16:出場



 ――ノアくんが崖下に落ちた。

 それを見た瞬間、届くはずもないと分かっているのに手を思い切り前へ伸ばしてしまう。



「ノアくん!」



 ノアくんのことで頭がいっぱいだった私は、その数秒後にギルバートが旗を取り、第五生徒が勝利したことに気づかなかった。セオドリク先生は第五生徒の勝利を見届け、きちんと危険がないことを確認してからノアくんへ近づくためにグリフォンを操る。

 崖下、木々の隙間を縫ってグリフォンは見事に着地した。着地するなり私は倒れこんでいるノアくんに駆け寄る。崖下には学院側が念のため用意したのだろうか、落ち葉などによってできた自然のクッションがあり、ノア君の体に目立つ傷跡は見られなかった。



「ノアくん、大丈夫!?」


「だ、大丈夫です……うぅ」



 声をかければ意識はある。しかしすぐに起き上がれないようだ。

 変に刺激しないよう、ノアくんの体には触れずにじっと様子を窺う。どうしようとノアくんの周りで私がおろおろしていたら、



「ノア!」



 ルシアンくんとギルバートも駆けつけてきた。ルシアンくんは手早くノアくんを背負い、ギルバートは何かもの言いたげにセオドリク先生を見つめる。

 ギルバートの視線を受けて、セオドリク先生はしっかりと頷いた。



「明らかに反則行為だ。抗議してくるよ」


「俺たちはとりあえず救護室に」



 セオドリク先生は再びグリフォンに乗って上空へと飛んだ。私はノアくんを背負うルシアンくんの後ろを、おろおろしつつ付いていく。

 今回の件は、一歩間違えば命に関わる。いくら落ちこぼれ組が気に入らないからって、こんな危険なことをする生徒がいるなんて。腹の底から湧いてきたのは恐怖と怒りだ。ただそれ以上にノアくんがどうか大きな怪我をしていませんように、という願い。

 ――救護室のベッドに寝かされたノアくんの顔色は悪くなかった。養護教諭のドロシア先生にも一通り見てもらったが、特に大きな怪我はないようだ。

 その事実にほっとしたのも束の間、ノアくんの表情は晴れなかった。



「すみません、せっかくここまで勝ち進んできたのに……」


「いいっていいって。ノアがいなきゃここまで勝ち進めなかっただろうし」



 自分のせいで対抗戦を棄権しなければならない状況に――なにせ私は魔力を持たないから彼の代わりに出場できない――負い目を感じてしまっているらしい。ノアくんが謝ることは一つもないのに! と思いつつ、完全見学の私がでしゃばる話題でもないと思い、ルシアンくんの言葉に勢いよく頷くだけに留める。



「第二生徒に勝てば十分だろ。な、ギルバート」


「あぁ。けど、対抗戦であちこちに恨みを買っただろうな」



 第五生徒が勝ち進むことを面白く思っていなかったエリート様はどれだけいるのだろうか。クラスメイトの活躍は喜ばしいが、正直明日から憂鬱だ。



「試合は棄権しよう」



 ルシアンくんの提案に、全員が頷いた――その瞬間だった。

 ガタン! と大きな音を立てて救護室の扉が開く。エリート様の殴り込みか!? と全員一斉に振り向いて、そこに立っていた予想外の人物に目を丸くした。



「――マリアちゃん!」


「セシリー、どうしたの!?」



 走ってきたのだろう、桃色の可愛らしい髪がぼさぼさになっているルームメイトのセシリーがそこに立っていた。

 初めて見る彼女の切羽詰まった姿に、何か良くないことが起きたのだろうという予感がした。セシリーは「マリアちゃん」と再び私の名前を呼んで、息も絶え絶えに口を開く。



「大変なの、マリアちゃんが出場選手に――!」



 ――セシリーの言葉を聞くや否や、両隣にいたルシアンくんとギルバートが走り出した。その後に続くセシリー。私は正直セシリーの伝えてくれた情報を正確に飲み込めず、ただ反射的に、三人の背中を追うように駆け出した。

 前を行く三人が足を止めたのは待機所にある掲示板の前。そこには、各クラスの対抗戦出場選手の名簿が貼られている。

 セシリーが一点を指さす。じっと目を凝らせば――ノア・タッチェルの名前に赤線が引かれ、その隣に赤文字でマリア・カーガと書かれていた。

 なぜ自分の名前がここに書かれているのか、理解できなかった。



「わ、私の名前が書かれてる……どういうこと……」


「ノアが怪我で出られないから自動的にマリアが繰り上がったんだ。実行本部に棄権って伝えてくる」



 私が理解するよりも早く、ルシアンくんは再び駆け出す――と思いきや、その行く手を見知らぬ生徒三人に阻まれた。



「棄権は認められません」


「はぁ? 権利として棄権はできたはずだよな」



 ギルバートが睨みつける。しかし彼らは怖気づくことなく、それどころか三人――おそらくは次に戦う第一生徒の代表選手三人――のうちの一人は鼻で笑って口を開いた。



「実行本部のタネリ先生がお前たちの棄権を認めなかったんだよ、諦めな」


「棄権を認めないなんて、そんなこと……」



 セシリーの震える声を聞きながら、私はようやく状況を理解し始めていた。

 ノアくんが怪我で倒れた。もう出場はできない。けれど第五生徒は勝利したので次の試合に出なければならない。となると怪我で欠場するノアくんの代わりに出られる生徒は――私しかいない。

 それは無理だと棄権しようにも、どうやらどこぞの先生がそれを認めなかったようだ。そんなことってある!?



「すまない、みんな。俺より立場の強い実行本部のタネリ先生が、第五生徒の棄権を認めなかったんだ」



 背後からセオドリク先生の声が聞こえて振り返る。そこには苦虫を噛み潰したような、初めて見る険しい表情のセオドリク先生が立っていた。

 棄権を認めない、ということの意味が分からない。棄権とは全チームに与えられた権利だろう。なぜそれを認めないなどという理不尽がまかり通るのか。なぜそこまで第五生徒の棄権を認めたくないのか。



「どうして……」


「よほど俺たちを晒し者にしたいらしいな」


「え、えぇ……」



 ギルバートが吐き捨てるように言った言葉に困惑の声がこぼれる。

 第五生徒が活躍したから? だからもっと優秀な生徒に負かされる姿を見て、留飲を下げたいと、そういうことなのだろうか。そんなのあまりにも――性格が悪すぎる! 生徒だけでなく、生徒を守らなければならないはずの教師もこんな思考だなんて信じたくない。

 ルシアンくんが隣で腕を組んだ。そして数秒考え込んだ後、ゆっくりと口を開く。眉間に皺が寄り、声はいつもよりずっと低かった。



「実行本部の決定に逆らって棄権すればどんな罰が待っているか分からないしな……最悪退学だ。さっさと出てさっさと負けるしかないか」


「いや、さっさと勝った方がいい」



 ギルバートの言葉にルシアンくんだけでなく、私たちの行く手を阻んでいたエリート様三人もはっと目を見開いた。

 目の前の三人をじっと睨みつけ、それからギルバートは鼻で笑う。挑発するような態度だった。



「下劣な奴らのことだ、第二生徒どもがノアにしたのと同じことをするに決まってる。旗なんか放っておいて、俺たちに攻撃を仕掛けてくるだろ」



 それは分かりやすい売り言葉だった。しかし第一生徒の三人はその言葉に顔を真っ赤にして「思い知らせてやる!」とその場から踵を返す。いくらなんでも沸点が低すぎだろう。

 第一生徒がすっかりその場から去った後、ギルバートは私とルシアンくんに向き直る。そして改めて言った。



「マリアを一秒でもはやく戦場から引かせるには、俺らがさっさと旗を取るのが一番だ」



 ギルバートの主張は、確かに頷けるものだった。

 負ける方法は二つ。全員の守護石が発動して三人とも失格になるか、相手に旗を取られるか。どちらも相手方の出方によって負けるまでの時間が左右される。例えば相手が旗を見つけられなかったら、例えば、相手が守護石が発動しない程度のちまちまとした嫌がらせばかり仕掛けてきたら――

 一方で、勝つ方法は一つ。旗を取る。それだけだ。こちらが開始直後に旗を取ってしまえば、それで試合は終わる。相手方の行動は関係ない。

 なるほど確かに、場合によっては私たちが勝利への最短ルートを通った方が早く事が終わるだろう。しかし、出来るかどうかは別問題だ。

 戦力は実質二人。いくらルシアンくんとギルバートが優秀だといっても、私という大きなお荷物を抱えて、どこまでできるか――



「――よし、やってやるか」



 しかしルシアンくんは、どこか楽し気な声音でそう応えた。思わず彼を見やる。彼は好戦的な笑みを浮かべていた。

 覚悟が決まっていないのは私だけだ。そう思うと足が震える。指先がどんどん冷たくなる。万が一があったら、私はどうなってしまうんだろう。こんなところで、死にたくない――

 震える私に気づいたのか、セシリーがぎゅっと私の手を握った。



「マリアちゃん、これを。私の守護石。持ってないよね?」



 そう言って自分の首にかかっていた守護石を私の首にかけてくれる。彼女の言う通り、ノアくんに支給された守護石はもらってきていないから今私の手元にはない。

 守護石をぎゅっと握る。なんだか温かいような気がして、ほんの少しだけ、恐怖が和らいだ。

 棄権すれば最悪退学。それは絶対に避けたい。棄権しない道を選ぶなら、試合に出るしかない。

 大丈夫、大丈夫だ。そう自分に言い聞かせる。

 守護石はある。セオドリク先生も上空で常に見守ってくれているはず。そして何より、残りの二人は特別生徒でもおかしくない、優秀な魔術師の卵だ。こんなところで怖気づいてどうする。この世界では、これからは、自分で道を切り開いていかなければならないのだ。腹を決めろ、マリア・カーガ!

 ぐ、と足の震えを止めるように踏ん張って立つ。



「今、セオドリク先生が学院長を呼びにいってる。止められるのは学院長だけだって。第一生徒との試合を乗り切れば、次は特別生徒との試合だよ。そうなったらわたしも棄権を訴えるから、時間が稼げる」



 セシリーは早口で捲し立てる。私の手を握る彼女の手も若干震えているように思えた。

 目をつむって大きく深呼吸する。

 大丈夫。一試合乗り切ればいいのだ。大丈夫。大丈夫。ルシアンくんはクラスメイトである私を守ろうとしてくれるはず。ギルバートは救世主さまである私を、こんなところで死なせることは絶対に避けたいはず。クラスメイトを信じよう。

 ――伏せていた目を開ける。もう腹は決まっていた。



「私はどうすればいい?」



 問いかける。すぐさまギルバートが答えた。



「恐らくマリアが狙われる。常に俺が側について敵を引きつけるから、旗はルシアン、お前に任せた」


「はいよ」



 なるほど、先ほど第一生徒を挑発していたのは狙いを自身と私に集中させ、ルシアンくんへの関心を低くしようという魂胆だったのか。

 とにかく私はギルバートの傍にいればいいらしい。単純明快だ。私は言われたことをするだけ。



「マリア、絶対に怪我はさせないから。ギルバートから離れないでくれよ」


「う、うん」



 ルシアンくんは「すぐに終わらせるからな」と笑う。それに歪ながらも微笑み返した。

 ――短い作戦会議を終え、招集がかかった。先ほどまでグリフォンに乗り高みの見物をしていたフィールドに、まさか立つことになるとは思ってもみなかった。

 心臓がバクバクとうるさい。落ち着かせるように何度も深呼吸を繰り返した。



「アンタに怪我はさせない。約束する」



 隣に立つギルバートが小さく呟いた。誓いにも似た強い言葉に、安心する私がいる。

 ギルバート――そしてレジスタンスにとって、私は決して失ってはいけない重要人物だろう。万が一の裏切りがなければ、ギルバートは必死に守ってくれるはずだ。だから安心しろ、大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。



「お仲間の怪我は大丈夫でしたかー? 俺たちも加減できなかったらすみませんね。如何せん、魔力が強いですから」



 深呼吸を繰り返していたところに、対戦相手である第一生徒がニヤニヤとしながら話しかけてくる。完全な嫌味だ。敬語なのが余計に腹が立つ。



「腹立つな、あいつら」



 ルシアンくんはそう吐き捨てる。私も心の底から同意した。

 ――しかしここまで腹が立つクソ野郎に徹してくれて、かえってよかったかもしれない。戦うことに躊躇いがなくなる。同情もなくなる。もっとも、戦うのは私ではなくギルバートとルシアンくんの二人だが。やっちゃえ二人とも! という心境だ。

 ちらりとギルバートの様子を盗み見る。彼は笑っていた。



「噛み付いてやるよ、エリートども」



 ――そして、開始が告げられた。


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