王様のためのオルゴール=メレンゲドール
端庫菜わか
prologue
古い、古い、板張りの通路。両側の壁には等間隔に一人用の部屋が並んだ中廊下、外から見た際に部屋内部の全貌が見えるように格子戸が嵌め込まれている。いくつかの部屋には人が呼吸する気配が微かにあった。
まるでそれは、座敷牢のような。
ギシ、と靴が床を軋ませて執行人の来訪を告げるといくつかの部屋から小さな悲鳴が上がる。靴が床を踏み締めるたびに古い木材が音をたて、異様なほどの静寂を一層際立たせて。黒ずくめの執行人が通り過ぎていく廊下を、格子の中で息を潜めて伺うのはいずれも『生徒』。皆ほぼ同じ年頃で、指定の制服を着た若者たちだった。
一番奥から二番目、右手の部屋。
その生徒は部屋の奥でうずくまって執行人が通り過ぎるのを待っていた。ストレートの黒髪はもう数日間も手入れができないせいで痛み始めている。この部屋に収監されてからどれだけ泣いていたのだろう、目元には水彩の絵の具を差したように赤い腫れが残っていて。
お願い、通り過ぎて。ここに止まらないで。
執行人の足音はしかし、すぐ近くで聞こえなくなった。
「……あんた」
その声で、祈りの一切が掻き消えた。恐る恐る顔を上げると夜のような目が格子の向こうで自分を見下ろしている。
「ひっ」
執行人は少女である。格子の中の生徒とほとんど同じ年頃の、背が低い女の子だ。黒い外套に学校指定でない黒い靴と黒い瞳の少女は、その長い髪が焼き菓子のようなバターブロンドでなければ暗がりに溶けてしまいそうなほどに、身につけた全てが真っ黒だった。
格子の戸が開かれて、執行人がひょいとかがんで顔を覗かせる。
「来て」
「い、いやっ」
制服を着ていても、この座敷部屋に入れられた生徒は罪人であり、これからこの女子生徒を待つのは刑罰の執行。
「きて」
執行人は怯えて動けない生徒に苛立つことも諭すこともなく、ただ繰り返して言う。後退りしようと体を逸らしたものの執行人の動きはそれより素早く手首を掴まれた。どうしてか抵抗すら出来なくて、女子生徒はなすすべもなく引き摺り出される。
小さな泣き声が廊下に響く。
黒ずくめの少女は来た道を戻って進んでいく。すすり泣きながら、操られるようにふらふら後をついてくる生徒を振り返ることもせずに。
「いいよ」
「…………っ」
糸が切れたかのように膝の力が抜けてへたり込む。いつの間にか暗い廊下を抜けていて、女子生徒は円形の部屋の真ん中にいた。半径三メートルほどの床は星のような幾何学模様が描かれており、円筒にそびえる壁が天井と一体するように窄まって鳥籠のような内部を形作っていた。
歯車の絡繰が回るような軽い音が鳴り始め、生徒の真正面の床の模様の一部がそのまま切りとられるかのように持ち上がっていった。
がらがらがら、と上がりきると、やがては『それ』らしい台が完成する。
涙でかすんだ視界の中で、執行人が数歩先に佇んでいるのがぼんやりと見える。ふとようやくこちらを振り向いて、彼女はいつどこから取り出したのかその身長より大きな斧を引きずるように持っている。
自分を見下ろす黒い瞳が、冷たい死神の視線に見えた。
「や……っ」
生徒は恐怖で錘のように役立たずになってしまった足を引きずって慌てて後退りする。しかしここに連れてこられた以上、そんな行為は何の意味も成さない。執行人の手が女子生徒の腕をとらえて、軽く引っ張るだけで中央に戻されてしまう。
生徒は断頭台に肩を押し付けられた。
「うう……っ」
執行人の手が静かに離される。そして耳元で金属の刃が床と擦れる音がする。
誰の手に押さえ付けられている訳でもないのに、台に乗せられた体が石のように動かない。
「やだ、たすけて誰か、……死にたくない……!」
女子生徒の叫びが部屋の星に吸い取られるように響かずに消えていく。
キィンと弾けるような音が部屋中の一切の音にピリオドを打った。
後には振り下ろされた斧の余韻だけが残っていて。
一人になった少女の金の長髪がゆらめいて、ただ淡々と後始末をする。
ここは学校の深奥。罪を犯した『生徒』に制裁を加える場所。
ペルシェはこの美しい校舎の下で、与えられた責務を果たし続けている。
彼女への恐れは、死への恐れだ。
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