ちやほやなんてしないよ

 大御神の神託を受けた睡蓮は、他の使わしめたちとの融合を果たすため、再び八尋殿がある天津原あまつはらから倭の地へと天降あまくだっていた。

 舗装された山道を睡蓮と共に歩いているのは、狛と昂である。

 既に朝を迎えたにも関わらず、三人の頭上には今日も満月が、そして星が瞬くのだった。


「へ? 良かった、ですか?」

「あいつらに作らされた稲荷寿司のことだろ。まぁ俺毎日食べているから知っているけど、睡蓮は料理も得意なんだよ」


 昂にそう褒められるも、睡蓮は素直に喜ぶことを躊躇った。自分を介して立つ二人の険悪な雰囲気が、より一層増したからだ。


「お、お口に合ったのなら良かったです。それにしても昂くん、狛さん! このように山の中にも提灯が所狭しに飾られているなんて、まるでこれから仲良くお祭りへ行くみたいで、なんだか心が弾みますね! あっ……」

「いや、それで構わない。この灯りは、太陽が昇らない代わりに俺たちが倭全体に術を施しているもの。お前のように明るい気持ちで過ごしてもらえたら本望だと思っている」

「術? ただの提灯だろこれ。というか、灯りがこれだけっていうのもちょっと寂しい気がするが、でも確かに睡蓮の言う通りだな。小さい頃を思い出すよ。ほら、お前と一緒に行った花火大会の会場に続く道にも、こんな風にたくさん提灯が並んでいて綺麗だったからな……って睡蓮、一人で勝手に行くな!」


 昂に続き、狛も無邪気に駆け出す睡蓮を追いかけた。


「わぁ……」


 立ち止まった睡蓮の大きな瞳に飛び込んで来たのは、橙色の、温かみのある灯り。今回訪れている志那都国しなつのくにの景色だった。


「なんだかお日さまの光みたいで、とてもほっといたします……。それにあの大きな湖にオレンジ色が映り込んでいて、すごく綺麗ですね」

「日の出の時間になると、俺たちの術で灯りがともるようになっているんだ。倭本来の姿ではないが、この中腹からだと志那都の景色が一望出来る」

「……お前まさか、わざわざこれを見せるためにこんな山へ降りたのか?」

「美月、出発前に言ったことは覚えているな?」

「無視かよ!」


 睡蓮は少し安堵したように笑った後、眉をキリリと上げた。


「もちろんです! ええっと、ハヤトとしてですね——」

「も~っるさいなぁ~」


 突然の声に、三人だけしか居ないと思っていた睡蓮と昂は驚く。

 二人は思わず声がした方を振り返った。

 すると木陰で寝そべっていたであろう身体を起こしながら、不服そうに睡蓮へ視線を送る少年が居た。

 少年の格好は一見、仕立てのいい黒の羽織を合わせた上品な着物姿だが、甚平じんべいのように上下に分かれていて、下のズボンは雪のように白い肌をした彼の足首が覗く程度の丈まであった。

 少年は宝石のように透き通った紅い目を片方だけ擦った後、空気を含んでいて柔らかそうな白髪はくはつを掻き上げて言った。


「まったく……ぼくの睡眠を邪魔するなんて、暗躍しないといけないハヤトがする所業? “疑いを晴らす”っていうハヤトの名前の意味をさー、全然分かっていないんじゃないの? ばーか」

「ちょ、な、なんだよこいつ……」


 昂は顔を引きつらせた。しかし少年が稲荷寿司を作らせたあの二人よりも幼い見た目をしているため、昂はあまり強く言えなかったようだ。

 だがそれでも少年は癪に障ったらしい。すっくと立ち上がると、昂を睨んだ。


「この由緒正しい血筋を持つぼくに向かって、こいつだとぉぅ!? こいつって言う奴がこいつなんだよっ、ばーか!」


「っていうか誰だよお前! ばーか!」と、さらにわめく少年へ、一人冷静だった狛は淡々とした様子で言った。


「こんなところで油を売っていていいのか? に先を越されるぞ?」

「げ! 本当だっ、もう朝になってるじゃん! 本当分かりにくいんだよ、誰かさんの所為で……」


 少年はそうごねるように呟いた後、睡蓮へ視線を移す。

 そして顎を上げてフッと笑ったかと思ったら、少年は紅い鼻緒はなおが付いた雪駄せったの皮底で軽やかに地面を蹴った。


「「わ!」」


 睡蓮と昂の二人が驚いた時には、既に高く飛び上がっていた少年が、満月を背にして得意気な表情を見せていた。

 そうして三メートルほど離れた場所に居た少年は、人並外れた跳躍を見せて、たった一飛ひととびで睡蓮の目の前までやって来たのだった。


「じゃあぼくは急ぐから——ちやほやなんてしないよ」


 睡蓮の元へと降り立った少年は、圧倒されて言葉を失う桜色の唇を恨めしそうに見つめながら頬を撫でた。

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