06:ルームメイト
セオドリク先生の案内でやってきたのは、まるでお城の一室かと見間違えるほど豪華な学院長室だった。
赤い絨毯、シャンデリア、重厚感のあるシックな机――そしてその部屋で私を待っていたのは、おひげがダンディな紳士。白髪、ではなくグレーの髪色なのだろう、髭も全く同じ色だ。
紳士は私の顔を見るなり顔を明るくさせて、金の瞳を細めた。
「やぁやぁ、よく来てくれたね! さ、座って座って!」
勧められるままに革張りの長椅子に腰かける。セオドリク先生は隣に座らず、入口付近に控えていた。
机を挟んで向こう側の椅子に紳士もまた腰かける。そして私の目をじっと見つめながら、彼は口を開いた。
「私はこの学院の学院長、カルヴァン・ファリントンだ。よろしく頼むよ、マリア君」
カルヴァンと名乗った優しそうな紳士がどうやらこの学院の学院長らしい。学院長からの呼び出しなんて、てっきり「裏口入学だから必死に励めよ」などと締められるのかと思っていたが、そんな雰囲気は微塵も感じられない。
「まず初めに、辛かっただろうによく我が学院への入学を決心してくれた。本当にありがとう」
それどころか感謝の気持ちを述べられて、面食らってしまう。
てっきり私は実験台の上にあげられたモルモットのつもりでいたが、もしかするとそんなことはないのかもしれない。
「い、いえ、そんな……。こちらこそ、ありがとうございます」
「我々はできるだけ君をサポートするよ。何かあればすぐに言って欲しい。それとー……」
学院長は私の背後、つまりはセオドリク先生を見やった。その視線に誘われるように椅子に座ったまま背後を振り返る。すると丁度セオドリク先生が扉を開けようとしているところだった。
扉が開いた先にいたのは、同じ制服を着た少女だった。桃色の髪はふわふわとウェーブを描き、緑色の瞳は宝石のようにきらめいている。大きな瞳、長い睫毛、通った鼻筋、しっとり色づく唇――まごうことなき、美少女。
「今年度新入生の首席、セシリア・ノークス君だ。君の寮のルームメイトだよ」
「えっ」
情報量が多い。
まず、この美少女の名前はセシリアさん。彼女はなんと新入生の首席で――私の寮のルームメイトらしい。
なぜ裏口入門の私の同室が首席の子なのか。問題児に優等生をつけて学院側も安心したいという魂胆か。いやいやそれはともかく、同室の子ならば仲良くなりたい。面倒もかけるだろうし、なるべく好印象を与えられるように笑みを浮かべて、それから――あぁ、考えが纏まらない。
「彼女にもサポートを頼んでいる。何かあったら相談するといい」
「よ、よろしくお願いします!」
セシリアさんはぺこりと可愛らしく頭を下げた。私もつられるようにして、若干椅子から腰を浮かべた中腰の状態で頭を下げる。
「学院長、そろそろ……」
――と、今まで黙って見守ってくれていたセオドリク先生が突然口を挟む。どうやら学院長はこの後用事があるようだ。
「あぁ、もう時間か。マリア君、すまないね。そろそろ失礼させてもらうよ」
そう私に断りを入れて、彼は慌ただしく席から立ちあがる。やはり世界一の名門校の学院長ともなると忙しいのだろう。
急いでいるだろうに学院長は優雅な動きで扉の前まで歩み寄ると、最後にくるりとこちらを振り返った。
「大切なことを言い忘れていた! マリア君、君の事情を知っているのはセシリア君、そして一部教員だけだ。具体的にいうと君のクラスの担任であるセオドリク先生と、養護教諭のドロシア先生、そして私。それ以外の人には決して事情を悟られないよう、気をつけるんだよ」
そう早口でまくし立てて、カルヴァン学院長は退室した。
(裏口入学だもんなぁ)
部屋の主がいなくなった学院長室でぽつり、と思う。
おそらくこの学院に通う生徒は、難関の試験を潜り抜けてきたエリートたちばかりだ。この学院に通うために、いろんなものを捨ててきた人だっているかもしれない。そんな人生をかけて入学した学院に、いくら事情が事情だろうと魔力を持たない落ちこぼれが紛れ込んでいると知ったら――快く思わない人も当然いるだろう。
魔力がないことを他人に知られないように細心の注意を払って、卒業までの二年間で第三の道を探す。よくよく考えればなかなか難易度の高いミッションだ。しかし――やるしかない。
やってやろうじゃないか。当たって砕けろ、失うものは何もないのだから。どれだけ失敗しようと、悪の救世主に仕立て上げられるよりはずっとマシだ。
「それじゃあ、ノークスさん。カーガさんを寮まで案内してくれるかな?」
メラメラと一人で闘志を燃やしていたところにセオドリク先生の声がかかって、はっと我に返る。セシリアさんの緑の瞳が遠慮がちにこちらに向いたので、にっこり笑って会釈をすれば、彼女の緊張した面持ちがほんの少し緩んだ。
セオドリク先生に見送られて、私とセシリアさんは理事長室を後にした。
長い廊下を彼女の案内で歩き出す。気まずい沈黙になんだかむずむずと落ち着かなくて、セシリアさんと仲良くなりたいという下心もあり、思わず声をかけた。
「えっと、セシリアさん? 色々と面倒をかけることもあると思うけど、よろしくお願いします」
「は、はいっ、よろしくお願いしますっ」
力の入った返事に苦笑する。
おしとやかそうな子だが、人見知りだったりするのだろうか。
「あの、同級生だよね? だったらそんな畏まらなくても大丈夫だよ」
「う、うん。よろしくね、マリアさん」
マリアさん、なんてまだまだ距離が遠い。
知り合ったばかりなのだからそれも当然と言えたが、今の私はとにかく“友人”という存在を欲していた。やけに毒を持っているイルマも、不愛想すぎるギルバートも、今一番近しい存在ではあるものの、正直友人とは呼べない。
セシリアさんと、友達になりたい。
「さんなんてつけなくていいよ。迷惑ばっかりかけるだろうし」
「じゃあ……マリアちゃん」
「うん!」
僅かに頬を赤らめてはにかむセシリアさんは、同性の目から見てもかわいらしい。こんなにかわいくて、しかも主席だなんて。この世界の神様は「天は二物を与えず」という言葉を知らないのだろうか。知らなくて当たり前か。
「わたしのことも、よかったらセシリーって呼んで」
思わぬ言葉に私は目を丸くして――それから大きく頷いた。セシリー、だなんて愛称もかわいい。
それから多少ぎこちなさはあるものの、寮部屋につくまで、そしてついてからも、セシリーと他愛ない会話を楽しんだ。といっても私は魔力と記憶を失っている設定だから、セシリーの家族の話だとか、趣味の話だとか、最近読んだ本の話だとか、本当に他愛もない雑談だ。しかしこの世界に来て初めてと言っていいほど穏やかな時間で。
――ちなみに、寮部屋にはローブおじさんから制服の代えと沢山の衣服、そして手紙が届いていた。手紙の内容をざっくり要約すると季節ごとに衣服は送る、定期的にギルバートを通して金銭も渡す、入学おめでとうございます、とのことだ。
私が“救世主さま”であるうちは、衣食住には困らない。だから衣食住に関して心配する必要のないこの二年の間に、私は第三の道を探し出さなければならないのだ。
正直不安しかない。けれどもう、私の学生生活は始まってしまった。始まってしまった以上、卒業式へのカウントダウンも始まる。
(悪の救世主にだけは、絶対になりたくない――!)
まるで高級ホテルの一室のような豪華な寮部屋で、荷物をほどきながら強く思った。
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