17:勝敗
――開始の合図が鳴った瞬間、ギルバートに腕を引かれて引きずられるようにして走り出した。
「走れ! 森の中に隠れて時間を稼ぐ!」
訳も分からずとにかく頷き、走る。すぐ近くで魔法が発動した音が複数聞こえて、恐ろしさのあまり目尻に涙が浮かんだ。
ギルバートは時折振り返って魔法で応戦しているようだった。その際、ちっ、と彼は舌を打つ。
「三人がかりかよ!」
ギルバートの苛立ちが滲む言葉に、第一生徒の代表生徒全員が私とギルバートを追ってきているのだと知る。ギルバートの挑発は随分と効力を発揮しているらしい。
ルシアンくんが一刻も早く旗を見つけてくれることを祈りながら、私は腕を引かれるままひたすら走ることしかできない。それでもギルバートの必死の応戦のおかげで私に魔法が当たることは一切なかったのだが――走り抜けた先に、崖が広がっていた。
「……誘導されたな」
ぽつり、とギルバートは忌々し気に呟く。ノアくんが第二生徒にされたことと全く一緒だ。
普段のギルバートであればこんな誘導に引っかからなかっただろうが、三対一で、更には私を守りながらという状態では普段できることもできなくなるに決まっている。
後ろからがさりという物音がしたかと思うと、第一生徒三人が現れた。彼らはニタニタと嫌な笑みを浮かべながらこちらの様子を窺っている。
ギルバートと二人、じりじりと崖に追い詰められていく。一体どうすればいいのか、と彼を見上げたとき、
「……先に走って、崖から飛び降りろ」
「えぇっ!?」
思いもしなかった言葉がギルバートから発せられた。
飛び降りろって、ここから? この崖から?
確認するように後ろを振り返る。崖の下には森が広がっており、ノアくんのようにもしかすると自然のクッションが受け止めてくれるかもしれないが――どう考えても無理だ。足が震える。
突然ギルバートが上空に向かって魔法を放つ。その魔法はまるで花火のように、一定の高さでバン、と弾けた。
「すぐに追う。怪我はさせない。走れ!」
「行かせるか!」
第一生徒は全員束になって次から次へと攻撃を仕掛けてくる。ギルバートは私を背後に守りながら応戦する。それがどれだけ大変なことか、彼の額に浮かぶ汗で分かった。
ここで私を守りながら三人を相手していたら、いずれは消耗しきってしまう。それは分かっている。分かっているが、
(崖から飛び降りろって言われたって――!)
崖下を覗き込む。その高さに足がすくむ。でも――このまま第一生徒たちの思い通りに潰れるのは、絶対に嫌だ。
大きく数度深呼吸をする。下を見ないようにぐっと顎を上げる。そして助走をつけるべく、少しだけ後退した。
「マリア、飛べ!」
「しっ、信じてるからね!」
ギルバートは私の言葉に頷いた。力を持たない私が出来るのは、クラスメイトを信じること。ただそれだけだ。
もう一度深呼吸をする。脳裏に両親や友人の顔が過って、こんな走馬灯は縁起でもない、と大きく首を振った。
大丈夫。死にはしない。だってこれは学校行事だ。流石に腐りきったエリート学院でも、生徒が亡くなる事故は起こしたくないはず。
薄目に前を見て駆け出す。一歩、二歩、三歩、四歩――崖の直前で、思い切り地面を蹴った。
ふわり、という一瞬の浮遊感。しかし次の瞬間、体全身に大きな風の抵抗を受ける。あぁ、自分は落ちているのだ、と思い知らされるような衝撃だった。
「ぎゃあああ――!」
恐怖心から情けない悲鳴を上げてしまう。ぎゅっと目を閉じて、体を守るように身を丸めることしかできなかった。
このまま地面に体が叩きつけられて死ぬのか――そう思った瞬間、ふわっと体が浮かびあがる感覚がした。気のせいではない。下から何かが私の体を持ち上げている。
恐る恐る目を開けた。すると何メートルか下に地面があり、私の真下には緑の魔法陣が浮かんでいるのが目に入る。風の魔法陣だ。おそらく下から風で私の体を持ち上げているのだろう。そして、その魔法を使っているのは――
「マリア!」
頼れるクラスメイト、ルシアンくんだった。
旗を探していた彼がどうしてここに――と考え、先ほどギルバートが放った花火のような魔法は、ルシアンくんへの合図だったのではないかと思い至る。ゆっくりと近づいてくる地面に、何はともあれ助かった、とほっと息をついた。
ゆっくりと地面に足を付ける。自分が生きていることを確かめるように数度地面を踏みしめて、それからルシアンくんに問いかけた。
「ル、ルシアンくん、私、生きてる?」
「生きてる」
「よ、よがっだぁ~」
思わず涙声で生きている喜びを噛み締めてしまう。崖から飛び降りる経験なんてもうこれっきりでお願いしたい。
しかし泣いている暇はない、と涙をふく。そしてルシアンくんを見上げた。そうすれば彼は笑顔で頷いてくれる。
「ギルバートが引きつけてる間に旗を探そう!」
ルシアンくんに手を引かれ、森の中を散策する。しかし中々旗は見つからない。ルシアンくん曰く、光を発しているので近くまでいけば分かる、とのことだったが――
瞬間、右手から炎が上がった。魔法だ。反射的に飛び上がると、ルシアンくんにぐっと肩を抱かれる。
「ちっ、もう追手がかかった!」
ギルバートが敗れたとは思えないが、やはり三対一では全員を引き留めておくのは難しかったのだろう。森を走り抜け、必死に魔法を掻い潜る。
ルシアンくんもギルバートも、私を守りながらでは本領発揮できないのは明らかだ。ならいっそのこと、私はさっさと守護石を発動させて、退場した方が良いのではないかと思い始めた。必死に守ろうとしてくれた二人には申し訳ないし、正直魔法を真正面から受けるのは恐ろしいが――
そう思い、私の足の動きが鈍ったせいだろうか。私のすぐ足元に魔法陣が現れ、それに気づいたルシアンくんが私を庇うようにして地面に倒れこんだ。
「うわっ!」
「ぎゃっ!」
間一髪、足が焼けるのはなんとか避けることができたが、しっとりと濡れた地面に倒れこんだことで制服や頬に泥が付いてしまう。ルシアンくんに庇ってもらったおかげで大きな怪我はないが、それでも無傷とはいかなかった。
いたた、と小さく呟きながら体を起こす。すぐに動かなければ、次の魔法が来る。
立ち上がるべく前を見据えたときだった。少し先にある大きな大樹の根元に、光り輝く“何か”があることに気が付いた。
「あれ、あの光……?」
「マリア、怪我は?」
「ちょっとだけ。ねぇ、それよりもあっち見て。あの光って……」
光り輝く“何か”を指さす。するとルシアンくんはそちらを見やり「あ!」と声をあげた。
「旗だ!」
見つけた、と喜んだのも束の間、再び近くで炎が上がる。
「うわっ!」
きっと第一生徒はすぐ近くまで来ている。ここから走って大樹の許へ向かうとして、その道中、背後に魔法が直撃する可能性は十分ある。
一か八かで逃げ切るか、迎え撃つか。私はルシアンくんを見上げた。恐らくは周りの気配を探っているのだろう、彼は瞼を伏せて集中しているようだった。
「……マリア、あそこまで走れるか?」
突然ルシアンくんは私の耳元で囁く。え、と声をこぼせば、彼は真剣な声音で続けた。
「オレがあいつを引きつける。その間に旗を取りに行って欲しい」
数秒の間をおいて、それから頷く。できないなんて言えない。ここまで守ってきてもらったのだ。最後くらい、私も彼らの役に立ちたい。
「……が、頑張ります」
「任せた」
ぽん、と背中を叩かれる。ルシアンくんの顔をみて頷き、一気に地面を蹴った。
走る、走る、走る。後ろから魔法が発動する音が聞こえる。ルシアンくんが第一生徒とやりあっているのであろう爆発音に、心臓がバクバクする。
運動は得意な方だった。体育はそれなりにいい成績をおさめてきたし、リレーの選手にだって選ばれたこともある。だから足の速さには自信がある。それなのに、遠い。光が、旗が、勝利が、遠い。
(もっとはやく、もっとはやく、動け!)
心の中で叫ぶ。足を必死に上げて、必死に地面を蹴って、前へ進む。
――この世界に来てから私はずっと無力だった。それはこれからもきっと変わらない。魔力を持たない私は、自分の無力さを痛感させられる瞬間に何度も立ち会うだろう。
それでも、逃げてばかりは嫌だ。守ってもらうばかりは嫌だ。他人に人生を決められるのは嫌だ。自分の足で立って、自分で道を選んで、自分だけの人生を生きたい。
光が近づく。その光の中に徐々に旗の形が浮かび上がってきた。精一杯手を伸ばす。
(あと少し――!)
――瞬間、背後から大きな爆発音がした。かと思うと、突風に襲われて前に倒れこんでしまう。地面に倒れるその刹那、腕を伸ばしたままぎゅっと目を閉じて、それから――指先に何かが触れた。
どしゃり、と地面に体が叩きつけられる。全身に痛みが走りうめき声がこぼれたが、腕も足も大きな怪我はなく動かせた。
ゆっくりと瞼を上げる。真正面からルシアンくんと第一生徒の魔法がぶつかったのだろうか、周りには煙が充満していた。
体を起こす。徐々に煙が晴れていき――自分の右手に、旗が握られていることに気が付いた。その旗はどういう原理かは分からないが、ピカピカと光を発している。
「……旗、とれた?」
ぽつり、と呟いた瞬間。ピィ――! と甲高い笛の音が鼓膜を劈いた。この笛は試合終了の合図だ。
笛が鳴った。つまり試合は終了した。と、いうことは――私が旗を取ったのだ!
「マリア! オレたち勝った! マリアのお陰だ!」
どうにかこうにか立ち上がったところに、ルシアンくんが笑顔で駆け寄ってくる。
――あれ、おかしいな。ルシアンくんの姿がふらついている。
「か、てた?」
――あ、これ、ふらついてるのは私の方だ。
そう自覚した瞬間、もう立っていられなかった。ふら、と体が傾く。遠のく意識の中、ルシアンくんが体を支えてくれたのが分かった。
「マリア、おい、マリア!?」
――ルシアンくんが必死に自分の名前を呼んでいる声を聞きながら、私は意識を失った。
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