三本指の果実の踊り、2

 ソプドレジルアンは成人禁制、外の社会から断絶された、学生とフェーヴだけが暮らす孤立世界。それが成り立つのはひとえにフェーヴの一人である〈外交官〉が外に住む〈先生〉との連絡を定期的に続けて、物資の補給などをしているお蔭だ。役割ゆえに特例として外界と学校との行き来が許され、『外交』の役目を担っている彼女の働きがなければソプドレジルアンは立ち行かない。生徒はペンを持てないし、体調不良になっても医務室には治療器具が届かない。灯りは点らず食事は摂れず、生命維持すら困難になるだろう。

 先生。ソプドレジルアン寄宿学校の創設者であり、生徒たちが唯一『先生』と呼んで尊敬するお方。生徒は先生のために勉学に励み身体能力を鍛え、一意専心、学舎で育てられた忠実心をもって人形を目指すのだ。しかし種が人間の子供であるゆえに、勉学と訓練だけの生活では健康状態を保てない。

 すなわち生徒たちの天敵はメレンゲ食いの他にも存在するということだ。その一つが、退屈。

 これを慰めるのには勉学と訓練の息抜き、娯楽が必要であろう。しかし学校敷地内であればある程度の自由が認められているぶん、用意されたカリキュラムを外れた範囲のものは自分たちで補わなければならない。個人の趣味があればそれでも良いが、戦争孤児などの理由で幼い頃に着のみ着のままでこの学校に入る者が多いソプドレジルアンには独自の趣味を持つという発想に至らない生徒がほとんどで。

 そこで先達の生徒たちが発足したのが、一芸秀でた生徒が集まり音楽や演劇を創作する『祭事会』である。

 単に演劇部と呼ばれる中規模の集団がフェーヴ公認のもと、不定期で芸術の披露を行うので、それを楽しみにする生徒たちが非常に多い。今では生徒たちの間でなくてはならない催しの一つとなっており、〈生徒会長〉の依頼を受けて公式祭典の協賛を担うことすらある。


「来週あるらしいけど、アシュレイは観に行けんの?」

 トレーを手に持ったコンテが加わって、食堂での栄養補給の時間が一気に賑やかになった。近く演劇部の公演日が迫っているので、校内はその話で持ちきりなのだ。

「できれば行きたいけど……」

 六年生にも演劇部に所属している生徒は数人いる。中には例の事件で命を落とした生徒もいたが、次の公演が中止になることはなかったらしい。演劇部は過去の公演が一度も滞ったことがないと噂されるほどなのだから、頑固なことで有名な演劇部の代表者が多少のことでそれを崩すことはないだろう。

「おおよそ十五日分の遅れがあるから取り戻さないと」

「あ〜、それがあった。災難だよなほんと」

 言及するのに少なからず躊躇われるであろうアシュレイの投獄期間の話題をつくづく運が悪いと朗らかに流し、コンテは襟元を緩めて食事を始めた。

 そして彼の興味は形を変える雲のように他へ移っていく。

「ペルシェさんめっちゃ食べるね」

「必要分だけだよ」

「へー、やっぱフェーヴって食べる量もちげえんだ」

 彼女の前に置かれたシュクルリィの塊の山は昨日より増えているようにすら感じて、大雑把に関心するコンテを横目にアシュレイはただ微笑んだ。

「なに喋ってるの。ここいい?」

 トレーを手にさまよっていたコレットとフィー、それにクラフティも空席に同級生がいるのを見つけて同じテーブルに合流してくる。

「何の話してたっけか」

「あなた……変な話してペルシェのこと困らせてないでしょうね。こいつがおかしなこと言ったら無視していいのよ、ペルシェ」

「初日にばかすか話しかけてたのおまえじゃん。一番言われたくねえんだけど」

「うるさいわねー」

 コレットのトレーが音を立ててペルシェの隣に置かれる。

「演劇部の公演、今回は何かなって話。クラフティがしばらく忙しそうだったからおれは劇だと思うんだよな」

「でもここ二ヶ月、防音室の貸切が多かったじゃない。次はオーケストラよ」

「え、わたしオペラだと思う。ポスターの四隅にダークブラウンの装飾があったでしょ。まえにオペラだった時もそうだったと思うんだけど」

 コンテが話題を提示すると示し合わせたようにコレットとフィーも加わって考察合戦を繰り広げる。対照的にずっと黙って聞いているだけのクラフティ。

「アシュレイはどう思う?」

「なんでもいいと思うよ」

 フィーの問いかけに対して曖昧に答えると左側から背中を叩かれて、重めの衝撃を受ける。食事中に危ない。

「ぅぐ、」

「わかんないならわかんないって言えよ」

「うーん、なら、『鳥の亡霊』についての話は今までなかったよね。今回がそうかはさておきそのうち題材にされるんじゃないかな」

「え、ちょっとそれは、」

「というか……」見かねたのかひたすら食べていたペルシェが不意に口を開いて言う。

「そんなに気になるなら演劇部のメンバーに訊くのが手っ取り早いんじゃ」

「それじゃ意味ないの!」

 生徒三人から同時に言い返されたペルシェは流石に豆鉄砲を食ったような顔で押し黙った。目を丸くしたフェーヴに対して生徒は口々に主張していく。

「訊いたところで誰も教えてくれないわ。幕が上がるまでは公演内容は秘密なの」

「それを含めて楽しんでるんだぜ。演目がわかっちゃったらその分のワクワクがなくなるだろ? なあクラフティ」

 腕を組んで議論を見守っていた演劇部の美術係はうんうんと頷く。

「公演が始まるまで我々は何も言わない、ヒントも与えない。なぜならぼくたちは……みんなのための演劇部だから!」

「う、そう……」

 大人しく撤退して食べることに戻った〈執行官〉がいつもより小さく見えて少し面白い。演劇部のパフォーマンスを楽しみにしているという熱はフェーヴさえも圧倒するらしい。

「……でも大丈夫なのかな」

「フィー? なに?」

 コレットはふと陰が差した親友の顔を覗き込む。

「最近メレンゲ食いの発生が増えてるというか、異常発生が続いてるでしょ。講堂なんてみんなが集まるところでもしまた何十匹も湧いたら大変なことになるんじゃない……?」

「いや、まさかそんな……」

 メレンゲ食いの凄惨な被害を目の当たりにしているからこそその言葉を無視できない。三人は声を失って、無意識に生徒たちの視線がフェーヴに集中する。

「……なんか、フェーヴの間でそういう話って出てるんすか?」

 縋るような生徒の目を肌に感じてペルシェの手が止まった。しかし〈執行官〉は生徒に何か言葉をかけることもせず口を閉ざしたまま。

「…………」

「公演は日中だし、フェーヴの巡回も行き届いてるから大丈夫だよ。この前の廊下の時だって誰も怪我ひとつしてないだろ」

 代わってアシュレイが沈黙に膨らむ不安の種を掬う。

「……あれを目の前にした僕だって、こうして欠けたものもなく生きてる。フェーヴは生徒を最優先にして守ってくれてるよ」

「でも……」

 とん、とアシュレイの肩に硬い手が触れた。

「その通り。我々は生徒が安心して暮らせるよう、日々全霊で学校の秩序を整えているんだ。それでももし何か不足の事態があっても……」

 白い制服を身に着けた黒髪の少年は、束の間アシュレイに目配せして。それから食堂には珍しい訪客に目を丸くしている三人の生徒たちに笑いかけて言った。

「フェーヴが君たちを守るからな」

「……〈議長〉!?」

「〈議長〉じゃん! なんでこんなとこに」

 キャーッと高い悲鳴を上げたのはコレット、だがコンテの声が周囲にいた他の生徒の耳にも届いてしまい、〈議長〉クイニアの出現に気付いて食堂がざわめき始めた。かっこいいと騒ぐのは女子生徒だけではない。食堂に立ち寄っただけで場を高揚させるのだから、知名度のあるフェーヴの力とはなんと絶大であることか。

 アシュレイたちの座っていたテーブルは〈議長〉の顔を遠目から見ようとする生徒たちの視線が酔ってしまいそうなほど集まっていた。

「うおっ」それは本人ですら当惑するほどに高い波であった。

「……秩序ね」

 その渦中に巻き込まれたペルシェは低い声で冷ややかに呟いた。

「ごほん。想定以上だったな」きまりが悪そうに背を丸めてアシュレイの隣に腰を下ろす。ちなみについ今さっきまでフィーが座っていたのだがいつの間にかコレットが彼女を引きずって飛び退いていったので空席となった場所であった。二人は戻ってこられそうにない。

「コレット、そんなに熱だったんだ……」

「なんだって?」

「あ、いえ」

 一度彼女の話に〈議長〉の名前が挙げられたことはあったが、実際に会った時の衝撃がこれほど強烈だとは。ついこぼしたアシュレイの苦笑がクイニアに聞こえてしまいそうになって、咄嗟に誤魔化した。その後ろではコンテが長身のフェーヴに口を開けて「でっか……」と囁いている。

 アシュレイには少しずつ冷静を取り戻していく食堂を見守ることしかできない。と、頭を掻いたクイニアが努めて冷静な口振りで取り繕うように言った。

「すまないな、じきに空気が慣れる。君、少しこの二人を借りられないか」

「あ! はい」

 コンテが即座に彼の言葉の意味を察して立ち上がった。

 ペルシェは周囲の騒ぎに頬杖をついて煩わしげに目を細める。アシュレイがこの前言っていた。生徒にとってフェーヴは聖人のようなものだと。しかし何年も地下で暮らしていたペルシェにはそれが今ひとつ理解に足りなかった。そして、ああこれを見て余計に分からなくなった。これじゃ聖人というより……。

「あんた、一体何したらこんなになるの」

「邪魔して悪かったよ。でも俺だけじゃない、場面によるがフェーヴは大なり小なり生徒に慕われているべきだろう」

「知らないし……」

 重苦しくなっていく空気をアシュレイが取り持って言う。

「生徒側の目線で言うとね、ペルシェ。フェーヴに対して一部ではある種ささやかな信仰のようになってるのは否定できない。僕らは先生を一番に掲げるべきだけれど、より身近で統率をとってくれる守護者の存在は僕らにとって心の拠り所なんだよ」

 滅多に学舎に姿を見せない〈議長〉はこのような迎えられ方をされたが、普段から生徒と交流をするフェーヴたちはこれに比べて親しく接してくる生徒が多い。フェーヴへの憧れの形は、それぞれ違うのだ。それにクイニアはとても容姿が整っているからそういった好意を寄せる生徒も少なくない。コレットがそうであるように。この層が主に生徒とフェーヴの距離感をややこしくさせているのだが。

「フーン……」

「というかペルシェ、勝手にアシュレイを出撃させただろう。何を考えてる?」

 ともあれ〈議長〉が訪れたことで吹き飛んだ日常を見送って、アシュレイはそれで、と彼の話を促した。「何か話があるんですか?」

「ああ。進展が少しあったからな」

 テーブルに軽く乗り出すようにして、クイニアは抑えた声で通告した。

「放課後、〈生徒会長〉の召集で臨時合議が開かれる。二人とも参加してくれ」

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