第8話

「おかえりなさい。今日は早かったですね」

「異動願が出たんだ」

「もしかして病院にも通達が来たんですか?」

「ああ。内部にも情報が洩れているかと思うと親衛隊の奴らの行動がおぞましく感じるよ」

「そうですか……夕飯はまだですよね、僕作っておいたんで食べてください」

「いつも悪いな」

「悪いなんて言わないでください。パートナーですしこのくらいはやらないと。あの兵頭さん、甘いものって食えます?」

「まあ、一応は。どうして?」

「冷蔵庫に洋菓子を買ってきているのでご飯食べたらいただいてください。甘いもの取ると疲れも取れますよ」

「そうか、ありがとう」

「僕風呂入るんで、あとは適当にしていてください。臨床の現場なら今までより時間にも余裕出来ますよね。僕との時間も取れそうだし……あの事考えておいてくださいね」


益井の表情は何だか嬉しそうだった。まるでお互いが本物のパートナーのように親しい仲になっているようだ。特別な事は期待はしなくとも彼もまた僕の事をどうにかして受け入れたいのだと考えているのだろう。

刻一刻と条例の件の期限が迫ってきていると思うと、いつになく焦燥感も出てくる。いつまでたっても怯えていてもしょうがない。僕は自分を信じようと頷いて彼のいる浴室へ行きシャワーが流れる音を遮るように声をかけるとドアが開いて彼が出てきた。


「どうされました?」

「条例の事が気になってさ。益井さん明日は休みだよな?」

「ええ。兵頭さんは?」

「明日は午後から出勤なんだ。だから、つまりその……」

「試したいと、考えているんですね」

「……ああ」

「今上がるんで向こうで待っていてください」


こんな神妙な面持ちは抱いたことがないので自分は何がしたいのだと疑問を感じるが、まずは彼に身を委ねてみてから数メートルある飛び込み台から一気に飛び込もうという気持ちで挑もうと決意した。

しばらくすると益井がリビングへ来てソファの横に座り、少しだけ話をしようと声をかけてきた。


「初恋ってありましたか?」

「あまり覚えていない。あるとしても分断されたころだったと思う。それからは誰かを好きになろうという感情は抱くこともなかった」

「思春期、どうされていました?」

「どうって?」

「女性に触れたいとかキスしたいとか、自然に思う事はなかったですか?」

「なくはない。ただ、誰を好きでいたいかと思っても周りは男ばかりだったしな」

「僕は猥本を買いましたよ」

「猥本?ああ、あれか」

「あれを買うには規制がなかったから欲求が満たしたいと思って毎月買っていては彼女たちの裸体も想像していたな」

「思春期真っ盛りだったんだな」

「笑い事じゃない。その年齢でどうやって自制しろって言うんですか」

「世の中の男子は泣かされることが多いな」

「女性も大変なこともありますが男子だって色々と悩ましい事情も持ち合わせているしな」

「兵頭さんって攻める方ですか?もしくは攻められたい方?」

「何だよそれ……まあ、攻めたい方かもしれないな」


益井は僕の太ももに手をかけて股関節を摩ってくると、気を引くようにこちらを見つめてきた。


「あのさ、益井さんって本当はゲイ?誘い方がそれとなくそんな雰囲気を出してくるからさ」

「違いますよ、僕は女性が好きです」

「じゃあ俺としたくなっているその動機ってどこから湧いてきたんだ?」

「あなたへの好奇心。どんな風に感じるのか知りたくなったんです」

「同性なのにそのような好奇心が湧いてくるなんて……」


益井は僕の肩に寄りかかり耳元で早く性交してみたいと囁いては耳の筋を舌で舐めてスウェットの中に手を入れ性器を弄り始めてきた。

いつにない緊張の糸が張り詰めて部屋中に蜘蛛の巣のように透明な吐息が交わり出す。

涙目の僕を益井は止める事なく情交を深く掘るように身体をベッドに倒して更に殻を破りながら二人の心を打ち壊していくようにその音速は走り出していった。

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