第25話 中学時代のわたしとセンパイ③

 事件から一週間ほど経過した頃、新しい動きがあった。なんとあの三人の先輩女子が停学になったのだ。どうやら彼女たちにも良心があったようで、自分たちの仕出かしたことで、まったく関係のない男子生徒(先輩)が停学処分をくらったことに気に病んでいたみたいだった。先生に正直に事情を話した彼女たちは、三週間の停学処分になった。それと入れ替わるように先輩の停学処分が解除された。

 わたしは先輩の登校初日に、図書室で疑問をぶつけた。「なんで、あのとき自分が財布をとったって言ったんですか?」と。先輩は相変わらず無表情な顔でこんなことを口にした。


「ん? こうなるだろうと思って」

「こうなる?」


 先輩の言っていることが分からなくて聞き返した。


「あいつらが正直に先生に話すと思ったから」


 聞けば、先輩と彼女たちはやはり面識があったようで、わたしにいやがらせはしている現場を何度か目撃していたようだった。その現場で彼女たちから、どこか後ろめたそうな雰囲気を感じたらしかった。だから無関係な生徒を巻き込んで、さらに停学にまでなったと知ったら、良心に苛まれると予想したうえでの行動だと話してくれた。


「結果として、先輩の予想通りになったからよかったけど。もし彼女たちが正直に言わなかったら、どうしてたんですか?」

「そのときは別の方法を考える」


 わたしには理解できなかった。それは先輩の答えにではない。わたしだって、やられっぱなしは嫌な性格だから、一回上手くいかなかったからといってすぐに諦めたりなんかしない。そのときは次に上手くいくための方法を探す。これは先輩と同じ考え方だと思うから、理解できる。わたしが理解できないのは、どうして先輩はわたしのために、自分が停学になるというリスクを背負ってまで、行動してくれたのかということだ。そのことが気になり、先輩に訊ねた。


「なんでそこまでして、わたしのことを庇ってくれたんですか?」


 先輩は少し逡巡してから答えた。


「それは、のらが俺にとって大切な存在の後輩だから」


 正直、驚いた。この半年ほどの間、一緒に委員会活動をしていただけのわたしを「大切な存在の後輩」と思っていてくれることに。そして先輩にそう思われていることを知り、わたしの胸の内側がじんわりと熱くなるのを感じた。


 センパイが自分を犠牲にしてまで、わたしを庇ってくれたことが嬉しかった。センパイの「大切な存在」であることが誇らしかった。


 センパイが身を挺してわたしを庇ってくれたのは、きっと先輩女子たちが二度といやがらせをしないようにするためだ。もしもセンパイがわたしの鞄から財布を抜き取っただけならば、その場ではなにも起こらなかっただろう。だけど、彼女たちはわたしを貶めるために、次なる作戦を立てるはずだ。センパイはそれを見越して、彼女たちが反省するように、自分が停学になる道を選んだのだ。

 わたしを庇うために。わたしがいやがらせを受けなくてすむように。大切な存在の後輩を守るために。

 そんな人に出会ったのは初めてだった。そんなにも誰かから大切に想ってもらえるのは初めてだった。センパイはまるでヒーローみたいな人だと、わたしはそのとき思った。

 同時に、センパイはこの先も「大切な存在」のためなら、自分を犠牲にしてでもその相手を守るのだろうと感じた。それは「大切な存在の親友」かもしれないし、「大切な存在の恋人」かもしれない。その人たちを大切にし、辛い想いや苦しまないように、手を差し伸べると思う。だけどそれはとてもセンパイにとって危険なことだ。

 危険の種類は二つある。一つは今回の停学のように、実際にセンパイが被害を被ること。停学ならば一定の期間で復帰は可能ではある。だけど例えば大切な存在の人が誰かに襲われているのを助けようとした場合、状況によっては命を失うことになるかもしれない。そうなるともう取り返しがつかないことになる。

 もう一つの危険は、センパイが自分を責めてしまうこと。それは停学処分が解除されてセンパイと会ったときにすぐにわかった。センパイは自分のした行動で、先輩女子たちを停学にしたことを心苦しく思っていることを。

 わたしからすれば、センパイの心情はとても矛盾しているとしか思えない。おそらくセンパイもまた同じように、自分の考えの矛盾に気づいてるはずだ。だけどセンパイはそれよりも、大切な後輩をいやがらせから守るためとはいえ、本当にあの行動でよかったのかとか、停学にまでさせたのはやり過ぎだったのだろうかとか、他になにか手はなかったのかとか、ずっと考えているとわたしには思えてならない。センパイの表情が辛そうだから、きっとわたしの考えは合っているはずだ。そしていつかセンパイが壊れてしまうときが来るような気がして、とても怖くなった。

 だからもう自分を犠牲にしてまで、こんな危険なことはしてほしくないと心から思った。

 わたしはセンパイの行動によって、これから先いやがらせを受けることはなくなることには感謝している。だけど、もう二度とこんなことはしてもらいたくない。わたしはこのことはしっかりとセンパイに伝えようと、しっかりと彼の真っ直ぐな瞳を見つめる。


「センパイ。お願いですから、もうこんなことをするのはやめてください」


 わたしは頭を下げてお願いをした。センパイからの返答がないので、顔をあげた。するとセンパイは困ったような少し悲しそうな表情をしていた。


「わかった。悪かったな、のら」


 センパイはそう言うと、図書室をあとにした。そんな顔をさせるためにわたしは言ったわけではない。センパイのことを困らせるために言ったわけではない。きっとセンパイは、わたしの言葉で思い悩むことは火を見るよりも明らかだ。だからわたしは「待って」と声をかけようとした。だけど声が出なかった。これ以上センパイを傷つける言葉を言いたくなかったから。しかし原因はそれだけではなかった。わたしはセンパイに嫌われたくないと思ったからだ。それは初めての感情だった。初めて誰かに嫌われたくないと強く思った。その場では理解できない感情だった。でも数日後、それはセンパイのことが好きだからだということをわたしは理解した。


 こうしてセンパイに対する自分の気持ちに気づいたわけだけど、図書委員会の活動も終わり、センパイとの接点はすっかりなくなってしまった。学年が違うこともあり、廊下ですれ違うこともなかった。下校の時間に、たまに校庭でセンパイが帰る姿を見かけたが、苦しそうな顔をしていて、わたしは声をかけることができなかった。

 そんなふうになにもできないまま、やがてセンパイは中学校を卒業していった。


 高校に入学してからの話はもういいだろう。ただ一つだけ許せないことがあるから言っておきたい。

 わたしは市川栞梨が嫌いだ。別に恋敵だという理由ではない。たしかにやっと大好きなセンパイと同じ高校へ入学したと思ったら、カノジョが出来ていたことはめちゃめちゃショックだった。だけどセンパイとまーくん先輩、そして市川栞梨と一緒に登校するようになってからは、わたしは割と穏やかな気持ちだった。センパイが市川栞梨を大切に想っていることは伝わってきたし、彼女もまたわたしの想いには劣るけれど、センパイのことが好きな気持ちが充分なほど分かったからだ。わたしは付き合うということにはこだわらない性格なので、センパイが市川栞梨と付きあうことで幸せであればそれでいいと考えていた。

 だけどゴールデンウィーク明け、センパイの苦しそうな表情に彼女が気づかなかったことがわたしには許せなかった。それ以降も、センパイはずっと辛そうだったのに、市川栞梨はまったく気づいていなかった。好きならそのことに気づいて、センパイの心の傷を癒やしてあげて欲しかった。センパイがなにに苦しんでいるのかを知ろうとして、それが自分が原因であると思ったのなら、誤解であればきちんと説明して、彼を労わってあげてもらいたかった。なのに、市川栞梨はまったく気づく素振りすらなく、わたしを絶望させた。

 言っておくが、わたしがセンパイの表情から感情を読み取るのは、なにも特殊能力などではない。現にセンパイのママさんは、センパイが苦しそうなときに気づいている。本来であればカノジョである市川栞梨は、わたしやママさん以上にセンパイの感情に敏感であるべきなのに。本当にセンパイのことをしっかりと見ているのか疑問に思ってしまうのだ。

 そういう理由でわたしは、市川栞梨が嫌いだ。それに、センパイを苦しめる原因となった市川栞梨も嫌いだ。

 わたしはセンパイがこれ以上、壊れてしまわないように守りたい。結果的に市川栞梨と別れなくても、別れてもどっちでもいい。わたしを選んでくれなくても構わない。

 わたしはわたしのやり方で、センパイの苦しみを和らげたい。

 ただそれだけだ。

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