ミルフィーユとマカロンのジレンマ、5

「いい手じゃなかったかなあ。指示とはいえ、当事者に手伝わせるなんてさ」

 木の上から独り言が聞こえる。

「どう? アシュレイ君は上手くやってる?」

 校舎を等間隔で囲むナラの木は〈生徒会長〉が管理している。落葉のはじまる時期が迫っているので、安易に登れば葉っぱが落ちてしまうのであまり歓迎される行為ではないのだが、クレアは気に留めていないらしい。だいたい、木登りはやめるよう言われていたはずだ。ばれたらまた叱られるぞ、と肩を竦めて声をかけた。

「まずまずってとこかな。怪しまれてる様子もないし、想像以上に仲良く喋ってるみたい」

〈捜査官〉は自分の仕事を後回しにして教室を覗いていることに関して誤魔化す気もなく、双眼鏡の焦点を六年生教室の窓に固定したまま根元に立つ相棒に言う。

「今年の六年生は結束力が高いと聞くよ。仲間意識の強さもあって、彼を信じ受け入れたんだね」

「そうだといいけど。いやいいのか?」

「良いことだよ」

「お人好しめ」

 快く迎えられればその分調査がスムーズに行われるからそれに越したことはない。アシュレイが無実であればそれはある程度善であるし、彼の力になるだろう。しかし彼が犯人だった場合、周囲の生徒を扇動して悪の道に連れ込むこともできる。全くリスクの大きい手段だ。

「どう思う?」

「何を?」

 木から降る声が少し低くなり、キシェは思わず顔を上げる。だが葉に邪魔されて、〈捜査官〉の姿はまるで見えない。

「あいつが犯人ならこんなふうに泳がせたら証拠隠滅される恐れがあるし、あいつの言う通り無実ならこんな仕事まがいのことさせるべきじゃない。こんなやり方して、本当に正しいのか?」

 キシェは〈捜査官〉からの滅多にない問いかけに小さく息をついて、淀みなく答えた。

「〈生徒会長〉と〈裁判官〉の二人が決めたことなら間違いはないよ」

「けど、それで冤罪が生まれてるんだ。俺たちはこのまま指示に従うだけで良いってほんとに思う?」

「彼が戻ってきたことで……それを心配している生徒も少なからずいる。だからこそ僕たちが揺らがずに仲間の決定を肯定することで、みんなを安心させてやれるんだよ。」

 いつも一人で自分の仕事を全うするフェーヴは、自分の仕事を誰かに任せるということがない。〈捜査官〉は特に自主性の高い役目を受け持っているから自身の判断で独自の流れを作ってきたのだ。心配にもなるだろうと理解はできる。

「……へえ、さすが〈憲兵〉くんだな」

 鼻で笑う音が木の葉の間からまた降ってくる。

「けど、彼はいい子だよ。萎縮しないでちゃんと僕らに伝えられる」

「……まあ、たしかに肝は座ってるよ。多少の演技が必要なタスクを渡して送り込んだけど、ただ登校しに来たようにしか見えないもんな。嘘を吐いてても普通の生徒にしては佇まいが自然すぎる」

「どうしたんだ、君らしくない。今アッシュ君を導けるのは君なんだ。無茶させたくないならさせないように動かせばいいよ。いつも僕をうまく振り回してるみたいにね」

 クレアは何も言わなかったが、代わりにふはっと笑う声が耳に届いた。キシェは六階の陽に反射する窓を見遣って、平和の裏に潜むかすかな暗影を、何かの憂いを予感する。

「〈司書〉の杖に選ばれたのなら、きっと大丈夫。彼が容疑生なんかじゃなかったら手放しで仲間に迎えていたんだろうと思うと、あまりに数奇な始まりだと思うよ」


     ○


 始業の鐘と共に全ての生徒の教科書が開かれて、ペンの音が時計の針と競って走る。

 全ての生徒には六年間で身につけるべき学問が平等に与えられる。通常の学校と同様に一年ごとにその難易度は上がっていくが、大人の立ち入りが禁じられたソプドレジルアンにはそれを教える教師すらいない。与えられた難問も突然発生した苦難も、生徒は自分たちで解決するしかないのである。

 ゆえに、授業時間に私語を禁じる校則は存在しない。

「フェーヴの方、この問いを解けますか?」

 席に座って大人しく監視役を全うしているフェーヴの元に、ソワソワとした表情で近寄ってくる生徒が三人。

「ちょっとややこしい。ペルシェでいいよ」

「ホント! やったあ。じゃ、ペルシェって呼ぶわね。私のことはコレットって呼んで」

「コレット……」

 一番前で話しかけてきたのはダークブラウンの長い髪を後頭部で束ねたコレット。その腕にしがみついているのは先程もアシュレイと話していた優しいミルクベージュを二つ結びにした背の低いフィーという少女。あとはノートを手にふらふらついてきた深い紫色の瞳を持った男子生徒。最もペルシェの眼を通してしまうとどれもそう変わらない、刻印のない小さな柄付きの卵と同じだけれど。

「やっぱりやめようよ」「大丈夫大丈夫」などと先程から囁いていたのは自分に質問があったからかと合点がいった半分、クラスメイトに聞いたほうがいいんじゃないかと不思議に思う。ペルシェにはフェーヴと一般生徒との距離感などわからないから、もしかしたらシャルロットたちは彼らのこういう質問にも答えてきたのかも知れないけれど。

「どれ?」

 自信があるわけではないが一応尋ねるとコレットは持ってきた教科書をペルシェの前に広げ、そのうちの一つの項目を指さした。ペルシェは数秒眺めたあと、またコレットを見上げる。

「知らない」

「知らない……?」

 コレットは正直に眉を顰める。

 見せられた文章に対する答え方がわからない。

「あんたたちの力になれないや」

 生徒たちは予想外の答えに目をぱちくりさせていたが、コレットが会話の空白を追い払うように激しく首を振って歯を見せて笑う。

「……ううん、いいの! フェーヴに訊くのはズルよね。よかったら……他のお話をしてもいい?」

 授業中じゃないの、と聞けば次の時間に取り戻せば同じだからと男子生徒がちゃっかり教えてくれる。確かに自己責任か、と納得したことにして頬杖をついた。

「合議室にキッチンがあるというのは本当?」

「は? えーと、オーブン付きのがあったと思うけど」

「ほら!」

 コレットはフィーを振り返って声を上げる。突拍子もない質問に戸惑っているのはペルシェだけで、フィーも目を輝かせているところを見るに彼女たちにとっては重要なことだったのだろう。

「じゃあ、フェーヴたちの間で定期的にお茶会が催されているというのも本当ですか?」

 お茶会。そう言われて思いつくのは合議中になぜか必ず出てくる大量の紅茶や珈琲やおやつだが、それをお茶会と呼ぶのかは判別がつかない。

「多分」

「いいなー!」

「シュクルリィなら食堂で食べられるでしょ」

 異様に盛り上がる少女たちに押され気味のペルシェは前の席からも聞こえてきて、アシュレイはペンをノートに構えたままつい肩越しにしばらく眺めてしまった。


「さすがコレット。君ともう仲良くなれそうだね」

 結局歓談に夢中になりすぎて、三人まとめて学級長に叱られていたけれど。連れてきた食堂の席で金塊みたいに積み上げたシュクルリィ・バーにかじりつくペルシェにそう言うと怪訝そうな顔をされた。

「聞かれたことに答えただけ。」

「フェーヴは僕らにとって聖人のようなものなんだよ。あんなにおしゃべり出来てたんだからみんな羨ましがってるんだ」

 ふぅんと小さな声がパッケージを潰す音に被される。

「あんたも?」

「——僕?」不意の質問で豆鉄砲を喰らったアシュレイは数秒遅れて自分の胸を指す。「僕はもうずっと君と話してるじゃない」

「ああそうか……」

 そうかと言いつつしっくり来ていないのか首を捻っている。そういえばアシュレイの教室復帰の監視役を任される際、〈執行官〉が〈生徒会長〉から言われていたことを思い出す。

『貴女はフェーヴなのだから、それを自覚してふさわしい振る舞いをしなさいね』

 確かにペルシェはフェーヴ〈執行官〉として己の責務を深く理解しているけれど、フェーヴという存在が生徒から憧れられていることを実感していないようだった。シャルロットはそれを分かっていたのだろう。無理もない、彼女は地下では死神のように畏怖の対象だったのだから。

「あまり気にしなくていいよ。フェーヴがいつでも話せる距離にいると思うとみんな浮き足立ってるだけだから」

 そう言いながらマグカップを傾けるアシュレイの横で長机が軋む。

「そうそう、卵が喜べば学校が活気付く。それはとてもいいことだよね」

 柔らかい甘い香りと共に会話に加わったのはアシュレイの隣を陣取った白衣の少年であった。少し長い薄茶色の髪を後ろで束ね、メロンパンを片手に人懐こく膝をゆらゆら動かす彼は生徒の誰もが必ずその手にかかる医務室の主人。

 フェーヴ〈医務官〉。シュトロイゼルだ。

「ここ最近不幸続きだからね。生徒の笑顔はフェーヴみんなの希望で、栄養だ。良いことが重なるに越したことはない。ねえ、アシュレイくん」

 パンを包む紙をがさがさずらして幸せそうにパンを齧る。アシュレイの返事の代わりにペルシェの嘆息がこぼれる。

「何か用?」

「ペル! 久しぶり! また塊だけ食べてるの?」

 ペルシェの前に散乱したシュクルリィ・バーの包みに目をやると〈医務官〉は相手の食生活を見透かして言う。

「あんたのそれと何が違うのか分からない」

「食べる?」

「いらない」

 そっけなく断られ、美味しいのになあとまた一口食べながら首を傾げるシュトロイゼル。ペルシェは襟に口元をうずめて彼の様子を窺っている。

「医務室にいなくていいの、あんた」

「どうせマドレーヌがいるから大丈夫大丈夫。外で他の仕事してたからお腹すいちゃった、アシュレイくんそれお昼? 少なくない?」

 彼は不意にこちらに体を向けてアシュレイのマグカップを覗き、眉尻を下げる。彼の参入に瞬きするしかなかったアシュレイはようやく封じられたようになっていた舌を動かして言う。

「元々多く食べる方じゃなくて」

「そう。確かに、おれもそんなにいっぱい食べられるわけじゃないからわかるよ。シュクルリィは魔力補充でもあるしあんまり無理して摂ると生徒には毒になりかねないしね」

 ああでももう生徒じゃないのか、と口の中で呟くのを微かに聞き取って。彼らにとってアシュレイは非常に微妙な位置にいる。

 ラベンダー色の瞳がアシュレイのいたたまれなさに気付いて、シュトロイゼルは屈託なく微笑んだ。

「そういえば手品ができるって聞いたけど、」

 気ままな生き物のように会話が右往左往するのにペルシェの目が回る頃、シュトロイゼルの背中を強めにつつく指があった。

「ろいちゃんそろそろいいか? そいつら借りたいんだけど」

「あ、クレア。メレンゲ食いの掃討と巣窟の処理は終わってるよ。確認してくれた?」

「したよ、キレーになってた。時間ないし譲ってくれん? 任務の経過報告聞きたいから」

 

 はいはい、と音もなく椅子をひくと、鞄を背負ってシュトロイゼルはおそらく医務室へと帰っていく。しかしその前に、彼はひょいとかがんでアシュレイの肩口に耳打ちしていった。


「体調がよかったら放課後に医務室へおいで」

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