座敷とボタンと銀貨、3

 アシュレイの楽しそうな笑い声が座敷部屋に響く。

「あはは! ……いいね。そういう反応が見たかった」

 手品とやらに驚かされてペースを乱されたが、今は仕事中だ。油を売っている暇はない。

 ペルシェは無意識に咳払いをして取り繕うと話を本来の用件に戻す。今日は単刀直入に問えと言われて来た。まだ誤魔化すならば手段は指示しないと。

「言って。どうやってメレンゲ食いを集めたのか、包み隠さずに」

 伏せていた目が持ち上がり、暗い瞳がランタンの灯りを反射する。

「一般生徒のあんたがメレンゲ食いをそういう風に扱うことが出来るなんて本来はありえないんだ。あんたがあいつらについて何を知って、どんな手段を使ったのか、あたしたちは把握しなきゃいけない」

「…………うーん」

 アシュレイは閉口したようにうなって、ゆっくり溜め息を吐く。

「ごめん、本当に何も知らないんだ」

「……え?」

 予想外の返答にペルシェは頓狂な声を漏らした。

『部屋の魔法』が効かない? まだしらを切っているのか、それともこれが彼の偽りない真実なのだろうか。

 だけどそんなこと、あり得ない。

「あんたはじゃあ判決の間違いでここにいるとでもいうの」

 アシュレイはただ肩をすくめる。沈黙は肯定である。

 ペルシェは押し黙った。真偽を判断するのは自分の仕事ではない。けれど、今まで何人もの生徒を尋問してきた看守としては、彼が嘘で煙に巻こうとしているようには見えないし、何よりこの座敷部屋がそれを許さない。

「結果的にメレンゲ食いの入った檻を開けてしまったのは僕だけど、メレンゲ食いを捕まえたのもそれを簡単に放てるように仕掛けておいたのも僕じゃない。少なくとも、僕の頭にそんな記憶はない……裁判所の問答だけで終わっていたら話す必要はないと思ってたんだけど、君には黙っていることができないみたいだ」

「……無実だってこと?」

 それが本当ならどうして裁判所では何も言わなかったのか。彼の口振りはまるでこのまま不当な処刑を待っているかのよう。

「どうしてそれを主張せずにいるの。——あんた、死にたいの?」

「なんだ、君は信じてくれるのか」

 と、温度のない声で微笑む生徒にペルシェは眉を顰めた。看守は詳細を知らないが、裁判官の聴取で彼は一言も話をしていないらしい。冤罪なら何故ここまでずっと黙りこくっていたんだろうか。

「記憶にないならあたしなんかより裁判官に言ったらいい。裁判官は横柄な奴じゃないから、あんたの言葉くらい聞いてくれたはずなのに」

「意味がないからだよ。何を言っても僕は自分の記憶の真を証明できない。僕は自分の記憶と実際の行動に自信が持てないんだ」

「何…………」

 アシュレイはまた小さく嘆息する。

「……むかしむかし、今は亡きとある国の、王様がいらっしゃった」

 ゆるやかに流れ出すようにはじまったのは何の関連性もないような話。

「王様は人を愛せなかった。自分の心の穴を埋めたかったからかな、彼は自分の手で理想の人形を作ったんだ」

「なにそれ」

 こんな語り出しの歴史をペルシェは知らない。どこか遠くの国のおとぎ話の類。ペルシェが口を挟むのに構わず、絵本を読み上げるようにアシュレイは続ける。

「……王様は人形が本物の人間になることを切に願った。孤独だった王様が、いつしか物言わぬそれを本当に愛してしまったからだ。

 そしてどこからか現れたある魔法使いが、王様の長年の思いを知って、力を貸してくれたんだ。果たして彼女は何をしたと思う?」

 アシュレイの伏せた目が袖に縫い付けられたボタンに刻まれた紋を眺める。

「魔法使いはその人形に命を吹き込んだ。人形は魔法の力で人間の肉体を手に入れ、晴れて王様は人形と結ばれた。——遠くの地にはそういうお話があるんだとか」

「……それで?」

「そう。僕らはそれと真逆だね。看守さん。僕らは人形になる過程にある」

 カフスに触れて、関節の調子を診るように袖口を覗く。格子が邪魔で見えなくても、その手首に針が埋め込まれていることを知っている。同じものが、ペルシェの体の要所要所に打たれている。これらが少年たちを『人形』たらしめているものの一つなのだ。

「人間として生まれた生徒たちは、人形になるためにこの寄宿学校で暮らしている。当然のことだけど、僕らの体は先生のためのもので、自分の財産ではないんだ。」

「…………」

「僕の思考も僕だけのものじゃないかもしれない。頭の中で『何か』に駆り立てられて、意識のないうちに行動していたとしても僕は驚かないよ」

 彼が何を言っているのか、ペルシェにはわからない。

 ただ下された通り、生徒に罰を与えるだけの少女には。

 首を傾げる看守に、『人形』となりつつある生徒はそっと微笑んだ。

「僕がこんなんだから、〈裁判官〉は集められた情報で校則通りに僕を裁くしかない。真実がどうあれ、期日まで僕はこの部屋で待つしかないんだ。……君だって、決に逆らって刑の執行を放棄することなんて出来ないだろ?」

 ペルシェは唇を閉じる。

 こんなこと、ただの執行人である自分の手には負えない。

 それは一介の生徒であれば尚のことだ。

「……わかった。もう行く」

 これ以上のことは聞き出せない。ペルシェは胡座を解いて立ち上がろうと床に手をつく。その手首を、格子から伸びた手が触れるようにそっと引き留めた。

「…………心を痛めないで」

 聞いたことのない労わるような声に息が止まる。

 何か。

 体の奥の動かないはずの何かが、呼び起こされたような。

「優しいね、君は。でも僕を殺すことを躊躇う必要なんてない。決まったことなんだから」

「離して」

 そう言うとアシュレイの手は袖から離れ、格子の中に帰っていく。

「じゃあね。退屈になったら、またおいで」


 暗い部屋から、そんな奇妙な言葉を耳にした。

『またおいで』? 聞き間違いだ。

 明日会う時は、断頭台の上なのだから。


     ○


「……それが確かなら全て根本からわたしたちは間違っていた事になるわ」

 フェーヴ〈執行官〉から受け取った報告に目を通した後、制服の彼女は眼鏡の奥で顔を険しくして囁いた。それを聞いて、背の高い少年が低い声で諫めるように言う。

「保身のための嘘だよ、〈生徒会長〉。違反生の言うことを鵜呑みにするな」

「わかっているわ」

〈生徒会長〉は物憂げに言い返しながら徐ろに椅子を引いて立ち上がる。

「虚言だとして……すでに拘留されている彼が我々にこれを隠すことの意味は考えるべきだわ。この件、彼を処分しただけでは終わらないかもしれない」

「誰か……協力者がいるってことか? 奴が誰かを庇っていると?」

「そういう可能性も考慮したほうがいいわ。……まさか聴取も裁判も終わった後で口を開くなんて。あの魔法が地下でしか使えないというのがやはり」

 少女の落ち着いた独り言のようなぼやきに眉を寄せることで同調する。少年はしばし〈生徒会長〉の思考を邪魔しないよう口を出さずにいたが、彼女の組んでいた腕が解かれたのを見て緩やかに問いかけた。

「シャルロット」

「ええ、とにかく早く残りの檻を見つけ出さないと」

 シャルロットは厳しい眼差しを友に向ける。少年は彼女を力づけるために頷いて、しかし表情はすぐに翳った。

「そんな不安そうな顔をしないで、きっと大丈夫よクイニア。……いえ、〈議長〉。貴方は〈捜査官〉に依頼を送って。わたしは明日、地下に行ってくる」

「だけどシャルロット、再捜査している時間なんて」

「議長」

 羽織を直しながら廊下へ向かおうとしていた生徒会長は肩越しにクイニアを振り返って。

「貴方は貴方の仕事をして。それがこのソプドレジルアンを守ることになるのだから」

 それだけ言い置いて、扉の取手に手をかけた。

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