第19話 ショッピングモールにて①
栞梨に家族と一緒に出掛けるからと、デートを断られた日曜日。俺は一人で県内で一番大きなショッピングモールに来ていた。自転車で三〇分ほどの距離にあるこの建物には、映画館も常設されている。俺の住んでいる県には映画館が片手で数えるほどしか存在しないため、自転車で行けるこの映画館の存在はありがたい。そして今日の目当ても映画を見ることである。
栞梨のことを信じる、そう決意したはずなのに、あの夜の出来事を想起するような言葉を聞くと胸騒ぎがした。先日、栞梨と帰宅したときに、カノジョの口からお泊りデートという言葉を聞いて、あの夜の出来事が頭に蘇ってきたことがあった。そのとき、あんなにも栞梨のことを信じようと思っていたはずなのに、俺はカノジョが親友の名前を呼んだ理由を知りたい欲求にかられてしまった。俺の身体の中にもう一人自分がいるように感じた。一人は栞梨を信じたい自分で、もう一人はあの出来事の理由を知りたがっている自分だ。もっと言えば、カノジョと親友の関係を疑う自分だ。汚らわしくて醜い魂を持つ俺の化身だ。この化け物を身体から追い出したかったが、どうすればこいつが消えるのか俺にはまったくわからなかった。
こうして主に自室に一人でいるときは、いつも悶々としていた。学校があるときは、必要以上に思い悩むことはなかったが、家に帰ると自分同士の戦いが始まり、頭がどうにかなりそうだった。そして今日は予定のない日曜日である。さすがに一日中、部屋で過ごすとおかしくなりそうだったので、映画を見に来たというわけだ。
ショッピングモールの最上階にある映画館へ行くために、エレベータに乗った。すると、そこに見知った金髪ツインテールの少女がいることに気づく。
「あれ、のら?」
「あ、センパイじゃないすか。ちっす」
のらは白いワンピースの上に茶色い半そでのニットを重ね着した服装だった。ワンピースの丈が膝上一〇センチくらいで、清楚でもあり、色気もあり、小悪魔な後輩によく似合っていた。
「え? センパイ、ビーサンでここまで来たんすか!」
のらがエレベータの中ということを忘れたのか、俺の足もとを見て驚きの声をあげた。
「おう。今日暑いからな」
ビーチサンダルを履いて、ロンT、ジーパン姿の俺は、後輩に理由を教えてあげる。
「ショッピングモールにビーサンですか……なかなか強メンタルですね」
のらは頬を引き攣らせていた。
「そうか? 今日暑いからな」
もう一度、後輩に理由を伝えると、それ以上はなにも言わなかった。え? 映画を見るのにビーサンで行くっておかしいのか? 俺は心の中で、誰かに向けて問いかけたのだった。
どうやらのらは、遊ぶ予定だった友達が風邪をひいたようで、急に暇になりこのショッピングモールに足を運んだみたいだった。とくに目的もなく来たようなので、のらを映画に誘って、一緒に鑑賞することにした。
「いやー、めっちゃ面白かったっすね! ラストシーンで全わたしが泣きましたよ!」
「……あれ、感動するシーンだったんだ」
映画に誘ってはみたものの、のらとは趣味があわず、俺が見たい映画はことごとく却下され、のらがオススメするサメ映画を見ることになった。サメ映画とは文字通り、鮫が出てくる映画のことだ。人食い鮫が現れて、人を襲うというのが基本的なストーリーである。最近のサメ映画は、ぶっ飛んだ設定のものが多いとは聞いたことがあったが、鑑賞した映画も常軌を逸していて、度肝を抜かれた。ここでは内容を紹介しないが、とにかくトンデモナイ映画であり、ラストシーンで全俺どころか一人の俺すら泣かなかったことだけはお伝えしておく。山にいても鮫に襲われるって、どういうこと?
「で、次はどこ行きます? 水着でも見にいきますか?」
俺をからかうように、にやにやと口元を弛めるのら。飲みかけのアイスティーの氷を、ストローでカラカラっと小気味よい音を立ててかき回していた。
「まだ五月だぜ。気が早いだろ」
俺はアイスコーヒーをストローで啜り上げた。映画を見終り、このあとの計画を俺とのらは立てていた。
「ホントはわたしの水着試着イベントを見たいくせに、素直じゃないっすね」
わざとらしく呆れたようにのらは溜め息を吐く。
「お前みたいなツルペタの水着姿って需要あんの? 俺、そんな性癖ないから」
「誰が幼児体型っすか。ていうか、わたし、胸けっこうあるんですよ。触り心地もいいって言われますし」
のらは、自分のスタイルのよさをアピールするように、背筋を伸ばして胸をはった。たしかに重ね着しているニットの膨らみからも、栞梨ほどではないが男子の視線を集めるくらい大きかった。
「ていうか、触り心地がいいって誰に言われたことあんの? 母親?」
後輩が聞き流せないようなことを言ってたので、疑問をぶつけてみた。
「……センパイって、たまに察しがいいですね」
極まりが悪そうに、のらはジト目で俺を睨んだ。
「でも、いいんですか、センパイ」
のらは口角を吊り上げて、にやりと不敵な笑みを浮かべる。
「いいって、なにが?」
「休日にしぃちゃん先輩以外の女子と、映画を見たり、カフェでお茶したりして。しかもその相手が、センパイのことを好きなわたしですよ」
まったく考えてもいなかったことだったので、いまの現状をどうするかよりも、客観的に物事をみる後輩に感心してしまった。
「そうだな、たしかに傍から見ると、これってデートだもんな」
後輩を見習って、冷静に現状を分析して、そのまま口にした。
「そうなんです! センパイ!」
突然のらは、なにに興奮したのかわからないが、勢いよく席から立ち上がった。そしてテーブルに手をつくと、身を乗り出して熱い口調で語り出した。
「これはデート。そう、デートなんです。正真正銘のデート、紛うことなくデート、いうなれば、完全なるデート! イッツ・ア・パーフェクト・デート! そこでセンパイに質問です。わたしとデートをこのまま続けたいですか?」
にやっと口角をあげてのらは俺に訊ねてきた。正直なところ、何回「デート」って言うんだよ! とツッコみたかった。しかし「デート」と口にするたびにのらの口元がによによと弛み、頬に手をあてていた。そこでようやく、のらはよほど俺とデートをしたかったんだなということに気づいた。そんなことを考えるくらい俺のことを慕ってくれて、素直に嬉しかった。だけど、俺にはカノジョがいるから、のらとはデートをすることはできない。後輩の期待に応えてあげることができず、自惚れているかもしれないが、申し訳なくなった。
「うーん、やっぱり、栞梨に対して後ろめたい気持ちになるから、帰ろうか」
俺からすると、ショッピングモールに行ったら、後輩と偶然出会い、お互いに予定がないから映画を一緒に見て、お茶しただけという認識だから、栞梨にも明日、そう伝えるつもりだった。だけど、のらの言うように客観的にみてデートだと捉えられる可能性はある。そのことに気づいたからには、これ以上のらと行動を共にすると、デートだと認識したうえでの行為ということになるだろう。それはさすがに、栞梨を裏切る行為だ。だから、のらにここで解散することを伝えた。
しかし、のらは、俺の言うことを理解できないのか、席を立とうとしない。
「センパイ、失礼しました」
「おう、お前は俺にいつも失礼なことを言うからな」
「それは愛情の裏返しです。て、そうじゃなくて。わたし、センパイにデートを続けるのか質問したのですが、実は質問じゃないんです」
謎かけのようなことをのらは言い出す。
「質問が質問ではない? どういうとだ」
「センパイは帰るつもりのようですが、デートを続けなければいけないんです」
「は? 栞梨を裏切るようなことはできないから、帰るって。ほら行くぞ」
のらとこれ以上議論しても無駄だと感じ、俺は伝票を掴んで立ち上がる。
「あれーホントにいいんですか。いま帰るんでしたら、今日の出来事をすべてしぃちゃん先輩に話しますよ。でも、デートを続けるのでしたら、黙っててあげますけど。それでも、センパイは帰るなんて言うんですか?」
デートを続けたいのらは、自分にとって有利な条件を提示して交渉をしていると考えているのだろう。しかし俺は、のらが栞梨に言っても言わなくても、きちんと報告するつもりだ。それでカノジョが不機嫌になったら、俺は全力で謝罪する。だから、そんな脅しのようなものは俺には関係ない。やはり帰ろうと、レジカウンターへ足を向けた。そのときのらが、俺の耳元でこう囁いてきた。
「いま帰ったら、膝枕のことも言っちゃいますからね」
背中に冷や汗が流れた。さすがにそのことを栞梨の耳に入れるわけにはいかない。
「……お前、それは」
「そうそう、わたしに抱きしめられて眠ったことも言っちゃおっ――むぐぐ」
人前で自分の醜態を晒されたくない俺は、慌ててのらの口を手で塞ぐ。
「もう、わかったから! デートでもなんでもするから、許してくれ」
「ふふん。最初からそう言えばいいんですよ。察しが悪いですね、センパイは」
勝ち誇ったように、のらは晴れやかな笑みを浮かべた。
「さぁ、わたしたちのデートを始めましょう!」
そう宣言して、軽やかな足取りでのらはカフェをあとにした。デアラかよ!
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