内情
引き裂かれた布地が血飛沫と舞い上がる。
散った布は跡形もなく木端微塵に、血潮は勢いを失って重力に引っ張られて、砂利が混じる地面の上に赤黒い
頬にのみと思われた須佐神の傷は、腕や腹部など全身に亘って広がっていた。
「一体どうなってんだ……⁉」
太秦の隣で睡蓮を腕の中へ抱き寄せつつも、昂は状況を飲み込めずに唖然とした。
二人を包むのは、須佐神の周辺にも浮遊しているものと同じ漆黒の羽根。月明りに照らされた夜桜のように妖しく艶めきながら落ちていくが、程なくして消えた。
そうして太秦の術により離れた場所まで回避していた二人は、須佐神の返り血を浴びずに済んでいた。昂が気を働かせて目隠しをしたお陰で、睡蓮は生々しい醜怪な光景を目の当たりにしていない。
「いやいや~」と、白狐は照れた様子で頭を掻いた。
「ボクらの攻撃、ちょーっとばかりラグがあるみたいなんだよね~?」
「そうそう。ま、ギミックみたいなもんよ?」
白狐に続いて黒狐が便乗して相槌を打つと、影絵の狐を作る要領で両手の人差し指と小指を立てた。いわゆるコルナのポーズを取り、口に見立てた指をぱくぱくさせながら「こーんこん」と鳴き真似をする。
そんな風に二人は、須佐神の背後で嬉しそうにお道化た。須佐神が自分たちの術を見抜けなかったのが嬉しかったのだろう。
しかし須佐神は前方に居る睡蓮を眺め、一向に振り返らない。
全く相手にされていないことを悟ったのか、狐たちは腹を立てた。呼吸を合わせたかのように同時に腕を組むと、「あったまくる~」と声を揃えた。真夏の大気を揺らす蜃気楼のように、微かに捉えられる程度の神気を身体の内側から放出する。神気はまだまだ未熟であるが、感情に共鳴して揺らめいている。
「それに、ねぇ?」と普段よりも低音で調子を合わせ、白狐と黒狐の二人は互いに視線を交わす。
声色が不満や怒りを含んでいるのは明らか。けれど須佐神の方はというと、全身に傷を与えられているにも関わらずほくそ笑む。その構図だけを見たならば、反抗する子どもと成長の喜びを噛みしめている父親のようである。
だが、それもここまで。
「やはり陽の巫女に触れられませんか。残念ですが、この八尋殿の
皮肉めく太秦に須佐神は顔をしかめる。対して太秦は「大変ご無礼を」と、実に愉快げであった。
「須佐神。昨今あなたがなされる業は悪行にあられます。陽の巫女が現れた今、我らの伝承は再び証明されたのも同然です。――再び。その意味は、あなたがよくご存じでしょう」
須佐神が太秦をぎろりと睨む。
血を流しながら放たれる神気の迫力は、白狐と黒狐のものとは一味も二味も何百倍にも違い、須佐神との距離は十分に取れていた昂であっても、身動き出来なくなってしまうほどだった。
一方で、眉一つ動かさずに直視している太秦を須佐神は鼻で笑う。
「まあいい」
短く済ますと、須佐神は全身へ神気を巡らす。すると見る見るうちに傷口が塞がっていき、とうとう完全に治癒してしまった。
思わず睡蓮の目を覆っている手を解いて驚愕する昂に、白狐と黒狐の二人は肩を竦めて苦笑した。睡蓮の方は、視界が晴れたものの状況を読めずにいる。
「須佐神は再生能力をお持ちで有らせられる。つまり低級霊や浮遊霊たちが怨霊化するのは、そのお力の一端だ」
「再生、ですか……?」
睡蓮の大きな瞳が微かに潤む。
「陽の巫女。西に月が沈み、倭に灯りが燈った時。己の眼で一度確かめてみるといい。お前が導き出した答えによっては、最高のもてなしをしてやろう」
須佐神の眼球に、睡蓮が映る。
黙ったまま言葉の意味を考える様子を、昂が立ちはだかって遮る寸前まで須佐神はその眼に納めた。
須佐神は睡蓮たちに背を向けると昂の障壁をすり抜け、白狐と黒狐の二人に譲らせた道を通る。何か言いたげに熱視線を送ってくる二人には相変わらず目もくれないで須佐神は歩を進めたが、少し行ったところで立ち止まった。
須佐神は未だ遠くで蠢く怨霊たちを何をすることもなく一掃し、瘴気の一部にする。
怨霊たちの
「次はお前から逢いに来い。存分に可愛がってやろうぞ」
須佐神はそう言い残すと、睡蓮たちの前から姿を消した。
睡蓮たちの前には、美しいまんまるの月が浮かんでいた。
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