」


 いや、どんな命令だ……。


 王が妃候補の娘に言うのに、あまり聞かない類いの命令だな、とアイリーンは思う。


 もっとも、こんな王宮から遠いだけでなく、人もなかなか近寄れない場所に住んでいる妃候補が滅多にいないからなのだが。


 エルダーは下を見下ろしながら言う。


「まったく。

 どうやって、こんな場所に城を作ったんだろうな」


「ご存知ないんですか?」

「征服しただけだからな」


 そうなんですか、と言ったアイリーンは同じように崖下を覗き込み、

「私なら、完成後に周囲を削りますかね」

と言った。


「山全部をか。

 大胆だな……」

とエルダーが呟く。



 その少し前、


 何故、私がこんな真似をっ、

と思いながら、エルダーは崩れた崖を必死でのぼっていた。


「あのー、王よ。

 道は直しておきますから、今日はもう、お帰りになりませんか?」

と遅れてのぼっているイワンが息も切れ切れに言ってくる。


「なにを言うっ。

 こんな辺境の地まで、わざわざ来たのだぞっ」


「わざわざと今、申されましたねっ。

 さっきまで、格好つけて、ついでに行こうとかおっしゃってましたのにっ」


「覚えておこうっ。

 疲れてくると部下は本音をもらすものなのだなっ。


 では、私も本音をもらそうっ。


 多忙を極める私の時間は貴重だっ。

 なのに、何故、隙あらば、アイリーンの顔を見に来てしまうのだろうっ。

 不思議でならぬっ」


「それは、ほらっ。

 恋なんじゃないですかねっ?」

 

「こんな滅多に会えない場所にいるから、会いたいと願い、手に入れたいと渇望してしまうだけなのではないかっ?」


「いや、愛なんじゃないですかねっ?」


 他の部下たちは静かにしていたが、二人がずっと言い合っているので、気づいた男の使用人たちが助けに来てくれた。


 エルダーが崖上に引っ張り上げてもらうと、目の前にアイリーンがいた。

 

 知性に富んだ瞳が自分を見つめている。


 エルダーは彼女の顔を見た瞬間に言ってしまっていた。


「平地に住め」


 いや、平地に住めってどんな命令だ……という顔をアイリーンはしていた。



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