留め処なくピアノフォルテ、2
クレアの後で楽屋を出たアシュレイとペルシェは、先程部長に案内された道をそのまま辿って観客席につながる入り口を目指す。
「やっぱりメレンゲ食いに生徒を食べさせるのを目的とする上で自分が最初の犠牲者になるわけにもいかないし、メレンゲ食いを利用するなら駆除以外で自分を守る術を身につけている必要があるよね。つまり最低限、食べるものと食べてはいけないものの判別を教え込んでしまえばいいんじゃないのかな? ……でも言葉の通じないメレンゲ食いに、どうやってそんな」
「まだ言ってる。あんたもう仕事ないよ」
「あ」
深い思考から抜けられずに歩きながら考えていると、ペルシェにざっくりと言われて改めて放り出された気持ちになった。
「……そっか、そうだね。」
〈司書〉の杖を授けられたからといって、フェーヴになったわけではない。フェーヴたちからのアシュレイの扱いは一貫して生徒に対するものだ。この先容疑が晴れたとして卒業して先生のもとへ行くのかフェーヴとしてここに残るのか、どちらになるのか爪先の向こうすら真っ暗だ。……どちらがいいのかも、何も。
蝋燭も灯せない分かれ道に立っているみたいだ。
舞台袖の通路を渡っている間、美しい歌声が響いてきて。
「何をやる気になってるのか知らないけど、ああいうのは敵と直接戦うやつらと後始末をするやつの仕事。知ってる? シュトロイゼルはほんの少ない毒でメレンゲ食いの駆除をするんだよ。刃物や棒で一匹ずつ潰していくより楽だから今回の檻いっぱいのメレンゲ食いなんかにはちょうどピッタリなんだ」
いつも誰かといる時は言葉少ななペルシェが、二人の時は一度口を開くと少しおしゃべりになってしんしんと話し出す。
「確かにあんたを会場に連れてくのは、一種あんたを拘束しておく意図もあると思う。仮にも謹慎中の容疑生だからね」
「その謹慎もほとんど意味を成してないけどね」
そういえばアシュレイもペルシェも謹慎中の身だった。この数日間さも普通のような生活を送れていたのは〈生徒会長〉の采配のお蔭で。アシュレイはペルシェの目が届くところにいること、ペルシェはアシュレイを監視するという名目で座敷部屋から出たのだ。
「……だけどもう誰もあんたを失いたくないんだよ。みんな、仲間が殺されるなんてまっぴらでしょ」
仲間、なんて言葉が聞こえるとは予想もしていなくて、アシュレイは隣を歩くペルシェの横顔を見る。彼女はいつもと変わらない淡白な表情で前を見つめていた目が、ふとアシュレイからの視線を遠ざけるように向こうの壁に移っていく、小さく付け足した。
「……そう言ってた。シャルロットが。」
「ほんと?」
話が不自然な流れを見せたので覗き込んでみようとした、その時。メレンゲ食い発生の時とはまた違った音が耳をつんざいた。
流石のペルシェも弾かれたように振り返って天井を睨んで訝しげに呟く。
「シャルロットの斎具……」
「今のが?」
「なんで今使った? 滅多なことじゃ呼び出しすらしないのに……」
それはすなわち緊急事態であると。ペルシェとアシュレイは突然の音で豆鉄砲を食らった表情のまま目を見合わせて、どちらからともなく走り出した。
ゼンマイを逆回しに、時刻をほんの少し巻き戻す。
講堂の天井まで届く広い会場の奥は二階建ての構造になっていて、一階には楽屋、二階は衣裳や道具を保管する部屋が並んでいる。しかしどこを探しても見つからないはずだ。
檻はとある部屋で、布に包まれて置かれていた。
誰も知らない、講堂の屋根裏部屋に。
「げほげほ」指示通り待機している間に〈憲兵〉はこれで何度目か、漂う埃に軽く咳き込んだ。「……掃除がしたい」
「ね、こんなことだと分かってたら道具も持ってきてたのだけど。残念だけど〈捜査官〉が来るまで待つしかないわ」
そうだね、と落ち着かない様子でメレンゲ食いの蠢く青いシーツを横目に見るキシェ。〈医務官〉が生きたメレンゲ食いを所望しなければ〈捜査官〉がここに戻ってくる前に全て駆除してしまうのだが、今後のメレンゲ食いへの対抗策を考えたいという彼の思いを無碍にすることなんて出来ない。それならいっそ公演が終わらないうちに運び出してしまいたい。
「生捕りなんて、本当にどうやってそんな無茶をしたんだろう」
犯人に思いを巡らせる。少しでも失敗すれば自分が食べられてしまうのに、どうしてそんな危険を冒してまでこんなことをしようと思ったのだろう。
「私たちとは着眼点が違うのね。だけどメレンゲ食いは生徒の唯一の天敵、どれだけ訓練していてもあれの前に立てば恐怖に支配されてしまうようになっているの。知識がなければ戦えない相手よ」
ただの幼稚な悪意でできることではない。シャルロットは、〈憲兵〉の思考を表すように彼の斎具がくるくると回るのをしばし眺めてからそっと声をかけた。
「キシェ。そういうのを考えるのは〈裁判官〉の仕事よ。貴方が心を痛める必要はないわ」
「……うん」
彼は未だモヤモヤとした表情を残したまま素直に頷いて。ふと、何かに耳を澄ました。足音を消してうろうろと歩いてみたと思えば檻にかぶさるシルクのシーツをそっとめくって覗く〈憲兵〉に、シャルロットは訝しんで問う。
「どうしたの」
「何か減ってない……?」
ぎゅうぎゅうに詰め込まれて苦しそうだったメレンゲ食いたちの蠢きに前より余裕が生まれているような気がして、キシェは言う。
「そうね……」
眉を顰め、シャルロットも寄って観察してみる。その時、ぶぶぶ……と羽音が床下を這っていくような音が聞こえた。
「シャルロット、これ……っ」
キシェが言い終わる前に〈生徒会長〉の手は自身の斎具を呼び出していた。
「耳を塞いで!」
キイィン、と鋭い音が刹那鳴り響く。シャルロットの警告で反射的に耳を手の平で覆ったキシェも目を回すほどの音圧で、檻の中にいたメレンゲ食いはたちまちにして粉塵と化した。
「会場まで聞こえていないといいけれど……」
やはり〈医務官〉を優先的に呼べばよかったと後悔しながら、シャルロットは大筒の斎具に手を触れてパッと消した。〈生徒会長〉の役職と華奢な体格に見合わない大砲型の武器は実弾の発砲こそしないが音とその衝撃波によってメレンゲ食いを一掃する強力なものだ。特に今回は演劇部が公演中だからできる限り使うのは避けたかったのだが。
「ちょっと何!」
どかどかと梯子を登り、〈捜査官〉が顔を出した。
「クレア、おそらく数匹逃げ出しているわ」
「は!?」顔を引き攣らせ、〈捜査官〉は一瞬にして飛んでくる。かぶさっているシーツを剥がせばいいのに取り出した工具で錠の腕を叩き壊して、細い体を檻の入り口にねじ込んで入っていってしまった。「だって俺が点検した時は大勢いたはずだろ」
「僕らも確認した。ぎちぎちに詰まってた」
檻の底に手をやって手探りで調べていたクレアの動きがピタリと止まる。
「床に一匹通れる程度の穴を確認。……これ元から開けられてたんだな。入ってたメレンゲ食いどもで隠れてたんだ」
ぎり、と唇を噛んでクレアは悔しそうに言う。
「数匹って具体的には?」
「分からないわ、ごめんなさい。脱走に気付いた時点でこれ以上出ていくのを防ぐために残りのメレンゲ食いを全て消してしまったから」
つよ、とクレアは口の中で呟いてから「まあ英断だし何も言えないけど」と補うように言った。
「目算で十匹くらい、かな。この床下の空洞ってどこに繋がってるかわかる?」
キシェの無駄のない問いにクレアも淀みなく答える。
「知らない」
そう。現にこの屋根裏部屋の存在を今回の点検で初めて知ったのだ。いかな〈捜査官〉でも、図書館や講堂という場所は謎が多くその半分も把握していない。
今になってメレンゲ食い発生の知らせが脳を駆け巡る。布を被って逃げてでもいれば虫の知らせさえ届かなかったのだから、不幸中の幸いか。
キシェの顔が綺麗に青褪めていくのが妙に面白くてクレアは声を出して笑った。そんな悠長な二人にシャルロットが大きく手を叩いて修正をする。
「十匹だろうと百匹だろうと駆除しきらなきゃ。フェーヴ総動員よ、早く行って。公演が終わる前に、なんとしても全てのメレンゲ食いを駆逐しなさい」
曲間でもピアノの音は止まない。歌い手が物語調に演じるのにそっと沿うように微かに旋律を奏でている。
歌の合間に、コレットが囁いた。
「今何か聞こえなかった?」
「え?」
「なにかしら、甲高い音が」
明後日の方を見渡すコレットの視線を追いかけるが、歌と演奏に夢中だったのもあってコンテには彼女が何の音を聞き取ったのかさっぱり分からない。
「何も聞こえなかったけど。なんかあったか?」
「……きっと気のせいね」
次の歌が始まって、コレットは舞台へと集中を戻す。しかしコンテの視線がまだコレットを窺うように刺さっていて、やがて外れた。
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