世界を滅ぼす“救世主”として悪の組織に異世界召喚されました

日峰

01:異世界召喚されました



 それなりの高校からそれなりの大学に進学して、それなりのキャンパスライフを送っていた私、加賀かがまりあ。

 ようやく一人暮らしにも慣れてきたかなと思い始めたある朝、顔を洗おうと洗面台に向かい――



「救世主さまの召喚に成功したぞ!」



 ――気がつくと、目の前に黒いローブを着て歓喜に手と手を取り合うおじさんたちがいました。



(……えっ? さっきまで家にいたよね? 何ここ、夢? 寝落ちした?)



 照明は見当たらない暗い一室。しかしおじさんたちの顔がそれとなく認識できるのは、私の足元に広がる光る魔法陣のおかげだ。

 とりあえず王道に頬をつねってみる。痛い。夢じゃないかもしれない。

 次に手足の確認。足はついてる。手も動く。服装はパジャマがわりの見慣れたスウェット。

 必死に記憶を辿る。朝起きて、そのまま顔を洗いに行って、そこで洗面台の鏡が光って――



「救世主さま」



 しゃがれたおじさんの声に私はハッと顔を上げた。

 おじさんは白髪に白髭といった風貌だが、顔立ち自体は整っていて「おそらく昔は美形だったんだろうな」と漠然と思う。そんな彼はにっこりと微笑んでこちらに手を差し出した。

 細められたおじさんの目に、あ、と思う。青色の瞳だ。初めて見た。



「あなたは別の世界から私どもがお呼びした、この世界を救う“救世主”さまなのです。私たちはこの世界を救うため、巨悪を退ける力を持つあなたをずっと待っていたのです」



 ――おじさんの言葉の意味がわからなすぎて首を傾げることすらできなかった。

 よし、一つ一つ整理しよう。


 まず一つ目。おじさんは「別の世界から私どもがお呼びした」と言っていた。

 これはつまり――異世界に来てしまったというわけだろうか。実際私の部屋にこんなたくさんのおじさんはいなかったし、青い目を持つおじさんも近所には住んでいなかった。この暗い部屋を抜けた先に、見慣れた住宅街があるとはとてもじゃないが想像できない。

 私は日本ではない、別の世界に来てしまったのだろう――おそらく。それも、このおじさんたちの手によって、だ。

 異世界召喚なんてそんなことがありえる・ありえないの話は一旦置いておく。実際頬をつねっても痛かったのだ、間違いなくこれは現実だ。それならば否定するよりも受け入れ、早急に対策を練るしかない。


 二つ目。おじさんは私を“救世主さま”と呼んだ。

 私は至って普通の女子大生だ。救世主さまと呼ばれるような偉業は何一つ成し遂げていない。しかしあたりを見渡しても黒いローブを着たおじさんがたくさんいるだけで、他に“救世主さま”らしき人は見当たらない。

 全くもって意味が分からないが、とにかく私は彼らにとって“救世主さま”らしい。


 三つ目。おじさんが言うには“救世主さま”は「巨悪を退ける力」を持っているらしい。

 散々言うが私はしがない女子大生。そんな力なんて持っていない。

 ――なんだかだんだん怖くなってきた。もしかすると私は手違いでこの世界に来てしまったんじゃないだろうか。おじさんたちが呼ぶ人を間違えたのだ。そう、人違い。

 早く私にはそんな大層な力は備わっていないと知らせなくては。そして「人違いだったね」「あはは」「じゃあ元の世界に返すね、ごめんごめん」といった具合にあの狭いワンルームマンションに帰るのだ。



「あ、あの、大変恐縮なんですが、たぶん私、違います」



 震える声でどうにか言うと、おじさんは青い目を丸くした。



「私、救世主なんて柄じゃないし、そもそも巨悪を……巨悪って一体なんなのか知りませんけど、とにかくそんなすごいモノを退ける力なんて絶対に持ってません」



 早口で捲したてる。すると私が言わんとすることを理解しつつあるのか、おじさんの表情から次第に笑みが消えていった。

 その変化がなんだか怖くて、私はヘラヘラと軽薄な笑いで誤魔化しながら言葉を続ける。



「だから皆さんのご期待には添えないっていうか、そう、人違い――」


「救世主さま」



 ガシ、と力強く肩を掴まれ「ひっ」と小さな悲鳴が溢れた。思わず俯いていた顔を上げれば、真剣な表情をしたおじさんと目が合う。



「間違いではありません。私たちはずっとあなた様を待っていたのです」



 力強い言葉に私は狼狽える。

 私は特別な力を持っていないし、頭だって飛び抜けていいわけではない。本当に至って普通の女子大生だ。それは自分が一番よく知っている。

 今でこそ救世主さまだとかよく分からない呼び方で呼ばれ、なんだかよく分からないまま丁重なもてなしを受けているが、これが後々「人違いでした」となったときの反動が怖い。何も知らない異世界に一人ほっぽり出されては生きていけるはずもない。



「あの、だから――」


「あなた様はこの世界を救う救世主さまなのです。あなた様こそ、この世界の悪王を退けることが出来るのです。どうか我々にお力をお貸しください」



 力をお貸しください、と周りのおじさんたちも一斉に頭を下げる。その異様な光景に私は恐ろしくなって、思わず立ち上がった。

 だって、絶対人違いなのだ。私は救世主さまなんかじゃない。ただの女子大学生で――そこまで考えて、つい先ほどのおじさんの言葉に引っ掛かりを覚えた。

 おじさんは先ほどとは違い巨悪を退けろ、とは言わなかった。別の単語を使っていた。そう――アクオウ、と。



(アクオウ? ……悪王?)



 漢字を脳裏に思い浮かべる。悪王。悪い王さま。

 ――王さまをやっつける?

 だんだんと呼吸が浅くなる。

 王さまって、この世界の王と私の世界の王が同じ存在なのだとしたら、国で一番偉い人のことのはずだ。そもそもなぜ異世界なのに日本語が通じているんだろう。混乱しすぎて一周回って冷静になったが、言葉が通じていることよりももっと重大なことが目の前に突きつけられている。


 ――このおじさんたちは、私に王さまを倒せといっているの?


 周りを見渡す。暗い暗いと思っていたが、この部屋には窓が一つもない。地下だろうか。

 足元に浮かぶ魔法陣は紫の光を放っており、何やら禍々しさを感じる。魔法というファンタジーな存在には漫画や小説、ゲームや映画などで度々触れてきたが、それらの中に登場した魔法に当てはめるならば――敵側が使う何やらよくない魔法が、こんな色の光を纏っていた覚えがある。

 この世界ではむしろこの禍々しい色が正義の色なのかもしれない。だっておじさんたちは私のことを救世主さまと呼んだ。救世主さまとは、世界を救う英雄のことだろう。――そう私を呼んだおじさんたちは、怪しげな真っ黒なローブを身に纏っているけれど。

 よくよくあたりを見渡して、素直な、率直な感想としては。



(……悪の組織みたいじゃない?)



 そう思いたくはない。思いたくはないが、観察すればするほどその思いは強まる。

 怪しいローブを着た老人。禍々しい魔法陣。王を倒せという言葉。

 もしかしなくても、私は。



(悪の組織に異世界に呼ばれて、悪者側の怪しい“救世主”に祭り上げられそうになってる――!?)



 例えば魔王から世界を救う救世主ならば、こんなところでこんな人たちに出迎えられはしないだろう。 豪華絢爛な城や神殿の中で、色鮮やかな衣服に身を包んだ英雄たちに出迎えられるのではないか。



「救世主さま?」



 どうしたのですか、と私に手を差し伸べてくるおじさんは、もう悪の組織の一員としか思えない。

 私の恐怖は極限に達し――ふ、と意識を失ってその場に倒れこんだ。


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