第10話 変化する日常②
変化はまだある。それはのらが図書委員会に所属したことだ。入学式の日の図書室でも言っていたように、のらは俺との学生生活を楽しむために、この高校に入ったのである。だから、のらが図書委員会に所属することは予想はできていた。とはいえ、のらと図書室で楽しく活動する日々は、予想以上に充実していた。のらと一緒に活動していた中学生時代の図書委員のときと同じように、楽しい時間だった。
「そういえば、もうすぐゴールデンウィークっすけど、センパイはなにか予定あるんすか?」
本の返却を終えて受付カウンターに戻ってきたのらは、俺にそう訊ねてきた。
「ん、ゴールデンウィークの予定か」
俺はスマホを取り出して、カレンダーのアプリを起動させる。
「うわっ、想像以上に予定はいってないっすね。さすが、ぼっちセンパイっす」
のらは俺の背中越しからスマホを覗きこんできた。
「おい、勝手に見んなよ」
スマホの画面を手で隠そうとしたが、のらはさらに身を乗り出してくる。ツインテールにしているのらの髪が顔に触れて、非常にくすぐったい。
「いいじゃないっすか。わたしとセンパイの仲なんだし」
「ただの先輩と後輩の仲だろ」
何を言っても聞かなさそうなので、俺は諦めてのらにスマホを見せることにした。
「え、ゴールデンウィークに勉強会するんすか? 頭大丈夫っすか?」
「どういう意味だよ。ていうかゴールデンウィーク明けに試験があるのはお前も知ってんだろ」
「いや、それは知ってますけど。なにもゴールデンウィークにまで勉強会をしなくて――あれ? このハートマークはなんすか?」
カレンダーの五月三日にハートのマークが付けられていることをのらに指摘されて、俺は口元が自然と緩んだ。
「うわっ、センパイ、キモっ!」
俺の顔を見て、のらは素直な感想を述べる。いや、失礼過ぎんだろ。
「あー、でもいまの表情でわかっちゃいましたよ。しぃちゃん先輩とデートなんでしょ」
その通りだったが、のらが俺に好意を抱いていると知っているから、やはり言いづらい。でも隠す必要もないので、肯定しようとしたとき。
「なにしてるのかなー、右京くんと野田ちゃんは」
生徒会の業務を終えた栞梨が、笑顔なのにまったく笑っていない目で俺とのらを見つめていた。なぜそんな目で見られているのか理解できない俺は、慌てていまの状況を確認した。背中越しにのらが身を乗り出しているということは――栞梨からは、のらが後ろから俺に抱きついているように見えたんだ。
どうやらのらも気づいたようで、すぐに俺たちは身体を放した。
「もう私がいないと、すぐ右京くんに手を出そうとするんだから」
「そういうつもりはなかったんすけど、しーぃちゃん先輩、すみません」
頭を掻きながら、のらは栞梨に謝った。
「あ、それより、この日ってどこかに遊びに行くんですか? センパイがハートマークを付けてるってことは、しぃちゃん先輩との予定ですよね?」
のらは栞梨に俺のスマホの画面を見せる。後輩にスマホを取り上げられた俺に、一瞬「なにしてるの」と不満そうにカノジョは視線を向けた。そして、のらに勝ち誇ったかのように告げた。
「ああ、その日はね、右京くんのお家でお泊りデートなんだ」
「おと、お泊り……センパイ、マジすか?」
のらの瞳はハイライトが消えたように暗く沈んで見えた。少し気が引けたが、お泊りデートは事実なのでこくこくと首を縦に振った。俺にそう告げられて、のらの動きは完全に停止した。こうして生きる屍が図書室に誕生した。
のらが動かなくなったため、後輩の分も仕事をしていると、図書室の扉が開いた。訪問してきたのは正道だった。親友は栞梨を見つけると、どうやら急ぎの業務を振られたようで、カノジョに手伝ってもらいたいとお願いしていた。栞梨は俺をちらりと見やり、俺が頷くと、「ごめんね」と手を合わせて正道と一緒に図書室を去った。正道も「悪い」と言ってくれたけど、親友には今度ジュースを奢ってもらおうことにしよう。
正道と栞梨が去ったあと、しばらくしてのらが復活した。のらは、まるでゾンビみたいにのそりのそりと俺に近づいてきた。身構えていると、俯いて顔を伏せている後輩の口からなにか漏れ聞こえてくる。耳をすませると。
「……るんすか……るんすか……」
「るんすか? なんだそれ? おい、のらどうした」
のらの肩を掴んで、正気になってもらおうと揺さぶった。するとのらは、突然顔をあげて、目をくわっと見開いた。
「やるんすか、って聞いてるんすよ!」
「うわ! 急に大声だすねよ。びっくりすんだろ。で、なんだって。 やるってなにをだ?」
理解できないことを聞いてきたのらに聞き返した。
「だから、お泊りデートっていったら、やるのが相場っすよね! センパイはどうなんすか! やるんすか?」
やっとのらの言いたいことが分かったが、答えに困った。本音を言うと、もちろん俺は栞梨とキス以上のことをしたいとは思っている。だけど、それは俺一人で決めることではないし、お互いの意思を尊重すべきことだ。だから、のらの質問の答えとして、たとえ軽口だとしても簡単に「やる」なんて言えないし、言いたくない。
俺は考えてることをありのまま伝えようかと迷っていると、のらは俺以上に思考の海に沈んでいるようで、ぶつぶつと呟いている。
「あれ、もしかして、センパイってもう童貞じゃない……? まさか……でも、あのむっつりなセンパイだし……それにセンパイのカノジョはおっぱいお化けのしぃちゃん先輩だし……そしてセンパイはおっぱい星人!……じゃ、じゃあ、おっぱいお化けがおっぱい星人を誘惑したら……ということは、もうすでにおっぱいお化けにおっぱい星人の童貞は……」
「待て待て待て、俺がおっぱい星人だということはこの際目をつむってやることにして、誰がおっぱいお化けだって。俺のカノジョを化け物扱いにしてんじゃねーよ。あと、別にお前に言う必要はないと思うが、俺童貞だから……」
のらはまだ考え込んでいるようで、俺の言葉は聞こえてないようだった。ていうか、何回「おっぱい」って口にしたんだ。
しばらくしてのらはようやく現実の世界に戻ってきた。そして大きな溜め息をついた。
「わかりました。もう諦めることにします。センパイの童貞は、しぃちゃん先輩に譲りましょう」
「お前、俺の下半身になんの権利があるんだよ」
半目でツッコミをいれた。
「だけどセンパイがいつの日かわたしと結ばれるときは、存分に気持ちよくしてあげますからね」
のらはにやりと口の端を上げた。そのときふと疑問に思って、のらに質問してみた。
「あれ、お前って経験あるんだっけ?」
のらは瞬時にぼふっという音が聞こえてきそうなほど顔が真っ赤になり、俺を恨めしそうな目で見てくる。
「……しょ、処女ですけど……なにか?」
さっきまで「やる」とか「童貞」とか「おっぱい」とか、照れることなく口にしていたのに、どうやら自分のことは恥ずかしみたいだった。
「……そっか。じゃあ、そろそろ仕事するか」
「……はい」
聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、心の中で反省した。なんとなく気まずくなった俺とのらは、そのあと黙って作業をした。
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