02:この世界のこと



 ふ、と意識が浮上する。見慣れない天井におかしいな、と首を傾げ――自分が今置かれている状況を思い出した。

 ――信じられない話だが、私は悪の組織(仮)にこの世界の王様を倒す“救世主さま”として異世界召喚されたらしい。そのあり得ない現実に打ちのめされて私は気を失ってしまった、というわけだ。

 目が覚めたら元の世界に戻っている――なんてことはなく、見慣れない天井が残酷な現実を突き付けてくる。はぁ、と小さくため息をついて、



「おはよーございまぁす、救世主サマ」



 ひょい、と顔を覗き込んできた見知らぬ顔に心臓がびくりと跳ねた。

 ぱちぱちと何度か瞬きをして、目の前の顔を徐々に認識する。少女だ。恐らくは同年代の。髪は少し色あせた朱色――とはいっても白のメッシュが毛先を中心に多く入っており、朱色と白が混じりあっている。そして目を引いたのは髪をツインテールに結んでいる大きな黒リボン。瞳の色は髪より鮮やかな朱色で、服装こそシンプルな黒のシャツワンピースだが、全体的になんというか――派手だ。

 反射的に「おはようございます」と言葉を返して、それから現状を把握すべく恐る恐る問いかけた。誰かは分からないが、私のことを救世主さまと呼ぶのならば、邪険に扱われることはないだろう。



「こ、ここは?」


「ここってどこのこと言ってますー? この部屋のこと? それともこの世界のこと?」


「りょ、両方」


「でしたらまず、この世界についてご説明しまぁす。この世界は三十二の国からできています。西と東に大国が二つあって、我々が今いるのは東の大国・ポルタリアです」



 恋人に甘えるような少女の甘ったるい声が鼓膜にこびりつくようだった。

 脳内に適当な大陸を描いた地図を思い浮かべ、西と東に大きめのスペースを取る。そして東の大陸に、【ポルタリア】と書き込んだ。



「ポルタリアは世界一の魔法大国で、世界中から優秀な魔術師が集まる国なんですよー」



 魔法大国との単語に、若干ではあるが気分が高まる。ファンタジー小説やゲームを通ってきた身としては、異世界召喚されたこの世界に魔法が存在しているというのは、不幸中の幸いかもしれない。

 ただ純粋に、この目で本物の魔法を見てみたい。――なんて、そんな無邪気にはしゃげる状況では到底ないけれど。



「救世主サマの世界には魔法は存在しましたー?」



 首を振る。そうすれば少女はにっこりと笑った。



「だったらまず、魔法のことからお話ししますねー。この世界に生まれた人々は皆、生まれながら魔力を持っているんです。その魔力の強さは人によってそれぞれ異なって、強い魔力を持って生まれれば将来は約束されたも同然なんですよー」



 ボッ、と少女が手のひらに炎を灯した。初めて見る魔法に思わず身を起こしたが、その炎は少女が拳を握ったことによってすぐに消えてしまう。



「反して言えば、微量の魔力しか持たない者はしっかりとした職にもありつけず、野垂れ死にます」



 ――野垂れ死ぬ。突如として突きつけられたその言葉に生唾を飲み込んだ。

 少女の話を聞くに、この世界の人々は全員魔力を持っている。そしてその魔力の強さによって、人生が決まると言っても過言ではない――

 この世界はもしかすると、私が暮らしていた世界よりずっとシビアな世界かもしれない。



「御察しの通り、この世界は魔力第一の世界なんですよー。生まれ落ちた瞬間に、全てが決まってしまうんですー」



 生まれた瞬間に全てが決まる、ということは、弱い魔力を修行によって強くすることは不可能なのだろうか。

 疑問に思ったが、口に出して話の流れを止めるほど重大な質問ではないと判断し、とりあえずはひたすら聞くに徹する。



「先ほど、我々が今いる国・ポルタリアは世界一の魔法大国と言いましたよねー? 魔力第一のこの世界において、強い魔術師を国に有することは何よりのステータスであり、他の国に対して優位に立つことができちゃいます」



 少女の口から紡がれていくこの世界の常識。



「つまりポルタリアは実質、この世界のトップ……そしてポルタリアの王は、全ての者の頂点に立ってるんですよー」



 強い魔力を持つ者が強者として存在し、強い魔術師を有する国が世界を支配し、その国のトップが全ての頂点に君臨する。残酷ながらひどく単純で分かりやすい、この世界の仕組みだった。

 ――ここで思い出す。私は悪王を倒すための救世主としてこの世界に召喚されたのだ。この悪王とはもしかすると、全ての頂点に立つとされるポルタリア王――だったりするのだろうか。



「……ついてこれてますー?」



 脳裏に浮かんだ仮説に絶望していたら――だって、この世界の頂点を倒すなんて不可能だ――少女が私の顔を覗き込んできた。放心しつつももう少し情報が欲しいため、ゆっくりと頷いて応える。



「そもそもなぜこの世界の人は生まれながら魔力を持つのか、なんですけどー……。それはポルタリアの王の祖先――創造神の加護によるものだと伝えられているんですよねー。創造神が従者である我々人間の祖に、加護として魔力を与えたってわけです」



 創造神なんて、随分と壮大な話になってきた。ますますファンタジー小説の設定を聞いているような気分になる。



「つまり魔力を持つもののルーツは全て、ポルタリア王に通じてるんですよー。ポルタリア王を殺そうと企てているここの連中たちも、全員」



 ――もしかすると、私は想像以上にとんでもないことのために呼び出されたのではないだろうか。私が倒せと言われた王はただの権力者ではない。この世界の始まりに通じる、創造神の末裔だ。神に歯向かうようなものだ。

 どんどん顔から血が引いていくのが自分でもわかった。ただの女子大生に神殺しをしろというのか。



「先程は加護、なんて良い言い方をしましたが、魔力を持っている人は即ち創造神の従者の末裔ってことになって、主の末裔であるポルタリア王に危害を加えることができないんですよぅ。生まれる前から絶対服従をその魂に刻まれちゃってますからねー。王をその手にかけようとした反逆者は、たちまち肉体が内側から弾け飛んじゃったそうですよー」



 ――だんだん話が読めてきた。なんの力も持たない私がここに呼ばれた理由も。

 私でなくてもよかったのだ。きっと誰でもよかった。――この世界の人間でなければ。



「つまり、ポルタリア王は誰からも邪魔されずこの世界を思うが儘にできるというわけです。そしてあたしたちはその現状を好ましく思っていません」



 なるほど確かに、少女の口から語られたあれこれが全て事実だとすれば、現状に不満を覚える者もいるかもしれない。

 ポルタリア王がどれだけ好き勝手やったとしても、この世界の人間は誰も王の行いに異を唱えることはできない。歯向かえば消されてしまう。――恐怖政治そのものだ。



「いくら我々が立ち上がろうと、ポルタリア王に触れることすらできない。なぜなら我々は生まれながらにしてポルタリア王の従者ですからねー。……でも、異世界からきた救世主サマは違います」



 想像通りに話が進んでいき、ガンガンと頭が痛みを訴えだした。その先の言葉は聞きたくなかった。

 しかし少女は私に覚悟させるように顔を覗き込んできて、しっかりと目線を合わせ、言う。



「ポルタリア王に絶対服従の証である魔力を持たないあなたならば、殺せる」



 ――予想通りだった。しかしだからといって、簡単に受け止められる言葉ではなかった。

 私でなくてもよかったのだ。いつも一緒にいた友人たちでも、大学の教授でも、もしかすると存在する更に別の世界の人間でない生命体だって、誰でもよかったはずだ。どうして私が選ばれてしまったのか。こんなとんでもない確率の不運を引き当てるぐらいなら、宝くじが当たって欲しかった。

 ああ、神様、なぜですか――なんて、元の世界で全く信じていなかった神に嘆いて、その神に等しい存在を殺せと言われているのだ、と自分が直面している現実に絶望する。

 少女はすっかり放心した私をちらりと見やると、再び口を開いた。



「以上、この世界の説明とあなたを呼んだ理由の説明でしたー! あ、ここは我々レジスタンスの集落でーす」



 この場に不釣り合いな少女の甘ったるい声が、やけに響いた。


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