爪先の灯火
誰かがのんびり歩くような影が校舎の外で動いている。
「見つけた?」
窓から見えた人影が一緒にぬいぐるみを探している同級生の誰かと思って声をかけたが応答はなく、しかし足音が途切れて立ち止まったシルエットが暗い窓に映っている。フェーヴならこの時点で見つかって連れ戻されている。では誰だろうと首を傾げていると窓が少し開いて手が差し出され、誰かの声が頼み事をしてくる。
「ねえ、灯り持ってる?」
「予備の蝋燭ならあるけど……」
「よかった、暗いのは苦手なんだ。貸してもらえる?」
持っておくものだなと思いながら長めの蝋燭と残り少量だったマッチ箱を小さな手に渡すと、二つともを掴んだ手が「ありがとう」と引っ込んでいく。蝋燭が点っても曇りガラスの向こう側は火の揺らめきだけ。彼女が歩き出す前にアシュレイは質問をしてみた。
「あの、ぬいぐるみを知らない?」
「……ぬいぐるみ……?」
「犬のぬいぐるみなんだ。灰色に鼻先が黒い、たぬきみたいな」
うーんと寝返りを打つような間伸びした声が三秒ほど時間を延ばし、やがて返事が返ってきた。
「見てないかも」
「そう……ありがとう」
期待はしていなかったがやっぱりかと肩を落として、アシュレイは下級生かと思われる彼女に早く寮に帰ったほうがいいよと言って通り過ぎようとする。
「あ。でもね、」
「え?」
「探し物っていうのは時を満たした時に出てくるものだよ。果報は寝て待てってやつだ」
焦るなということだろうか、しかしなんだか聞いたことのない言い回しだ。
なんだいそれはと聞き返そうとしたところで、窓とひそひそ話をしているアシュレイの背中をクラスメイトが見つけて声を掛けてきた。
「アシュレイ」
肩越しに振り向くとクラフティがきょろきょろと周りを見回して首を傾げている。
「だれかいた……?」
窓を見るともう蝋燭の灯りはなく、隙間も閉まりきっていて蝋の残り香も何も残っていなかった。肩をすくめてみせるとクラフティ同じようにして、それから言った。
「マカが来たみたいだよ。隠し場所も教えてくれたって」
「どこ?」
「こっち!」
予想外のいい知らせだった。アシュレイは急くような気持ちでクラフティの案内を追いかける。マカが折れてくれたのなら今後もきっと、僕ら六年生はなんとかなる。フィーとコレットを説得してマカの罪をフェーヴに申告するのを思い直してもらえたら、みんな笑顔で最後の一年を乗り越えられる。
よかった。
「——ないってどういうことなの」
到着してみればそこは図書館の本棚ロッカーの前。すでに探しに出たクラスメイトみんなが集まっていて、一点に疑いや恨みの視線を向けている。中心を見るとコンテまでがこんな夜の校舎に出てきていて、間に入ってマカの制服を掴むフィーの手を慌てて離させていた。
様子がおかしい。何か嫌な感じがする。フィーの手がマカの服からするりと落ちて。
「どうしても返してくれないの、マカ。こんなのってない! 本当はどこにやったの」
「落ち着けって」
この状態では二人から聞くのは無理そうだ。
「どうしたの」
「アシュレイ! お前もいたのか」
コンテから聞くとどうやらマカの案内した隠し場所からぬいぐるみがなくなっていたらしい。本当の意味でぬいぐるみが消えてしまって、もはやマカに対する彼女の不信が最高潮まで達している。
まずい、どうしよう。
「フィー、マカ、静かに。このロッカーに鍵はかけてたのかい」
「当然かけてたし、鍵は今でもオレが持ってる。オレが黙ってればこいつが卒業した後もあのぬいぐるみもここに仕舞われたままだったはずなんだ。移動なんてさせるか」
マカが番号付きの鍵をアシュレイに投げて寄越した。確かにアシュレイが借りているものと同じ種類だし、番号も合っているようだ。
「鍵があるなら尚更、どうやってあなた以外のひとがここから取り出すの?」
「だから知らねえって……」
白を切っているように見えたのだろう、マカの襟を掴んで引き寄せる。
「じゃあ誰かがおまえの鍵をこっそり盗んでぬいぐるみをこっから出した後、また鍵だけをお前のところに返したってことになるぞ。そんなの、何の得があってやることなんだ」
「ザフおまえ、やめろ……」
「もう誰もお前の言うことなんて信じてないんだよ。大人しく本当の場所を教えろよ!」
マカの顔が怒りでかっと紅潮して、大柄なザフの肩を突き飛ばした。
時が。
「だから! 知らねえよ!」
時が満ちるのはいつなんだ。
その時。ガタン、とロッカーの内側で物音が響いた。
いや、先程から聞こえていたのかもしれない。何かの蠢く音が。ひときわ大きな物音は、その場の生徒全員の視線を集中させる。争いになりかけた二人もマカの開いたところから一つとんで隣のロッカーの様子を声もなく睨んで。
「何の音……?」
「……僕の借りているところだ……」
フィーは反射的に自分のポケットに手をやった。
「開けてみる?」
後ろから覗き込んできたクラフティが囁くが、アシュレイの手元には開けられる手段がない。「ああ、でも今失くしていて……」
「鍵ならここに。落ちてたよ」
自分の探し物が先に見つかってしまうとはなんだか後ろめたい気持ちになりつつも礼を言って、自分の鍵を受け取った。
「え、ほんとに開けんの?」
コンテが顔をひきつらせてじりじりと後ろに下がる。けれど今も中には借りた本が入っているし、このまま確認しないのはすごくもやもやする。
「ねずみとかだったら困るし……」
「ばか、今それどころじゃねえだろ」
眉を顰めるマカを通り過ぎ、物音のする自分のロッカーに近付いていき、鍵穴に差し込んで扉をそっと開けてみる。
ぶちっと何かちぎれるような感触があった。
ほんの一瞬、視界に映った暗いロッカーの中。
「————、」
悲鳴を上げる暇もない。次の瞬間、小さな爆発が目の前で真っ赤な錠を破壊した。と同時に……誰かの手がアシュレイの肩を乱暴に後ろへ引き倒す。
そこからの記憶は、あまり残っていない。全てが終わった後にコレットが悲痛に叫ぶ声がやけに遠くに響いて、腕を掴まれて立ち上がると開けた視界に四肢を投げ出して血を流す同胞たちがよく見えて眩暈が襲ってくる。
連れて行かれ歩いているときに足が何かに当たった。
小さくなった蝋燭が血溜まりを転がっていた。
ああ、今考えればわかる。あの時蝋燭を渡した相手は、メレンゲ食いの大群からたった一人立ち向かったのが、〈司書〉だったんだと。
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