18:帰りたい



 ふ、と意識が浮上する。瞼を開けて、真っ先に視界に飛び込んできたのは、寮部屋でもレジスタンスで与えられた一室でもましてや元の世界の自分の家でもない、見知らぬ天井。

 なぜ私はこの見知らぬ天井を見上げているのだろう、とぼんやりと記憶を辿って――対抗戦が終わった後、意識を失ったことを思い出した。思わずがばっと体を起こす。一瞬眩暈がした。



「こ、ここは!?」


「起きたか」



 声のした方を見やる。そこに立っていたのは、



「ギ、ギルバートくん……」



 相変わらず冷たさを感じる整った顔でこちらを見下ろすギルバートだった。

 彼はベッドサイドに近づいてきたかと思うと、私をじっと見つめながら口を開く。



「旗を取った後、アンタは気を失って今まで救護室で眠ってた」


「対抗戦は!?」


「セオドリク教員の知らせを受けて急遽戻った学院長によって中止にされた。反則行為をした者、また俺たちの棄権を認めなかった教員は処分されるらしい」



 心の中でカルヴァン学院長を崇める。初めて会ったときの印象通り、彼は心優しく生徒思いの紳士のようだ。学校のトップまで腐りきっていなくて本当によかった。

 私が気を失った後中止になったということは、第五生徒と特別生徒の試合は行われなかったのだろう。私がセシリーの守護石を借りてしまっていたから、あのまま彼女が対抗戦に出ていたらと考えたら恐ろしい。中止になってよかった。

 ほっと息をつき、それから問いかけた。



「そっか、よかった……。ところで私どれくらい寝てた?」


「丸一日」


「丸一日ぃ!?」



 思わず大きな声が出る。随分と頭がすっきりしたように思っていたが、まさか丸一日眠りこけていたとは予想外だ。

 当然授業は欠席してしまったし、皆に心配をかけてしまったことだろう。ギルバートとルシアンくんが命がけで守ってくれたので、大きな怪我は一切していないはずだ。実際今はどこも痛くない。――いや、筋肉痛で体中しぬほど痛い。けれど、怪我による痛みはないはずだ。

 おそらく極度の緊張と疲労で一日寝てしまったのだろう。



「教員を呼んでくる」



 ギルバートはそう告げると足早に退室した。

 ゆっくりと体を起こし、伸びをしてみる。そうすれば体がギシギシと悲鳴を上げた。こちらの世界に来てからろくに運動をしていなかったから、体がなまりきっている。

 今後のことも考えて、また体力づくりも兼ねて、ジョギングでも始めようかな、などとぼんやり考えていたら、扉の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。かと思うと、



「マリアちゃん!」


「セシリー!」



 息を切らしたセシリーが救護室の扉を開けた。

 彼女はこちらまで駆け寄ってきたかと思うと、涙を浮かべて私の手を取る。そしてその手に頬ずりして、噛み締めるように呟いた。



「よかった、目が覚めて……。止められなくてごめんね……」



 セシリーに謝ってもらうようなことは何一つない。私は慌てて首を振る。



「そんな、セシリーが気にすることないよ。心配してくれてありがとう」



 セシリーは私の言葉に小刻みに首を振るばかりで、それ以上は何も言わなかった。ただ私の手を握り、ぽろぽろと涙をこぼす。

 美少女は泣き顔まで美少女なんだなぁ、なんてことをこっそり思いつつ、まさかここまで心配をかけてしまっていたとは思わず、どんどん申し訳なくなってくる。私の馬鹿。何のんきにぐーすか寝てたんだ。怪我もしていないくせに。この世界唯一の友達に心配をかけるな。

 「カーガさん」と呼びかけられて顔を上げる。そこにはいつの間にいたのやら、セオドリク先生が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。



「目が覚めてよかった。今週はもう明日でお終いだから休みなさい。大丈夫、欠席にはカウントしないから」


「セオドリク先生、ありがとうございます」



 欠席には含まれないというのはありがたい。基本的な学力が怪しい分、授業態度で点数を稼ぐという道しか私にはないのだ。

 


「頑張ったね。担任としても鼻が高い」



 セオドリク先生に褒められて「ありがとうございます」と照れ笑いで返す。何もできなかったが、確かに頑張った。今回ばかりは自分を褒めてあげよう。

 ――その後、セオドリク先生とセシリーは学院長に呼ばれていると言って、救護室から退室していった。部屋には再び私とギルバートの二人が残される。

 セシリーは退室する際、目尻に涙を浮かべてしきりにこちらを振り返っていた。心配してくれることは素直に嬉しいのだが、あそこまで気を病むことはないだろうに、とも思う。彼女自身、第五生徒には何もしていないのになぜあそこまで罪悪感を抱えているのだろう。



「なんでセシリーはあんなに気を病んでたのかな……」



 ぽつり、と呟いた言葉は、特にギルバートに答えを求めていたわけではない。どちらかというと独り言のつもりで呟いた。

 しかし予想外なことに、ギルバートは私の言葉に反応した。



「一年の首席、総代表だからだろ。総代表はその学年の生徒を束ねる責任がある。第五生徒に対する闘争心を抑えられなかったことに、総代表として情けなさを感じてるみたいだな」



 一年の首席、総代表だから。その理由に――あくまでギルバートが想像した理由だが――私は言葉を失ってしまう。

 私という訳アリ生徒の面倒を頼まれて、更には学年の生徒を束ねなければならないなんて。そんなのセシリーに負担が大きすぎる。そこまで学院側が彼女に望むなんてあまりに酷だ。

 


「そんな、同い年じゃない。セシリーが責任を感じるなんておかしいよ」


「力を持つ者は余計なものも背負わされるってことだ」



 ギルバートは腕を組んで、壁に体を預けながらため息交じりに言う。

 力のない者は虐げられ、力のあるものは多くを望まれる。それはあまりに息苦しい世界だ。そんなの、誰も幸せになれないじゃないか。



「この学校の人たち、みんなよりすぐりのエリートなのに……すごく生きづらそう」



 それは素直な感想だった。

 地元に戻れば英雄だと崇められるであろう彼らは、しかしこの学院では見下し見下されの狭く苦しい世界でどうにか息をしている。それでも彼らはこの学院に通いたいのだろうか。この世界ではそれほどにこの学院の影響力は大きいのだろうか。ポルタリア魔法学院卒という肩書は、何をしてでも手に入れたいものなのだろうか。

 きっとその疑問の答えはイエスだ。彼らはきっと、いいや、この世界の人々は全員、ポルタリア魔法学院に入学することを何よりの名誉とし、望んでいる。



(私はもっと、平凡な幸せがいい)



 学校に通って、仕事に就いて、もしかしたら大切な人に出会って、もしくは生き甲斐を見つけて。ときには疲れたと愚痴を言ったりして、ときには生活の中の小さな幸せを噛み締めたりして。

 元の世界で過ごしていたときは、そんな平々凡々な日々を送ることになるとばかり思っていた。しかしそんな普通の日々が、きっとこれ以上ない幸せなんだろう、と思っていて。

 けれどこの世界では、小さな幸せを噛み締める日々なんて、きっと一生こないのではないだろうか。



(あぁ……帰りたい)



 それは紛れもない本音だった。

 私が生まれ育った世界に、あの退屈とすら思っていた平々凡々な日々に、帰りたい。

 この世界に召喚されてからもう数か月が経過している。元の世界では行方不明者として警察が動いているのではないだろうか。両親や友人たちに心配をかけてしまっているはずだ。

 この世界にとどまり続けたら、やがて私は死んだものだと思われるだろう。いや、もしかしたらもう捜索が打ち切られているかもしれない。私の葬儀も行われていたりして――



(どうすればいいんだろう……)



 元の世界に帰る。それが叶わないのならば、せめて悪の組織の救世主にはならない。

 目標はこれ以上なくはっきりしているのだ。それなのに、その目標を達成するためにどうすればいいのかがまるで分からない。

 考えれば考えるほど分からなくなって、気が遠くなって――ほんの少しだけ、泣いた。


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