第17話

また数日が経ち街の空が鼠色に移りゆく頃雷鳴が続けて響いてきた。僕と益井はそれぞれ次の新居先の荷造りをしてひと段落が着いた時、彼がキッチンでケトルで沸かした湯をカップに注ぎ、僕にエキナセアのハーブティーを渡してくれた。


「政府から国内の男女の共同居住を進める方針を取るという決議案を出したそうですね」

「分断されたままだと、また急激に人口減少になることも見込まれるから、そういう対策を取ることにしたんだろうな」

「ただ、この都市部に一気に人々が流れ込むように入ってくると、新たな暴動も出てくることにもなりかねませんよね」

「そこは徐々に誘導させて住ませるのだろうな。百年前に起きた流行病の時だってロックダウン後に年齢順に解毒投与の接種をしていっただろう?きっとそれに近い対策を取るよ」

「あっ、時間が近いな。用意しないと……」


室内に振動が音を立てて震え出してきた。窓の外のいかずちが次第に近づきどこかの避雷針に落ちたのを目に入ると、益井は静かに口を開いて僕に話しかけてきた。


「兵頭さん、僕と約束をしてください」

「何?」

「この先何があっても決して後ろを振り返らないでください」

「どういう意味で?」

「あなたが僕を励ましてくれたように、起こりうる目の前の未来に辛い事があっても、自分の足で前に進んでいくって。兵頭さん、口癖のように話してくれたじゃないですか」

「そうだな。益井も言ってくれているように、人に優しくなれる時がきた瞬間からその人の道は開かれていくってことをさ」

「これから仕事でしょう?早く行ってください。皆んながあなたを待っています」

「ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございます」

「今日、夕飯別々になるな。お前は作るのか?」

「これから考えます」

「じゃあ、行ってきます」

「気をつけて」


玄関を開閉しマンションから外へ出て数メール歩いた時に、近くの場所から銃声が鳴り響いた。僕は彼が何があっても振り返りなと言っていたが、胸騒ぎがおさまらなかったので、再びマンションの中に入り部屋へ行くとリビングの隅で益井が所持していた拳銃が彼自身に向けて頭を貫通して放ち、そこに倒れているのを見て驚愕した。

何度か声をかけたが急所に命中していたので、血まみれになった身体を抱き抱えてはスマートフォンを握りしめ救急車を呼ぼうとした時に、あの蛍光の火玉のような光が彼の身体を包み込み電灯が消えるとともに奴は現れた。


「もう、諦めなさい」

「ヒュプノス……やめろ、益井はまだ息がある。連れていくのは間違いだ」

「よしなさい。この者はあなたに起きた過去を振り返るなと告げただろう?言う通りにさせてあげるのだ」

「お願いだ、カウントをとるな。よく聞けよ、まだ、まだ息がある……!」

「一、ニ、三、四……」

「ヒュプノス!頼むから連れていくな!死んでなんかいないじゃないか。意識がないだけだろう!?」

「十、十一、十二、十三……」

「ヒュプノスやめてくれ!もう、もうお前から死者の魂を抜かれたくないのだ。俺の愛する者を連れていくのはやめてくれーーっ!」

「十九、二十、二十一。今ここにこの者の永遠の眠りを与えた。そして自ら命を絶ったとして、これから無の世界へと向かわせる」

「無の、世界?」

「自殺した者の魂は皆天や地獄でもない、無の世界へと行く。そこには世俗の五感がない、ただ真白な空間の中を永劫に旅していくのだ」

「益井……お前、俺の帰りを待ってくれるって行っただろう?なぜ死を選んだんだ?」

「この者は生前に罪を犯した。集団殺戮に入ろうとしただろう?何をしてでも殺めてもでも家族を救い出すと言っていた。それが失敗し苦悩が続いたゆえに最期は死を選んだ。それがこの者の宿命。後戻りはできぬ。兵頭、その手を離しなさい」


僕はその場で膝を崩して力が抜けたように床に手をついた。やがてヒュプノスは益井の魂を抱えてその場から消えていった。僕は益井の遺体を仰向けにして気道を見つけては無心になりながら心臓マッサージを行なった。次第に涙が溢れ出て彼の顔に滴り落ちると声にならない悲鳴を上げた。

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