三本指の果実の踊り、3
合議室に甘い香りが広がる。
「君たちさっきも甘いもの食べてなかった……?」
キシェが小さく嘆息する視線の先にはシュトロイゼルとシャルロット。
「折角の焼きたてよ。今食べずにいつ食べるの?」
「さっきはさっき、今は今。美味いものはもらっておく」
「ナンシエまで」
甘いものに目がない他のフェーヴたちと違い、キシェは大皿に盛り付けられた大量のお菓子に一切手をつけず、やきもきと落ち着かない様子でハーブティーに手を伸ばす。
一ヶ月ぶりのフェーヴたちの合議に集まったフェーヴたちは終業の鐘が鳴るのを待っていた。生徒のために鳴るチャイムを珍しく気にしていたのは、最後の二人の着席を待つためであった。
「お待たせしました」
ノックもなく扉が開かれると外套を着たままのフェーヴが最初に顔を見せた。しかし挨拶をしたのは後ろから〈執行官〉についてきた黒い制服の少年である。
「大丈夫、誰も待ってないわ」
〈生徒会長〉は入室して早々アシュレイを置いて自分の席へと座るペルシェを軽く咎めるように目配せすると手の平を向けて〈司書〉の席を示した。
「貴方の椅子は向かって右側手前から二番目よ。ようこそ、アシュレイ君」
「はい」
「アシュ、ここだよ! おれの前」
シュトロイゼルが手を伸ばしてテーブルの正面を叩き、向かいの席を指している。長方形のテーブル両端にはクイニアとシャルロットが座り、向かい合うように椅子が四つずつ並べられている。扉に背を向けた〈議長〉の席と空いた席を通り過ぎて言われた通りに座ると右隣の〈憲兵〉が微笑みかけてくれた。
「アシュレイも遠慮しないで食べな。おいしーよ」
ほいほいと渡された楕円形の焼き菓子はなぜか青い色に染まっており、テーブル上がパステルに彩られている。あの大盾を振り回していた〈議長〉は手先も器用らしい。当の本人は下座に着き、渋い顔でティースプーンを回している。
「この色だとなんか鯨みたいだね」
「くじら?」
「海にいるでっかい哺乳類のこと」おしゃべりに加わってきたのはシャルロットの座る上座の左傍、長机のアシュレイ側の席のフェーヴ。椅子に胡座をかいて座る風変わりな少女。
「でかい哺乳類……?」
「やあ、元気そうだねアシュレイ。最近来ないと思ったらなんだ、捕まってたらしいね」
ひょうきんに手を上げてナンシエ……フェーヴ〈外交官〉がアシュレイに挨拶を寄越した。彼女は購買へ足を運ぶ生徒なら会うことができるため多くの生徒たちにとって親しみの深い人物である。アシュレイ自身、今まで少し話す程度ではあったが気さくな彼女は顔を覚えてくれていたらしい。
「どうだい、クイニアがそこの小さいオーブンで作ったんだ。適当に外から仕入れたやつよりよっぽどマシだろ」
「おいしいです、とても」
「君たちがフィナンシェに夢中になってると合議が始まらないよ……」
お菓子を楽しむ輪に入れないキシェが進行を促して、シャルロットは小さく手を叩く。微かな音だったが、テーブルに揃ったフェーヴたちは口をつぐんで各々上座に顔を向ける。〈生徒会長〉は軽く咳払いをして正面の彼へ視線を遣ると、合図を受けた〈議長〉は議事録を開いて簡単に式辞を述べた。
「みんな承知の通り最近は前例のないことが多く起きているな。連続したメレンゲ食いの異常発生。……そして〈司書〉、仲間の殉職。しかし我々フェーヴはこのような些細な事柄に翻弄されてはならない。常に秩序を保ち、人形の成長を見届けるため——本日の合議を始めよう」
席に着いたフェーヴたちはその言葉に机をコツコツコツと複数回こぶしで叩いて応じる。
「本題に入る前に、はじめに何か言っておきたい者はいるか?」
手を挙げたのはシュトロイゼル。〈議長〉の許可を得てから彼は言う。「まだみんな揃ってないけど、始めていいの?」
合議室のテーブルは全部で十席なのだが、今座っているのは八人。シャルロットから見て右隣の一つと、それと対角線にあるクイニアの右隣が主なき空位となっている。
「マドレーヌは今日は欠席よ、その旨は聞いているから心配ないわ。そちらの席は……いいわね」
シャルロットは自分の傍らについては説明をしたが、アシュレイの隣席の方はチラリと視線を流して濁すだけで多くは語らなかった。
「では〈捜査官〉、後は任せる」
「ほい」
指名を受けたクレアは使い古された手帳を取り出した。
「本棚ロッカー事件並びに中庭横の廊下での類似のメレンゲ食い異常発生、これらが同一犯の可能性が高いと判断したのは奴らが同じつくりの檻に入っていたこと、加えてその檻の戸を閉めてたこいつの存在によるものだ」
テーブルに置かれたのは、アシュレイにとっては以前にも見たあの二つの錠だった。今回提出されたのは、おそらく先の事件にそれぞれ使われたものだろう。それぞれに同様の破損が見られる。
「同じような事件がまだ画策されているとすれば、次に隠される檻の場所がどこなのか。ちなみにこの時点でアッシュ君は答えられる?」
「いいえ」
「だそうだ。この子は仮にどの事件にも無関係ということにしよう。とすれば犯人は反省もせずにまたやる。それは何故か」
机に乗り出すようにして立ち上がり、自分で並べた錠を爪でトントンと指し示す。
「こいつが仕掛けられた場所は〈司書〉の図書館と俺たちの舎監室近くに飾られた額縁の裏だった。どっちもフェーヴの部屋の付近だ、狙ってなければこんな選び方はしない」
図書館と額縁。その単語が頭の中に引っかかって、アシュレイは置かれた錠をじっと観察する。
「それに私たちフェーヴの各拠点近くで悪巧みするような狡猾な奴が簡単に怖気付くとも思えないよね。何が目的かは知らないけど、果たされるまではきっと続けるんだろう」
アシュレイがテーブルに据えられたお菓子の向こうに注視している間にも話は進み、ナンシエが溜め息混じりにぼやくように予測を口にする。それからふいに何かに気付いて合点がいった仕草をした。
「あ〜、それで急に購買の点検にきたのか」
「そう。フェーヴの部屋が狙われてるなら次に仕掛けられるのがお前らのうち誰なのか分かんないから、念の為にお前らんとこを優先して校内を点検して回ってんの。でも一箇所……」
「——あ、そうか。講堂がまだなのか」
クレアが言い終わる前に、アシュレイがにわかに声を上げた。
「アシュレイ、どうした」
話を遮ってしまったことを諌められるかと思ったが、多めに見てくれたのかクイニアがアシュレイの発言を優先して促した。フェーヴの視線が己一点に集中しても戸惑うことも無くなって、アシュレイは頭の中を整理して話し始めた。
「その錠前、何か彫り物がしてあったのがずっと気になってたんだ。遠目でよく見えなかったけれど、……少女のような」
「ああほんとだ。なんか華やかな女の子が描かれてるね」クレアの隣席から覗き込んだシュトロイゼルがアシュレイの眼を補って伝えてくれる。
「ある国に芸術を象徴する少女の神がいます。名はアニクシィ」
その名を聞いても彼らは首を傾げたり顔を見合わせたりするだけで、知っているひとはいないようだ。ソプドレジルアンでは他国の歴史などは深く学習しないので、フェーヴでも知る人はいないみたいだった。
「……ある国って、どこ?」
「その神が今回と関係ある?」
「燃えるような髪はりんごと関係が深いとされていて丁度その錠前のように鮮やかな赤。彼女は芸術の概念を擬人化したような存在で、このように言われることもあります。アニクシィは書物に宿り、絵に潜み、歌に唄われる、と」
平凡に見えた生徒が淡々と詩を詠むような調子で話すのをフェーヴたちは呆然と眺める。
「今回の事件の一つ目は図書館、次に絵の裏。ときたらその次は音楽に関わりのある場所——」
合点がいって、ペンを走らせていた〈議長〉が頷いた。
「講堂、というわけか」
別の方向から無言で手をポンと打った音が聞こえてくる。少しずつ、理解の波がテーブル上を広がっていく。
「音楽室かとも思ったけどあそこはただの教室だからフェーヴとの深い縁はない。……確か講堂のエントランスには先生の家紋と似た紋章があったはず。この合議室の扉にも断頭台のあるあの部屋にも同じレリーフが刻まれていたから、つまりあれがフェーヴの印。〈議長〉が真っ先に思い浮かんだのが講堂なら、そこも先生から特別な職を授かったフェーヴの部屋の一つなんですね」
クイニアの息を飲む音がシャルロットの席まで聞こえてきたのは、アシュレイが話し終わるのとほぼ同時だったからであろう。一生徒の鋭い看破にフェーヴたちは呆気にとられてしばらく誰も言葉を発さない時間が流れた。
「……成程、」
やっと一言、そう言ったシャルロットは眼鏡の位置を直しながら重い吐息を鳴らした。
「今の神の話、誰か保証できる?」
誰か、と言いつつ半ば指名されたように〈生徒会長〉と目が合ったナンシエはお手上げとばかりに肩をすくめる。〈外交官〉が外界に詳しいといっても、先生の目の届く範囲でのこと。他国の歴史を好んで学んでくるわけもない。
「図書館の地下一階の奥に他国に関する文献が少なからず保管されてるんです。その辺りを探してもらえば、アニクシィの名前が記載されたものもありますよ」
「あんた、よくそんなのぽんぽんと出てくるよね」
そういや座敷部屋でもこんなような事があったな、とペルシェは想起する。ちょっと感心を呟くとアシュレイはこちらに顔を向け、控えめに苦笑した。
「クレア?」
〈議長〉に発言を促されてクレアは今度は椅子に深く座ったまま口を開いた。
「本で読んだ話はともかくとして、少なくとも犯行予測は妥当だと思うよ。俺の捜査と導き出された答えが同じなら認めざるを得ないな」
「なら件の場所へ行き、安全に注意して点検を行ってくれ。本題はこれでいいな。他に誰か言いたいことがある者は?」
クイニアが筆記を止めてテーブルを見回し、議事録を閉じようと見開きの片方を持ち上げる。しかしそれを押し戻すみたいな振りをして〈捜査官〉が一拍遅い話の続きを口にした。
「あー、ところが問題が一つあるんだよね」
「なんだ」
一瞬の苛立ちを声に乗せてクイニアが合議の終了を留まった。クレアはテーブルに頬杖をついて、ふう、と嘆息する。解けない課題に手を出しあぐねている生徒のように。
「点検させてもらえないんだよ、演劇部の部長が嫌がるんだ。公演が近いせいで」
「はあ……」
テーブルを囲んだうちの誰かがカンッとカトラリーを粗雑に置いた音が響く。フェーヴたちの間にはまさか、というよりもまたか、という反応が漂っていく。
「仕方ない。誰か……あいつの所へ説得に行ってくれ」
どよどよと気の進まない声が溢れる。
演劇部とフェーヴたちの間柄というのは思ったより難しいらしい。
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