石上昂

「おばあちゃん!」


 現れたのは睡蓮の母方の祖母で、ここの寮母を務める椿つばきだった。

 寮生たちからの呼び名は椿ばあ。御年、七十七の喜寿。割烹着と達磨のような二段重ねのお団子頭がトレードマークである。


「どけどけ」と威勢よく寮生たちを散らして、椿は立ち上がった睡蓮の前まで内履きのサンダルを鳴らした。育ち盛りの男子学生たちの寮母とあって、小さな体に反してパワフルな婆さんだった。


「おばあちゃん見てください。朝うっかり失くしてしまいましたボールペンのキャップ、じゃん! ありましたよっ」

「ああ、そんなん構わないだんないのに。インクくらい唾でも付けときゃあ出よる。それより睡蓮、こんはまだいぬっとらんか?」

「ほえ、昂くんですか?」


 昂、石上昂いしがみこんは、学寮に隣接した稲荷神いなりのかみを祀る石上稲荷大社の一人息子で、睡蓮の幼馴染みだ。

 といっても、共に過ごしたのは小学二年生までの話。理由わけあって、半年ほど前に故郷へ戻ってきた睡蓮だが、父親の仕事の関係で引っ越しをしていて、ここ豊川町とよかわちょうを一度離れていたのだった。


 さて、噂をすればなんとやら。藍色の髪をした男がアイスキャンディのゴリゴリ君をかじりながら食堂に入ってきた。


「睡蓮、俺に用か?」

「あっ、昂くん。おかえりなさい」


 ハーフパンツにタンクトップを合わせ、肩から斜めにクーラーボックスを掛けた昂は、お辞儀をする睡蓮の元へと歩を進めた。

 ブルーハワイ味とやらの色が目に涼しい。全体的に爽やかさが目立つ昂ではあるが、その頬には玉のような汗が流れていた。


「悪いなー。用事があるんは、このワシやに」と椿が目を三日月形にして言うと、昂は「別に悪くないし」と口籠りながら目を泳がした。


「そろそろ、夕飯を仕込みまーりたいからなー。どうけ、ちゃんと釣ってきただろうに?」


 その問いには顔を綻ばせた昂。睡蓮を手招いて近くのテーブルに誘うと、そこへクーラーボックスをドカンと置いた。


「お前すげーじゃん!」


 昂がフロントロックを外して蓋を開けた途端、二人を取り囲うように群がった寮生たちが歓声をあげる。

 昂は皆から称賛されるように背中を叩かれたり、肩に腕を掛けられたりして面映ゆくなるも「今日は運が良かった」と平然と答えていた。そうして昂が照れ隠しをしているその横で、睡蓮はビー玉みたいな瞳をもっと丸くする。「凄いです!」と驚嘆した。

 いつの間にか焼けた肌。大量の汗を掻くまで粘った甲斐があったというもの。外野から漏れる評価よりも、長い睫毛をハネ上がらせて感動する睡蓮に昂はとても満足した様子だ。


「ヤマベにイワナ、アユもたくさんおもーさまいるねぇ。ほいだらぁ塩辛も、ちびっとは作れそうだ」

「昂くんが大好きな、天ぷらもたくさん作れますねっ」


 ギョロっと目を見開いて中身を覗き込む椿に、睡蓮は胸を躍らせる。すると昂は、嬉しそうに目を細める睡蓮の頭に優しく手のひらを乗せて言った。


「ああ。今日もお前の料理、楽しみにしてるからな。ん? なんだよコロン」


 頬を緩ませて見つめ合うそんな二人を見て、コロンが焼きもちを焼いたようだ。二人の足元で、ぴょんぴょんとジャンプを繰り返している。


「ほら、睡蓮もアイス食べな?」

「はいっ。って、自分で食べれまふぅ」


 昂は食べていたゴリゴリ君を、睡蓮の唇にぷにっとくっ付けた。氷の冷たさも相まって、目を白黒させる睡蓮。けれど結局は、素直に口の中へと運ぶのだった。


「おいひいです。なんだか、昔を思い出ひますね」

「そうだな。よくこうやって、一つのアイスを分けて食べていたからな」


 寮生たちの視線が二人へ集中するも、お構いなしに繰り広げられる幼馴染み感。それを抗議するかのように吠えるコロンの声が、虚しく食堂に響くのであった。

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