座敷とボタンと銀貨、6
狭い長廊下を軽いゴムの靴音が一閃。一直線上に浮遊していた五体のメレンゲ食いを、片刃の剣が一気にスパッと小気味良く切り捨てる。
「なんでこんなところまで俺が来なきゃいけないのかね。〈執行官〉はどうしたんだ」
学校指定のスカートとブラウスの上にカジュアルな上着を羽織った軽装。機動性を確保するためにたった今放り捨てた無骨な鞄を取りに戻る長身の少女。
「助けてっ……ここから出してくれ……!」
部屋の隙間から必死に伸びる違反者の手が、少女に救いを求める。彼女はその訴えが聞こえていないかのようにショートヘアをさらりとかきあげ、ゆったりと息を整える。そして手が差し出された部屋の格子を、フェーヴのゴム靴が強烈な音を立てて蹴りつけた。
「……ごめんなあ」
容赦のない音が残響として廊下全体へ行き渡る。全ての違反生が息を飲んで言葉を失うなか、少女は無機質な微笑みを浮かべ撫でるような声色で言った。
「俺が見つけなければ、お前らもこんなところで順番を待ってはいないのにな」
百八十センチを超える長身を誇るフェーヴ〈議長〉が、身長とそう変わらないサイズの楕円形の盾をペルシェに叩きつける。ペルシェの斧の柄背がそれを正面から受け止め、波打つかのような衝撃が双方の腕に強く襲いかかる。
「クイニア! やめなさい。お願いみんな、話を聞いて」
「捕縛が先だろ会長、手を貸してくれ」
シャルロットが叫ぶ言葉はもはや二人のフェーヴを拘束する力はない。
〈生徒会長〉の手助けを諦めたクイニアは剥がれ落ちたような冷徹な表情で、容赦もなく鍔迫り合いのまま前進する。衝突では踏ん張ったものの、筋力の差に力負けしてペルシェの足が床をざりざりと滑っていく。
「…………っ」
「お前が抵抗をやめてくれたら終わることなんだがな」
盾の向こうから聞こえるクイニアの言葉とは裏腹に期待の色は失われていて、押さえていた斧が突然切り払われた。
背後の壁近くまで飛ばされたペルシェはすぐさま体を起こし、しかしそれを待たずに容赦なく〈議長〉の重い盾が真っ直ぐ宙を切って飛んでくる。
それを転がって避けるが、足先に響いた強烈な衝突に思わず投じられた盾をにらんだ。
「部屋、壊す気……?」
文句をつけるが、「今更お前がこの部屋を心配するのか」と鼻を鳴らされただけだった。そして盾を拾うより迅速にペルシェを捕縛することを優先したクイニアは、床を蹴ってペルシェとの距離を一気に克服する。
その大きな手が立ちあがろうとするペルシェを捕らえた。
「うぐ…………」
「やっ、やめろ……!」
息をするのも忘れてフェーヴ同士の戦闘をただ見るしかなかったアシュレイは、彼女の掠れた呻き声が聞こえた瞬間に、悪夢から飛び起きるように思わず声を上げた。
「僕は処断を受け入れてる。彼女を傷付ける必要はないはずだ!」
諦めで薄めていた恐怖が戻ってきてしまった今、手の震えが止まることはない。けれど、自分のせいでこの少女が苦しい思いをするなんて、フェーヴ同士が争うなんて耐えがたかった。それでも違反生の声は届かず、首が圧迫されてバタバタと暴れる少女の靴は床から離れていく。〈議長〉の大きな手を引っ掻いて抗ってもフェーヴで最も力の強い彼には何の効果もなく、そのまま数秒。
「……すまない、ペルシェ」
少女をそっと床に下ろして、〈議長〉は小さくそう言った。
それから、顎を持ち上げた彼の目がはっきりとアシュレイの姿を映す。
「何のつもりだ」
「少し落ち着きなさい、〈議長〉。ここはアンダークラスよ、貴方の出る幕ではないわ」
クイニアはゆっくり歩み寄りながら、間に割って入った〈生徒会長〉と睨み合う。
「非常時だし、お前が動かないから俺が対処しているんだろう」
「そのことで貴方に話があるの」
立ち止まった彼に、会長は毅然とした態度で言った。
「〈生徒会長〉の名において、その子の処刑を見送ります」
「え……?」
シャルロットの視線が不意にこちらへ注がれ、アシュレイは戸惑いの声をあげる。だが当然ながら〈議長〉の顔がさらに険しくなり、床に落ちた盾を持ち上げた。
「理由を言え、シャルロット」
「悪い癖ね。怒らないで聞いて、クイニア。理由はいくつかあるわ」
ごほん、と慣れた様子で咳払いをして彼女は部屋の時間を支配する。
「まずひとつ。ここで捕縛しても仕方がないわ。違反生の彼はもとより、ペルシェ……〈執行官〉も許可が降りなければ座敷部屋から地上へ出ることはできないんだから」
罪人を隔離するため、建物の一階と地下を唯一つなぐ階段には結界が設置されている。座敷部屋に収容される違反生とその監視を任されたペルシェには特殊なマークが皮膚の一端につけられており、それがあるために結界に拒まれるのだ。
「……え? そうなの?」
思わずといった様子でクイニアがペルシェを振り返る。立ち上がることも出来ず床に伏したままのペルシェは、なんとか頭を動かして会長の言葉を是認する。
大きな盾がゆっくりと倒れ、力が抜けてくずおれる彼の膝と共にズンと倒れ伏した。
「逃げられないならなんでこんな無茶したんだよ……」
○
「フェーヴであるふたりにとっても重要な話があるの。この違反生の手元を見て」
力が抜けきって床に座り込んだクイニアと向き合った〈生徒会長〉が横にずれて、アシュレイの姿を二人に見せる。彼の手に持たされたままだったそれにようやく気付いたように〈議長〉は眉を顰めた。
「その杖……」
「そう。これは間違いなく〈司書〉の斎具よ」
斎具とはメレンゲ食いに対抗するためフェーヴ一人一人が持つ固有の武器である。ペルシェには戦斧を、クイニアには盾を。そして殉職した〈司書〉の手にも、往時はこれと全く同じT字型の握りに華奢な柄のステッキが常に握られていた。
「なぜそれがこんなところにあるんだ。〈司書〉はあの事件で殉職したはずだろ」
「ええ、そうね。持ち主の殉職と共に消滅するのがフェーヴの斎具。この杖は彼女と一緒に消失していた……そしてその後、新たに生まれたフェーヴの前に再び現れるの」
「……〈司書〉の後継がそこの違反生だって言いたいのか?」
その通りと〈生徒会長〉は厳かに首肯した。「この目は確かにこの杖は彼のために具現したのを見たの。まるで彼を〈執行官〉の断罪から救うかの如くに」
シャルロットの目配せを受けて、彼女の言葉を少しでも聞き間違いと疑っていたアシュレイは自分のことを言っているのだという確信を得てしまった。けれど本当に? 自分はただの違反生だ。
「そんなことはあり得ない……僕はフェーヴになる権利を持ってません。ただでさえ人形としても未完成の僕が選ばれるなんて」
口を開いた〈議長〉の声が発せられるより先に、アシュレイが思わず否定を主張した。するとアシュレイの言葉を継ぎ足すように〈議長〉もシャルロットに意見する。
「彼の言う通り、校則違反者が後継に選ばれるなんてあり得ない。どう考えても何かの不具合が起こってる。選考側の間違いだ」
「席を抜けたフェーヴの後継は先生がお決めになることよ。貴方は先生が間違いを犯したと、そう言うの?」
「…………」
何も言い返せなくなったクイニアの表情に、シャルロットは語気の強さを自覚する。
「……わかっているわ、しかし仮に間違いでも、私たちはそれを慎重に確認しなければいけないでしょう。この学校の永劫を守るものとして」
フェーヴは常に正しくなければいけない。公正かつ厳格に全ての過ちを正す、ソプドレジルアンの守り手。彼らはそのような存在なのだ。
そうだな、とかすれた声で〈議長〉は頷いた。盾を再びとろうとする予兆もないのを確認すると、シャルロットはそっとひと段落の溜め息を吐く。
「彼の罪とフェーヴに迎えるかは区別して順に考えるべきだわ」
「ペルシェの任務放棄については?」
「それは貴方が来なければまだ話し合いの段階だった。違反生の処罰を先送りにした今、〈裁判官〉に届け出るしかこの件に関しては出来ることはないわ。いいわね、ペルシェ」
首の調整がうまくいかないのか手で押さえながらゴキゴキと音を鳴らすペルシェに声をかけると、彼女は片手をひょいと上げてぞんざいに判断に従う意思を見せる。……後で医務室へ行かせないとならないようだ。
深く嘆息するクイニアを背にして、〈生徒会長〉がこちらを振り向く。そしてすっとしゃがみ込み、アシュレイに目線を合わせた。
「貴方。みだりに怖い思いをさせて、ごめんなさい。貴方を再び〈裁判官〉預かりとします。その後罪の審議や清算ののち、貴方を正式に〈司書〉の後継とするかを判断することになります。全て貴方に選択の権限が与えられないから、そのつもりでいなさい」
「……はい」
〈生徒会長〉の言葉は生徒である自分の体に深く染み込み、アシュレイは驚くほど素直にその取り決めを受け入れた。胸の一端に死を免れた安堵と先行きの不安を抱えつつ。
「クイニア」
「……違反生君」会長に促されたクイニアが膝に手を置きながら立ち上がり、アシュレイに近寄って。「決まったことだ。以降俺がお前の処分に干渉することはないだろう。すまなかったな、余計な口を出して」
正面から目を合わせて謝罪を述べたクイニアに、アシュレイは静かに首を振る。「いいえ。フェーヴの判断に過失はありませんから」
クイニアの内で久しく不動だったフェーヴとしての信念が、彼の言葉に揺らぎそうになる。裁かれるのを待つだけであった生徒のうちに未だ育つこのフェーヴへの信頼と愛校心、こんな男が本当に学校を危険と混乱に陥れたというのか。
……やっぱり、地下には足を踏み入れるべきではない。いつか〈裁判官〉が言ったように、〈執行官〉以外の者が、違反生の言葉に耳を傾けてはいけないのだ。
「……だが君にとっては究極の分岐だった。本来、道を踏み外してさえいなければ君のような生徒は俺たちの庇護下で、平和に学んでいるはずだったんだ」
「…………」
「もし不満が拭えないようなら、ここで俺を殴っていくといい」
「ちょっとクイニア、」
真面目な顔で胸に手を当て申し出る〈議長〉をシャルロットが諌めにかかる。
「どうして貴方はそういう結論が出るの……」
「フェーヴたちの尻拭いは俺の役目だ。まして今回は俺の早計が事を荒立ててしまったんだから、それで少しでも気が晴れるならやるといい」
会長の呆れた顔にクイニアは首を振って言い返し、「どうする」と違反生の出方を待つ。
うまく働かない頭に半ば迫られてアシュレイは目を瞬かせ、ふらりと一歩退がる。僕は何を求められているんだろうか。殴った方がいいのだろうか? けど人を殴るなんてことしたくないし、殴ったところで〈議長〉の言う通りに気晴らしになるわけでもない。しかしここでただ断っただけではきっと彼にとっての決着がつかないままだ。
「生徒を困らせないで、クイニア」
「いえそんなことは……」ふと、アシュレイは自分の手に持っているものを思い出す。
「……じゃあ」
「ペルシェ! 彼を止めなさい」
「別に怪我するわけでもなし」〈生徒会長〉の指示にペルシェは肩をすくめただけで足を解く様子すらない。確かにフェーヴの中でも随一の頑強を誇るクイニアが一生徒に揺らぐはずもないのだが、しかし暴力は学校の秩序を乱す。フェーヴがこのような方法で気持ちの整理をつけることを生徒に推奨するのはいただけない。
アシュレイの手にはフェーヴ〈司書〉の杖。景気よくこれを振り上げれば、さも殴ろうという意思があるように見えるだろう。不自然な動作があるとすれば、それはアシュレイが人を殴る経験がないと知られているであろうことでカバーされる。
自分より頭一つ以上も背の高い杖を持ち上げ、いざ振り下ろそうと勢いに任せて空気を縦に切る。
誰もがクイニアの頭が殴打されるものと思ったが、非力な違反生の杖はフェーヴたちの見ている前でふわりと消えて。
クイニアの鼻先には小さな花々がぱっと降ってきただけであった。
「気遣いありがとう。だけど僕にとってはこれが一番ですよ」
「……どこから出した!?」
花びらを髪に散らしたまま予想外のことに目を白黒させるクイニアを間近に眺めた違反生は、下がり眉と肩をすくめて満足そうな笑みをこぼす。
「手品だけは得意で」
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