触れさせない

「あ、あちらにいらっしゃるかたが須佐神さんですか……?」


「ああ」と返事をする狛の傍ら、須佐神と初めて対面する睡蓮と昂は、圧倒的な凄みに思わず息を呑んだ。


「睡蓮、俺の傍から離れたら駄目だからな」

「はい」


 睡蓮は頷くと、じっと身構える。


「なんて威厳のあるお方なのでしょうか……」


「ラスボス感が凄いよね」と、昂が張った障壁の外側まで戻って来た白狐と黒狐が、睡蓮に笑いかけながら冗談っぽく返した。

 しかし二人の笑顔には余裕がなく、頬に流れ落ちるのは冷汗だろう。


 須佐神。その姿はおおよそ訊いていた通り屈強な体躯はることながら、額から突き出る牛のような二本の鋭い角と、顔に施された歌舞伎の隈取くまどりを彷彿とさせる青色の模様が目を引く。


 そんな須佐神に兢々きょうきょうとして内側に折れていた睡蓮の耳先が、ぴんと立った。


「どうした睡蓮?」


 頭の上でぴくぴくと動く三角の耳を昂が不思議そうに眺めていると、同じように耳を動かした狐たちが睡蓮へウインクを投げた。


「やったッ、ご褒美ゲット♡」

「巫女さま絶対だぞッ、約束だからな♡」

「おいお前ら! 睡蓮に何をさせる気だ!? あっ待て!」


 顔を蒼白させる昂に構うことなく、狐たちは地面を蹴って須佐神へと一直線に突っ込む。

 一方で睡蓮は、もう一度祈りを捧げるように手を握り合わせた。


 昂は光に包まれた睡蓮を気遣うも、狛に肘で小突かれて釘を刺されてしまう。

 昂だっていい加減に理解はしている。それに小競り合いなんてしている場合ではないことも承知だ。だから昂は、狛に向ける感情の矛先を、再び上空に浮いている須佐神をキッと睨むことでこらえた。


「「巫女さまよろ!」」

「はい!」


 睡蓮のまとう光が白狐と黒狐の身体の周りにも現れると、浄化で晴れ渡った夜空に再び暗雲が垂れ込める。ゴロゴロと唸り始めた雲間を光が泳ぎ、雷鳴はさらに大きくなった。


 ここでやっと睡蓮から視線を外した須佐神は、気怠そうに目を眇めて天を仰ぐ。手で虫でも払うかのような仕草をした。

 だが――。


「彼の者に眠る神気を解放いたします」

「「霹靂神はたたがみ‼」」


 稲妻が閃光を放ったと同時に繰り出される狐たちの一撃は、電光石火の如く。激しいいかづちと共鳴する。


「当たった!」

「手応え有り!」


 狐たちは空中で一回転をして体勢を立て直すと、嬉しそうな表情を浮かべながら地上へ着地。白狐は拳を、黒狐は足先を嬉しそうに見つめた。その手足にはまだ、線香花火の火花のように小さな稲光が散っていた。

 自分の力を噛みしめる白狐と黒狐の二人と反して、睡蓮は見るからに辛そうだ。はぁはぁと呼吸を乱している。


「睡蓮……っ!」

「ありがとうございます、昂くん。私は大丈夫ですよ。ですが……」


 昂に肩を抱かれたまま、睡蓮は視線を上空へと向ける。昂も睡蓮の視線を追うように見上げた。

 黒煙が取れると、須佐神が姿を現す。焦げた臭い。そして須佐神の身体の周りには白狐と黒狐の二人と同じように、いやそれ以上に強い稲光が散っていた。二人の攻撃は、回避されていないようだったが。


「嘘だろ。あんな凄い攻撃を受けても無傷だなんて……」

「まだ力を使いこなせていないということだろう。なら美月、今度は俺と――!」

「焦るな狛。お前の気持ちもわかるが、今はもう」


 太秦は言葉を濁したが、その意味はすぐに須佐神によって伝えられる。


「狛。太秦の言う通りだ。我はもう、お前らなどと戦う気は微塵みじんもない。白けてしまった」

「そ、それではお話をしてくれますか?」

「睡蓮⁉」

「ほぅ。陽の巫女、我と話をしたいか」

「はい。色々と教えて頂きたいことがあります。なので、どうか……」

「なかなか可愛いことを言うではないか。いいだろう。だが少しが高いようだな」

「あ……すみません」


 睡蓮は戸惑う昂の腕をそっと下すと、その場で両膝を付いた。

 須佐神は従順な睡蓮の態度を満足そうに眺め、高らかに笑った。


「ふはははは! おい、陽の巫女殿がこのようにしていらっしゃるだろっ。お前らも態度を見習え!」


 使わしめたちは僅かに顔を歪めたが、戸惑う昂を尻目に膝を折る。最後に狛が、歯を軋ませながら肩膝を付いた。昂は眉根を寄せる。


「お、おい……睡蓮を護ってくれるって言ったじゃないか! そ、それとも何だよ⁉ まさか睡蓮を売って――」


 気色ばむ昂の手に、睡蓮の小さな手が重なる。

 そのきゅっと握られた感覚に制されて昂は、視線を睡蓮へ移した。自分を見る真剣な眼差しに何も言えなくなってしまう昂だが、睡蓮は口元を緩ませて何かを示すように耳を動かした。


「昂くん、きっと大丈夫です。ね?」

「小賢しい。まぁ、使わしめおまえらの忌々しい伝承の陽の巫女に逢えたのだから、目を瞑るとしよう。しかし陽の巫女。少女のお前のような見目みめで、その身体は不釣り合いではないか?」


 須佐神は、いやらしく笑みを零す。

 値踏みするように顎を撫でて睡蓮を眺めていた須佐神が、パッと上空から姿を消した。直後、砂利を踏む音が鳴り、俯いた睡蓮の視界に須佐神の足元が入り込む。使わしめたちの気を一心に集めた睡蓮の肩が揺れた。


「陽の巫女、もっとよく顔を見せよ……」


 須佐神は睡蓮に触れようと手を伸ばす。

 だがその動作が止まった。須佐神の頬に、深い横一線の傷が入ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る