お兄ちゃんストップ

 狛が満月を見やり、昂に視線を戻して続けた。


「言っただろう? 月が合図だ。須佐神側が動く。須佐神側は妖術を使って倭の民を惑わせている、言わば俺たちハヤトの敵だ。だが大御神と意思疎通が可能で、尚且つ俺たちの神気を格上げさせる美月の存在はヤマト側には都合が悪い。まだ不完全な俺たちの隙を狙って、この八尋殿やひろどのへ美月の力を奪いに急襲をかけてくるだろう」

「そんな……。なんでお前たちのことで、睡蓮が危険な目に遭わなきゃならないんだ! 巻き込むな!」


 昂は一歩前へ踏み込んで、一心に訴え掛けた。だが、


「「それは」」


 狛の声が睡蓮のものと重なった。

 昂は何か言いたげに狛を見たが、眉間の皺を戻していつもの穏やかな表情をする。しかし振り返って睡蓮を見た途端、昂は頬を強張らせてしまう。


「昂くん。それはきっと、私が陽の巫女だからです……」

「睡蓮……」


 どことなく寂しそうに自分を呼ぶ昂を、睡蓮はとても申し訳なさそうに見た。

 そこへ大きな手のひらが乗る。太秦だ。頭を撫でられる睡蓮だけでなく、昂までピクリと反応した。


「さすがは陽の巫女。疾うに運命さだめを受け入れているのだな。それに比べてお前は嘆いてばかりか? 呪符が扱えるなら、我ら陽の巫女の助力をしてみせよ」

「……っ、睡蓮はお前らのじゃない!」

「フン。では、お前のものだと言うのか?」

「ああそうだ!」


 睨み合う昂と太秦の間で睡蓮が困惑していると、


「「ATフィールド!」」


 白狐と黒狐が入ってくる。

 二人は昂と太秦の前に立ち、睡蓮を守るように両腕を使ってアルファベットのAとTを元気いっぱいに模した。

 白狐は睡蓮に目配せをして二ッと白い歯を見せると、もう一度前を向く。太秦を見上げて口を開いた。


「まあまあ、太秦さん。こいつも巫女さまと同じで、神仏を大切にしているってわかるっすよね? なんせ陰陽師っすよ? おまけに狐の気高き匂いだってしてくる。最高じゃあないっすか!」

「そうそう。まだ実戦に向いていないとは言っても、陰陽五行なんてマジなかなかのチートっす。それに巫女さまをお護りするには、こいつのまじないも一役どころか、二役も三役も買うはずっすよ!?」


 睡蓮にウインクしてから、そう黒狐が白狐に調子を合わせた。白狐はさらに続ける。


「昂も元気出せよ~。どのみち大御神のリスポーン後じゃないと帰還は無理だしさ」

「そうそう、白狐の言う通り、伝承の通り。巫女さまが覚醒しちゃった時から不可避なんだよ、わりいけど」

「お、おい。勝手に肩を組んで来るなって」


 昂を気に掛けている様子の白狐と黒狐。それを嫌がりながらも強く言わない昂。その三人の様子に、睡蓮はそっと睫毛を寝かせて目を細める。だが一拍置いて呼吸を整えると、何か意を決したように凛と姿勢を正した。


「あの、昂くん。それから皆さん。少しいいですか?」

「ああ言ってごらん、睡蓮」


 昂はすぐに顔を上げて応える。白狐と黒狐もじゃれ合う手を止めた。

 腕組みをした太秦は優しい眼差しを、狛は流し目であったりと三者三様だが、一斉に睡蓮へ耳を傾けた。


「ありがとうございます」とお辞儀をしてから、睡蓮は話し始める。


「自分でもどうしてなのかわからないのですけれど、あのお月様を見てから私は、こちらへの想いが強くなっていくように感じているのです。不思議ですよね……美しさに魅せられているのでしょうか。そして今、少しずつですが私の心に流れてくるのです。こちらの……倭の方たちの苦しみが。なので皆さん、私たちを気遣ってくださるのはとても嬉しいのですけれど、本当はもっと切迫しているのでしょう? 私の力というのが役立つのなら、ぜひお手伝いしたいのです」


 睡蓮は満月を見たり、瞼を閉じたり、皆へ視線を移したりしながら一人一人へ想いを伝えていく。そして最後に「それから……」と呟くと、昂に向き直って頭を下げた。


「昂くん。巻き込んでおきながら、勝手にすみません」

「睡蓮……って、ちょっと待った!」


 さっき昂と狛が、左右から睡蓮の手元を引っ張った所為だろう。

 昂は徐々に肩から滑り落ちていく睡蓮の狩衣にあたふたした。狛だけは目を泳がすが、他の三人の視線が睡蓮の胸元に集中する。


「こ、こら、お前ら。いつまで組んでんだって」


 昂は煩わしそうに両肩に乗った白狐と黒狐の二人の腕を振り払う。そして先程の白狐と黒狐ではないが、昂ははだけそうになる胸元を遮るように、睡蓮に背を向けて両腕を広げた。


「すみません……」

「いやいや違う違う。俺が好きで来たんだ。それはいいから睡蓮、早く襟元直して。あと脇にある紐も止め直しといてっ」

「へ? あっ、は、はい」


 睡蓮は慌てて後ろを向くと、昂に言われた通りにした。

 布の擦れる音が聞こえてくると、昂は口を真一文字に結んで、決め込んだように顔をしかめる。


「うわぁ、腕を広げたまま硬直しちゃったよ。お兄ちゃんストップうざァ~」

「ほんとそれ。でもな~んか、ずるいんだよなぁ……」


 耳打ちし合う白狐と黒狐に、真っ赤な顔になった昂が目をカッと見開いて「うるさい。ずるくない。俺は兄じゃない!」と、リズム良く噛み付いたのだった。

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