留め処なくピアノフォルテ、4

 いつまで経っても変わらないメレンゲ食いと人形の生態系。体制が向上しないせいで年に何人もの同胞が犠牲になっていく。

 どうにも無常の日々だ。


 講堂の裏を五体のメレンゲ食いが漂っていて、近くに生徒がいないことを示していた。

「こいつら逃げるんだけど!」

 樹木の立ち並ぶ裏庭をクレアが走り、逃げ回る敵を追いかける。

「食いつきにもこない、どうなってる」

「逃げ回るメレンゲ食いか」

〈捜査官〉が追い詰めたメレンゲ食いが〈憲兵〉のガラス弾に撃ち抜かれる。ともすればいつもよりも運動量が多いんじゃないかとクレアが舌打ちして、〈憲兵〉の横をすり抜けようとするメレンゲ食いを報告する。

「そっち行ったぞ」

 クレアの声かけとほぼ同時に銃を構えるキシェは、しかしその引き金は引かずに終わった。背後から投擲された大きな斧がメレンゲ食いに直撃したからだ。

「ペルシェ?」

「来ちゃったのか」

 講堂の横口から出てきたのだろう、自分の斧を引き抜くペルシェと遅れて走ってくるアシュレイの姿があった。

「何があったの」

「……檻からおよそ十体ほどのメレンゲ食いが脱走したんだ。待機命令の出てる君たち以外のフェーヴ全員が掃討に動いてる」

「だろうね……」

 目に見えるものを全部殺しきったクレアも並木を経由して三人の元に戻って来て、ペルシェの感想に不平を訴える。

「だろうねってなんだよ、こっちは予想外だっつの」

「聞いているかもしれませんがフェーヴから逃げるメレンゲ食いは多分、生徒には積極的に襲いに行きます。」

「厄介だね、それ」

 キシェは落ち着き払って次の動きを考え始めている。彼にとってはいつもの仕事に少しのアクシデントが加わっただけなのかもしれない。

「ここはもう大丈夫だから僕らは校内を見てくるよ。君たちは会場に……」

「僕も手伝います。」

「あう」

 予想していたのだろう、キシェは驚きはしなかったが困ったように目をきゅっと瞑った。アシュレイの迷いのない申し出は彼には断りづらいらしく、隣の仲間に助けを求める。

「ペルシェ、君からも何か言ってよ」

「フェーヴはメレンゲ食いを殺すのが仕事」

「まあいいじゃん。ペルシェがいるし」

 誰も反対する者がいなくて弱った様子の〈憲兵〉を少し申し訳なく思ったが、彼はややあって頷いた。

「わかった、……二人には講堂の前で万が一に備えて待機していてほしい。でもアシュレイ君は無理せず自分の身を守ることを優先して。」

「はい……生徒の避難はどうしますか?」

 アシュレイは疑問に思っていたことを強くは出さず質問した。講堂の中にはまだ大勢の生徒が公演を静聴している。この状況ではメレンゲ食いの餌場だ。それをどうして避難をさせないのか。

 キシェは案の定それを聞いても何の問題もないと答えた。

「会場に関しては大丈夫。メレンゲ食いが入ってくることはないよ」

「……どうして?」

「君が言ったんじゃないか」

 拳銃の装填をしながらキシェはもうクレアに指差しで指示を出していて、自分も歩き出そうと踵を後ろへずらして。

「講堂はフェーヴの部屋だって」

 お茶目に隠れ気味の右目を瞑ってみせると、キシェはくるりと回って先に行ったクレアの背中を追いかけていった。

 ペルシェに裾を引っ張られ、アシュレイも踵を返して講堂の正面玄関へ向かう。

「どうしたの」

「体よく一番安全なところに配置されたね」

 少しつまらなさそうに彼女は言った。


     ○


 コレットの幼馴染は物静かで、しかし面白いことが好きなよく笑うやつだった。

「……クラフ、具合悪いの?」

 そんな同級生の切羽詰まったような声が耳に残って、フィーとマカはふらっと立ち上がるクラフティに気後れするように見上げた。ひょろりと背の高い彼は、ひと呼吸すると会場を閉め切る扉に目を遣る。

「邪魔はしないで。大丈夫……中は安全だから」

 マカ自身は彼と話すことが多かったわけではないし仕草や態度が緩慢なのはいつものことだが、こんなに話が噛み合わない奴だったろうか。気が動転しているのか言いたいことを言っているだけに見える。

「何を隠してるんだよ。お前、」

 嫌な予感が胸の中を渦巻いている。それでも善良な級友の様子がおかしく見えるのは気のせいだという望みが捨てきれない。

「マカ、待って、」

「そこで何してるの?」

 マカたちが背にした入口から耳馴染みのある声が響いてきて、振り返ると重いガラス戸を押して三人のいる方へ駆け寄ってきたのはフェーヴではなく逆光を背にしたアシュレイだった。

 アシュレイはフィーとマカの顔を交互に見たあと、その奥にいるクラフティに気付いて立ち止まった。

「クラフティ……」

 自分を呼ぶ声色がいつもの気安いものではないと、ちらりとアシュレイの後ろで佇んでいる黒づくめのフェーヴを窺ってからクラフティは視線をやや下へ落とす。

「……もう分かってるんだ、アシュレイは」

「証拠が揃ってるだけだよ。あとは君が何を言うかで、僕がどうするかは変わる」

 目を合わせないまま閉口するクラフティ。何も言わないつもりなのか、それとも迷っているのか。

「そんなことより早く逃げないと。みんなに伝えて、メレンゲ食いが——」

「ぼくだよ。ぼくがみんなを殺した」

 クラフティはアシュレイに訴えかけるフィーの言葉を遮って言った。

 誰も言葉を発さない。砲撃の直前のような痛いほどの沈黙の中、大道具係の少年は膝をついて胸の前で指を組む。

「メレンゲ食いを使った虐殺の計画を実行したのはぼく、クラフティです」


 フィーとマカは言葉を失って目の前の同級生をただ見下ろした。頭が真っ白になる。

「…………」

 振り帰ってみてもエントランスのタイルの中心に淡然と立つアシュレイも悲しみに顔を歪めていて、間違いのない事実が語られていることを告げている。

「……もういいの?」

「うん」

 クラフティが目を閉じて穏やかに頷く。アシュレイは苦しそうに息をついたあと、静かに訊問を始めた。

「具体的に、何をしたんだい」

「演劇部の布で発生したメレンゲ食いを被せ、目的の場所まで移動させて、檻に入れて隠しておきました。その後折を見て一斉に放ちました」

「檻を置いた場所は?」

「まず初めに図書館に設置されたロッカーの一角。次に舎監室の隣の空き部屋に。最後がここの屋根裏部屋です」

 うやうやしい調子で答えていくクラフティが別人に見える。ペルシェが立ち尽くすフィーたちをゆっくりと引き離し、アシュレイと自分より後ろへ置いて。

「どんな目的があってこれらを実行しようと思ったの?」

 ピアノの旋律が静かに響いてきて。クラフティの応答がふと止まったことに気付く。

 ああ、こんなこと、突然知るには重すぎる。

「全部オレのせいにすりゃいいじゃないか」

 もうこれ以上聞きたくなかったのかもしれない、マカは自分が口を開いているのに少し後から気付いた。

「……マカ?」

 誰もがあの日の話を避けるから、マカとフィーは取り残されたままだった。全部捕まったアシュレイがやったと信じられたら、オレもお前ももう少し楽だったかもしれないのにな、なんて嘯いたこともあって。

「怖かったのはオレだよ。このまま卒業できなかったら捨てられちまうかもしれない。最悪この学校を出る前に処分される。もし生きて帰されたとしても、もうこんなまともな暮らしも二度とできない」

 崩れそうな声が、堰が切れたように抱えていたものが溢れて止まらない。もう五年以上経っても、学校に連れて来られる前のことは古い傷となっている。凄惨な争いに巻き込まれる街の人たち。誰も自分を助けにくる余裕なんてない。周囲もそうやって諦めた子供ばっかりで、そんな中をぎりぎり生き残っていただけの自分が、ふとした偶然でこんなふうに豊かに生きて守られているのが嘘のようだった。

 嘘かもしれない。目が覚めれば再びあの場所に戻されているかもしれない。そんな薄氷の平穏。

「実際、この学校はそんなやつばっかだ。でもオレは耐えられなかった。弱いから」

 そんななかでここに来る前から幸せだったと言うフィーを羨ましく思った、妬ましくなったのだ。

「……八つ当たりみたいなものだったんだ、オレが! オレがお前にこんなことをさせたんだ、きっかけを作ったのはオレだろ!」

「彼がフィーのぬいぐるみを手にとるように誘導したのもぼくです。」

 しかしクラフティが言葉を継いで、マカの申告を折って捨てる。

「その後それを知ったコレットなら、すぐに探しに行くだろうと思いました。その後こっそりぬいぐるみを回収し、持ち主のもとに返しました」

「クラフティ」

「自棄にならないで、マカ。きみの罪とぼくの罪に、何の関係もないんだ」

 ふわりとマカに笑いかけるクラフティは深紫の瞳が綺麗ないつも通りの彼で、とてもあの事件を計画した者とは思えないのどかな表情だった。

「……何にせよ、間違いないね」

〈執行官〉の粛々とした言葉が重くて、アシュレイは鈍く首肯した。「君はこれから……裁判室に行かなければならない。隠すことなく全てを話してくれる?」

 クラフティはただ黙っていた。

「…………クラフ、ひとつだけいい?」

 アシュレイの袖が小さな手にそっと引っ張られて、フィーが掠れた声で問いかける。

「コレットは知ってるの?」

「勿論、こんなこと知らないよ。あの子はこういうの許さないから」

 今頃会場で歌とピアノを静聴している友人を眺めるように、ふっと苦笑いしながら扉を見つめて。

「このことを知ったら怒り狂うかもね。こわいなあ。機嫌取りはよろしくね」

「わたしには無理だよ……」

 コレットは気質上、誰かとぶつかり合うことは珍しくない。実際フィーやクラフティだって怒ったり怒らせたりしたことはそれぞれ一度や二度では済まないだろう。けれど今回ばかりは彼女に話したらどんな顔をするのか、フィーにはわからなかった。

「もう会えないからぼくにはできない。彼女の不機嫌に辛抱強く付き合ってくれるのなんて、あとはコンテくらいしかいないし」

「…………」

「……なんだよ、これ……」

 フィーが堪える涙に、マカの嘆く声に肩をすくめるクラフティは、組んでいた指を解いて一生分喋ったかもと飽いたように息を吐いた。

「ごめんよ。この学校で、ぼくの役目はもう終わってる。あとは全部なるように任せるだけだ。ほら……もうじき最後の曲が終わる。そうしたら魔法もとけてしまうね」

「魔法?」

 ピアノの音がふっと終わると同時に、歓声のような奏者と歌い手を称える拍手がどんな音楽より強くエントランスに鳴り響く。同時にピクッとペルシェが身じろぎしたのが見えて、膝を抱えて座り直すクラフティから目を離すことなくアシュレイはどうしたのと尋ねた。

「あんたたちはここにいて」

「わ、」

 マカとフィーをこちらに押し付けて、よろけるアシュレイを尻目に〈執行官〉は講堂の入り口に向き直りじっと睨む。その手に首切り斧を呼び出して。

 その背中は敵を迎え撃とうとするかのよう。

「——まさか、」

 単純な指示に戸惑いつつ、しかし自分の肌にも直感した何かがこちらに気付いたような気配。アシュレイは口にしそうになる言葉を飲み込んだ。

 まさか講堂がメレンゲ食いから守られるのは公演の間だけなのか?

 アシュレイの声で振り返ったペルシェの顔はしかし全く揺らぐものではなく、むしろいつもより厳しくアシュレイを見詰めた。

 狼狽えるな、と。

「今日はあんたが逃がせたのなんてほんの二十匹くらいだってね。どれだけ逃げまわろうが散らばろうがどうせあいつらは簡単に片付けちゃうんだよ」

 入口の方へ向き直ったペルシェはすっと足を踏み出して。

「あたしがここにくる残りのメレンゲ食いを全部片付けたらあんたの負けだね。あたしが勝ったら、逃げずに〈憲兵〉について行くんだよ」


 終わるのは一瞬のことで、アシュレイはその後のことはやけにぼんやりとしてよく覚えていない。ただ犯人があまりに素直で拍子抜けしたのかもしれないし、受け入れたようで受け入れきれていなかった事実を頭が必死に理解しようとしていたのかもしれない。

 守られる形で取り残された四人の六年生はちょうど駆けつけた〈憲兵〉たちにようやく保護された。

「みんな無事だね? 〈捜査官〉、今すぐ部員に話を通して生徒の退場を待ってもらって」

「なんか怪我人いない?」

〈捜査官〉は頼まれた通り観客席から直接入っていった。全く〈医務官〉は何をやって、というフェーヴのぼやきが聞こえて、首を縮めるフィーが視界の端に映る。やっぱり抜け出してきたんだ。

「先輩!」

 舞台袖とエントランスの連絡通路から急いで飛び出してきた部長が、なんとかフェーヴに報告を終えて立ち尽くしたままのアシュレイを見つけて声をかけてくれた。

「ラヴェ……」

 公演前と比べても彼は満足そうな熱っぽさに包まれていて、柔らかい指を軽く伸ばしながら言った。

「弾きっぱなしで流石のボクも腕が疲れちゃいました……でも終わってしまえばあっという間ですね。ところで大道具係を探しているのですが」

 アシュレイがのろのろと向けた視線を辿ったラヴェは近寄ろうとする足を結局踏み留まった。


「ああ、勝ち目なんてなかったね」

 クラフティはガラス戸の先を律儀に眺めて呟いた。ようやく到達したのはたった一匹のメレンゲ食い。それに斧を振り下ろすペルシェの姿が。

 クラフティに〈憲兵〉が何か声をかけ、クラフティの態度を確認するとひっそりとその腕をとって歩き始める。クラフティ、と名を呼ばれると最後に振り返って。

 ラヴェと目が合うとクラフティは消えそうな表情で微笑んだ。

「……ぼくらはみんなのための演劇部……」


     ○


「あー、素晴らしいコンサートだった」

 フェーヴが生徒全員を寮へ送り届けたあと、講堂のエントランスに残った〈生徒会長〉は予想外に開かれた観客席の扉に少し驚いた顔をした。

「マドレーヌ? 貴方、ここにいたのね」

「シャルロット」ふわふわした足取りで出てきた黒いローブの少女は、〈生徒会長〉を見るとぱっと笑みを見せた。「ねえねえ、最近の女の子ってすごいね。あんなに小さな体から会場中に響くほどの声が出るんだもん、才能に溢れてるね。卵が豊かだと学校も豊かになるよ」

「〈裁判官〉」

 こんな状況でなかったらいつもみたいにお喋りをしても良いのだけれど、〈生徒会長〉は夢中になりそうな彼女の話を遮って誇り高いその名を呼んだ。

 フェーヴ〈裁判官〉は瞬きして、それからちょっと首を傾げて微笑んだ。

「……いいよ、あとは任せて。ここからはわたしの仕事だ」

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