12:トラブル
――放課後。対抗戦の練習へ向かった三人を見送って、今日の授業の振り返りを行うために一人、教室に残っていた。毎日新しいことが詰め込まれる脳みそは、古いことからすぐに忘れてしまう。
あまり遅くなっては同室のセシリーが心配するので、窓から差し込む光がオレンジ色になりだした頃、私は荷物をまとめて教室から出た。そして寮部屋へと向かうべく、長い廊下を歩き、中庭を抜けて――中庭の隅に、なにやら複数の人影を見つけた。
数は三……いや、四人だ。その中の頭一つ分小さい人影に、見覚えがあった。
(……あれ、ノアくん?)
少し離れているのと逆光になっているせいで判断に迷ったが、あの長い前髪にふわふわとした後頭部は間違いない、ノアくんだ。向こうはこちらに気づいていないようだが、「練習お疲れ様」の一言ぐらいかけたいな、と思い近づき――気がついた。
ノアくん以外の三つの人影が、何やらニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていることに。ノアくんが頭を下げて逃げようとしたのを、三人で囲って逃げられないようにしたことに。
もしかして、これは。
(別のクラスの生徒に絡まれてる!? って、お財布出してない!?)
ノアくんが鞄からなにやら四角いものを取り出した。ここからではしっかり見えないが、まさかお財布じゃないだろうか。
明らかに友人と談笑している雰囲気ではなくて、慌てた挙句私は愚かな真似をしてしまった。ノアくんを助けるべく、無策で声をかけてしまったのだ。
「ノアくん!」
「あ?」
そうすれば当然、ノアくんに絡んでいた不良三人組もこちらを向く。ノアくんは口の動きだけで「マリアさん」と私の名前を呼ぶと、いけない、というように首を振った。
(つい声かけちゃったよ〜。でも見て見ぬ振りはできないし……)
誰か応援を呼んでから声をかけるべきだった。元の世界で不良を通報した経験がないからどう動けばいいのか全く分からない。
とにかく第三者の登場に不良三人が驚きを隠せていない今のうちに、さっさとノアくんを彼らから引き離そう。そう思い、早足でノアくんに近づきその手首を取った。
「先生が探してたよ。一緒に行こう」
「おい、お前も第五生徒だろ」
ノアくんの手首を引いて数歩不良たちから離れたところで、慌てたようにその中の一人が声をかけてくる。びくりと心臓は跳ねたが足は止めずにぺこりと会釈した。
「すみません、急いでいるので」
「んだぁ? 珍しい黒髪だから覚えてんだよ。おい、無視すんな」
――異世界人は何かあると人の髪を掴む習性なのか。それとも私がポニーテールにしているのが悪いのか。
ぐい、と後ろから髪を引っ張られて不可抗力で足を止めてしまった。ぶちぶちぶち、と髪の毛が抜けた音がする。
「いった!」
「そ、その手を離してください!」
ノアくんが震える声で、しかし勇敢に不良三人に食って掛かってくれる。自分より体が大きく、先ほどまで絡まれていた男たちに声を荒げるのは恐ろしいだろうに、私が下手に助けに入ったばかりに――
「第五生徒が生意気な!」
「そちらから絡んできたんでしょう!」
不良が声を荒げる。ノアくんも負けじと言い返す。その騒ぎを聞きつけてか、中庭には野次馬たちが集まり出していた。
彼らは今この瞬間、私が不良に髪を掴まれている姿を目撃している。それなのに、
(誰も助けてくれない――)
誰も仲裁に入ろうとしてくれない。なんで、どうして。先生を呼んでくるだけでもいいのに。みんな迷惑そうに顔を歪めて、遠巻きに眺めるだけ。
悲しくて、悔しくて、じわりと涙が浮かんだ。私たちが第五生徒だから、落ちこぼれだからいけないのか。困っている人がいたら助けてやれとご両親は教えてくれなかったのか。エリート様はそんな冷たい人ばかりなのか。
いつまで経っても助けてくれないエリート様たちに対する悲しみは、やがて腹の底でぐつぐつと煮えたぎる怒りへ姿を変えた。誰も助けてくれないなら、自分たちで何とかするしかない。
絡んでくるエリート様も、見て見ぬ振りをするエリート様も――大嫌いだ!
私は自分の髪を掴んでいる男子生徒の胸板に頭突きする。思わぬ反撃に男子生徒はよろめき、ようやく髪が解放された。
キューティクルが失われてしまった自分の髪を哀れみつつ、唖然と目を丸くしている不良たちをきっと睨みつける。
「第五生徒だからって何ですか! 同じポルタリア魔法学院の生徒でしょう! ノアくんからお金を巻きあげようとしていたの、私見ましたから!」
周りの野次馬に聞こえるように、これ以上なく声を張り上げた。人に怒った経験が今までほとんどなく、声がところどころ裏返ってしまったが、腹の底からぶちまけるのは悪い気分ではなかった。
不良たちは私の言葉に表情を一変させた。眉を吊り上げ、目尻を吊り上げ、顔を赤くさせる。これぐらいの反撃で怒るほど短気なら、そもそも絡んで来なければいいのに。
ノアくんの手を取る。そして野次馬たちに向かって走り出した。木を隠すなら森の中、人を隠すなら人混みの中だ。
「待ちやがれ!」
背後から声が上がる。不思議と恐ろしくはなかった。
走り、走り――ぐい、と誰かに腕を掴まれた。不良たちの声は後ろだ。一体誰だろう、と顔を上げれば――ギルバートがそこに立っていた。その隣にはルシアンくんもいる。駆けつけてくれたのだろうか。
「てめぇら!」
振り返れば、不良たちが追い付いてきたところだった。
ギルバートとルシアンくんが私たち二人を庇うように前に出る。不良たちは私やノアくんより背格好がしっかりしている男子生徒の登場に、若干ではあるものの動揺しているように見えた。
「マリアたちに何の用だ」
ギロリ、と睨みをきかせるギルバート。美形は凄むと恐ろしい。
不良たちも負けじと睨んできた。が、しかし、
「第四生徒のブロース・ルッテにマチアス・バスチエ。それとパーヴェル・ピゴロフ。どうやら生活指導を受けてるみたいだな」
「な、なんで俺らの名前を……」
「今回のこともしっかりと記録させてもらったから、先生に提出させてもらう。明日が楽しみだ」
ルシアンくんの言葉に怯むと、しっぽを巻いて逃げて行った。相手を選んで喧嘩を売るタイプだったようだ。余計に腹が立つ。
あまりに呆気ない喧嘩の結末に、野次馬たちもすぐに興味をなくして周りから去っていった。結局最後まで誰一人助けてくれる人はいなかったが、大事にならずによかった。
私たち四人以外がすっかり中庭から立ち去った後、ルシアンくんは私とノアくんをベンチへ座らせた。そして目線を合わせるようにしゃがみ込み、首を傾げる。
「マリア、ノア、遅くなってごめん。大丈夫だったか?」
――ルシアンくんの言葉に、今まで抑え込んでいた恐怖が押し寄せてきた。それと同時に涙がぶわっと溢れてくる。
無策で声をかけた私が馬鹿だった。怖かった。誰も助けてくれなくて悲しかった。悔しかった。ノアくんが無事でよかった。ルシアンくんたちが来てくれて、本当に嬉しかった。安心した。
「う、うぅぅ〜〜〜」
泣いている顔を見られたくなくて、両手で顔を覆う。そのため三人の反応は見えなかったが、隣に座るノアくんと正面にしゃがむルシアンくんがわたわたと慌てだしたのは気配で分かった。
「マ、マリアさん! 僕のせいで怖い思いさせてしまってごめんなさい!」
ノアくんが謝ることじゃない、と何度も首を振る。そしてノアくんが気に病まないよう、涙の訳を嗚咽交じりではあるが説明した。
「だ、大丈夫。周りにたくさん人がいるのに、だ、誰も助けてくれなくて……悔しかっただけ」
私の言葉に数秒の沈黙が落ちる。ぽん、と頭に大きな手が置かれて、私はゆっくりと顔を上げた。私の頭を撫でていたのは、ルシアンくん――ではなく、なんと驚くべきことにギルバートだった。
そんなことするキャラだったの、ギルバート。
「エリート様は落ちこぼれには厳しいんだよ。遅くなって悪かった」
――ギルバートはこの世界の在り方をよく思っていないレジスタンスの一員だ。エリート様に対する嫌悪感は、もしかすると人一倍強い。だからエリート様に絡まれた私に、いつもより優しいのだろうか。
頭を撫でてきた理由は分からないが、それでも人の体温というのは安心するものだ。徐々に涙の勢いは収まってきた。
不意にルシアンくんが顔を覗き込んできた。そして、
「第四生徒に言い返してたの、かっこよかったよ、マリア」
思わぬ誉め言葉を頂いて、照れを隠すように曖昧に笑った。あのときは腹が立っていたから強く出られたものの、今思うと中々思い切ったことを言ったな、と思う。
その後しばらく、私の涙が落ち着くまで談笑した。今日の練習で連携が取れるようになってきた、だとか、差し入れのサンドイッチがおいしかった、だとか、和やかな会話を交わし、さてそろそろ落ち着いたし帰ろうか、となったときだった。
今まで真顔で適当な相槌しかうっていなかったギルバートが、ふと口を開いたのだ。
「しばらく一人で行動しない方がいい。アンタは珍しい黒髪だから覚えられてるだろうし、一人で行動していると今回みたいに絡まれるかもしれない」
「え?」
思わぬ提案に首を傾げる。私がしっかりとギルバートの言葉を咀嚼しきる前に、ルシアンくんが同意した。
「ギルバートの言う通りかもな。少なくともマリアはしばらく一人で出歩かない方がいい」
――なんて、あれよあれよという間に寮部屋の前まで毎日誰かしらが付き添ってくれる話になってしまった。
確かに私は魔力を持っていない。それに非力だ。今回みたいに絡まれても、一人で対抗する術を持っていない。そして悲しいかな、周りに助けを求めても確実に助けてくれるとは言えない。
なるほど今の状況を顧みるに、ギルバートの提案には頷いておくべきなのだろう。それは分かっているのだが、
「それじゃあマリア、また明日。今日はゆっくり休んで」
「う、うん、また明日……」
寮部屋の入口までわざわざ付き添ってくれるということが落ち着かないし、申し訳ない。
私が扉を閉めるまで優しい笑みで廊下に立ってくれていたルシアンくんを見て、明日からの差し入れはもっと豪勢なものにしよう、と心に決めた。
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