11:差し入れ



 翌日。差し入れを持って、いつもより気持ち早く登校した。ルシアンくんたちが朝練をやっているかは分からなかったが、もしかしたら、という予感もあった。朝練をしていなくても、放課後に差し入れを渡せばいい話だ。

 両開きの豪華な扉を開けると――すごい勢いで水を飲んでいるルシアンくんと目が合った。予感は当たったかもしれない。



「おはよう、ルシアンくん」


「おー、おはよ、マリア」


「朝練やってきたの?」


「ん? うん。ノアとギルバートは一旦寮に戻って着替えてくるってさ」



 タオルで汗を拭きながらルシアンくんは笑う。早めに登校して正解だった。

 恐る恐る問いかけてみた。



「朝ごはん食べた?」


「まだ! 購買開いたら駆け込もうと思ってるんだけど、それまでもうちょい時間あんだよね。ってか、マリアこそ早いじゃん」



 これは差し入れを渡す絶好のチャンスだ! ――と思ったものの、渡す直前で急に、そこまで親しくないクラスメイトから差し入れをもらっても迷惑ではないかと不安に駆られた。しかし三人分の差し入れを自分のお昼にするには些か量が多すぎる。

 ルシアンくんなら迷惑だと思っても露骨に嫌な顔はしないだろうし、傷つけられることはないだろう――と、爽やかイケメンなクラスメイトを信じて切り出した。




「あー……三人とも朝練してるなら、差し入れしようかなと思って」


「えっ、マジで!? これ、もらっていいの!?」



 予想以上の食いつきに、驚きつつもなんだか嬉しくなる。



「本当に簡単なものだけど」



 そう予防線を張って差し入れが入った袋を手渡せば、ルシアンくんはその中からおにぎりを手に取った。そして躊躇いなくかぶりつく。



「うん、うまい!」


「ほんと? よかったー」



 セシリーにも味見をしてもらい、まずくないことは分かっていたが――そもそもおにぎりをまずく作ることは難しいだろう――おいしいと言ってもらえて安心する。

 ルシアンくんはそのまま数口でおにぎりを食べてしまった。口が大きい。

 まだお腹がすいているのか、ルシアンくんは差し入れ袋の中をじっと眺めながら、不意にぽつりと呟く。



「……マリア、気にすることないからな」


「え?」


「対抗戦のこと。体デカいやつが出るのが普通だから。マリア小柄じゃん」



 に、と爽やかに笑うルシアンくんが眩しい。眩しすぎる。身も心もイケメンだ。

 ルシアンくんのフォローの言葉を噛み締めながら、私は笑って頷く。



「あー、うん。ありがとう。でも出来ることはやりたいし。何か食べたいものとかあったら教えてね」


「じゃあオレ、甘いもんが食べたい!」



 無邪気に笑うルシアンくんがいつもより幼く見えて、なんだか微笑ましい。

 ルシアンくんは甘党なのだろうか。とにかく次の差し入れにはクッキーを作ってこよう、と心の中のメモに書き留めておく。

 その後少しの間、ルシアンくんから朝練の様子を聞いていた。ノアくんは二人の足を引っ張らないようにと張り切っているようで、意外や意外、ギルバートがそんなノアくんに丁寧に指導しているようだ。現状としてはそれなりにうまくやっていけているようで安心した。

 ――会話が一段落したときだった。扉が開いた音がしたかと思うと、ルシアンくんが素早く入ってきた人物に声をかける。



「お、ギルバート! それにノアも! マリアが差し入れ持ってきてくれたぞー」



 そこにはギルバートとノアくんが立っていた。若干ギルバートの髪が濡れている。汗をかいたからシャワーを浴びたのだろうか。風邪をひいてしまうだろうに。

 ノアくんはルシアンくんの言葉に目を輝かせてこちらに駆け寄ってきた。



「いいんですか、マリアさん!」


「うん、いっぱい食べて」



 そう言えばノアくんは嬉しそうに差し入れのサンドイッチにかぶりついた。思いの外一口が大きい。きっとお腹がすいていたのだろう。

 駆け寄ってきたノアくんとは対照的に、ギルバートはゆっくりとした歩調でこちらに歩み寄ってきた。ちらりと視線を寄こした彼に、とりあえず用意していた水を渡す。



「ギルバートくんも、お疲れ様」


「あぁ、どうも」



 幼馴染――という設定――のクラスメイトから差し入れをもらったんだから、もう少し愛想よくしろ! と思うものの、ギルバートは誰にでもこんな態度なんだろう、きっと。もう気にならなくなってきた。

 何より今は、愛想のなさより髪が濡れていることの方が気になる。遠目に見てしっとりしているな、とは思ったものの、近くで見るとかなり濡れている。タオルでもろくに拭いていないのではないか、と思うほどの濡れ具合で、毛先から滑り落ちる雫が床を濡らしていた。

 ――これはさすがに見過ごせない。

 私は差し入れと一緒に持ってきたタオルを手に持って、ギルバートに声をかけた。



「ギルバートくん、そこ、座って」


「は?」


「いいから!」



 半ば強引に椅子に座らせる。そして濡れた頭にタオルを被せると、ガシガシとそのまま拭いた。



「ちょっ、何すんだよ!」


「髪! このままだと風邪引いちゃうよ!」



 強い言葉に負けじと言い返せば、ギルバートは思いの外すぐに大人しくなった。実際私は正論を言っているはずだ。

 大人しく頭を拭かれているギルバートは、今までの不愛想とのギャップも相まって、なんだか少しかわいく思えてしまった。美形は得だ。



「流石のギルバートも、幼馴染相手だと大人しいんだな」


「黙れ」



 ルシアンくんの軽口に低く唸るような声で答えるギルバート。しかしもう誰も怯えることはなく、それどころかあたたかな笑い声が教室に響いた。

 うん、うまくやれそうだ。ギルバートのことはまだまだ分からないことだらけだけれど、仲良くなるに越したことはない。私の事情を一番分かっているのは彼だ。

 彼は私の監視役も兼ねているはず。監視の目の厳しさを緩めてもらうためにも、距離を縮めていかなければ。こういう不愛想タイプは一度心を開いた人には優しかったりするのだ。漫画や小説でたくさん見たパターンだ。――彼がそうかは分からないが。



「ギルバートくん、差し入れに入れておいて欲しいものってある?」



 沈黙。答えはない。しかし大人しく髪を拭かれているので、無視したというよりは考えているのではないかと思う。

 数秒の後、小さな声で彼は言った。



「アップルパイですかね」



 ――なぜ敬語?

 疑問に思いつつも、アップルパイという予想外の答えに驚いた。確かにアップルパイは美味しいが、まさかギルバートの口からその単語が出てくるとは。彼も甘いものが好きなのだろうか。

 しかし、アップルパイか。正直作ったことはないけれど――セシリーに協力してもらって作ってみよう。



「分かった。それじゃあ今度作って持ってくるね」



 その後しばらく、私はギルバートの髪を拭いていた。


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