第5話


「悠貴ちゃん起きて~」


「んん…」


ゆさゆさと体を揺さぶられ目が覚める。

寝起きのために視界と思考が霞んでいる。ええと。


「着いたよ~」


ゆさゆさ。ゆさゆさ。


「ふぁ、っ~あ。んぐ」


「楓ちゃん!私この子お持ち帰りする!」


「元居た場所に返してきな」


 そうか。送ってもらってたんだっけ。なんか、妙なことを話している。誰が捨て猫だ。


「おはようございます」


「おはよう、ここでよかったよね?」


「はい、合ってます」


「悠ちゃんまったねー!」


 ドアを開けて車から降りる。綾辻さんのぶんぶんと手を振る綾辻さんに、手を振り返す。


「柊さん、また連絡送っとくから見といてね」


「はい、分かりました。送っていただいてありがとうございます」


「いやまぁ、連れて行ったのは私だからね。いいよ礼は」


 それじゃ、と言い残して離れていく坂井さんの車を見送り、自宅への帰路に立つ。


 近くにあるアパートまで歩き、2階の角部屋の鍵を開ける。6時間振りに帰ってきた我が家がずいぶん久しぶりに感じる。色々と。そう、色々とありすぎたからだろう。


 靴を適当に脱いでまっすぐに洗面所まで歩く。外から帰ってきたから手洗いうがいをする。のは当たり前だとして、湧き出た疑問と、強烈な違和感を確かめなければならない。


 洗面所に人が訪れたことを検知して照明がつく。


「なに…これ、僕?」


 元の姿を見られても驚かれなかった理由がこれだ。

 元が男の魔法少女なんて珍しくない。だから男の僕を見ても特に気にしなかった。わけじゃない。


僕が女の子に変わっているからだ。


 疲れと眠気でそれどころじゃなかっただけで、ショックでそんなものが吹き飛んだ今ならはっきりと分かる。うなじを覆う髪がちくちくと存在を主張していたのは気のせいなんかじゃなかった。


 短く切り揃えられていた黒髪は、僕の肩にかかる程まで伸び、心なしか頬に肉も増えて女性らしくなった気もする。いや、男の時の面影も残ってはいるが、どちらかと問われると10割で女子だと言うだろう。奇麗というよりかわいらしさの強いその顔が『僕』と言っている姿に酷く違和感が残る。


 極めつけは、シャツの胸部に見慣れないしわを作っている二つ膨らみと…ズボンとパンツを引っ張り股の間を覗き見る。

 最後の砦は消え去り、なだらかな丘陵が広がっていた。


「な、なんで…?」


 とは言っても思いつく原因は一つしかない。魔法少女になったあの瞬間くらいしかないだろう…。思えば、変身を解いた時は光の粒子が舞っていただけだったのに、変身をした時は溶けそうなくらいの熱に襲われたのを覚えている。


「コネクト」


 全身が白く輝き、その姿を変えていく。腕を覆っていた布は消え去り、代わりに肘から手の先までを白銀のガントレットが現れる。陶磁器のように白く滑らかな肩が鏡に映る。白くなった髪の大部分が後ろに一つで纏められふわりと揺れ、鏡に映る橙黄色の瞳と見つめあう。


 気のせい…ではないと思いたい。たしかにあの時、全身が熱に襲われたのを覚えている。それが今魔法少女に変身した時には欠片もない。初変身時特有の現象なのかもしれないが、それ以外に思いつく原因がない。


「ディスコネクション」


 元の姿、とは言い難い姿に戻ると、深いため息を吐く。

 4月まで男に戻れるならば問題はない。今までの人生を男として生きてきた。当然戸籍上も男で、今までの記録や写真にも男としての悠貴の姿が写っている。

 問題は戻らない。戻れない場合だ。


 進学予定の近所の高校には、当然男だと登録されているだろうし、中学からそこに進学する人だって少なくない。というかかなりいる。親しい友人がいるというわけではないけど、友人ではないからといって悠貴のことを全く認識してないクラスメイトばかりということもないだろう。むしろ顔と名前だけなら覚えられている方だ。


 つまり、このまま高校に入学したならば、春の間に性転換手術を受けた生徒だとして大いに話題になるだろう。どちらかというと陰気な性格の悠貴にとって、変に目立つことは避けておきたい事態の一つになる。


ぐぎゅるるるぅ…。


一人の少女が立ち尽くす部屋に音が鳴り響いた。


「そういや昼からなんも食べてないや」


 元はと言えば昼食の材料を買いに行ったのだった。財布を取り返すために捨て置いた彼らはもはや無事ではないだろう。今から新たに買いに行くのも面倒くさいし、女になったばかりで外に出かけるのにも少し抵抗がある。しかし、空腹によって訴えかけてくる胃の痛みを鎮めるためには何かを食べなければならないだろう。


 実に仕方なく、飽き気味のインスタントラーメンを一つ開け食べる準備をする。春休みはまだまだ残っている。そう思って悠貴は現実逃避を選択した。



「クスクス、随分とかわいくなったじゃない」


 ずるずると麺を啜っていると、甲高い特徴的な嗤い声が聞こえてきた。この声は。


「アーフェア・ケール!」


 いつの間にか部屋の中に入ってきた30㎝くらいのその妖精が宙に浮いていた。


「どうしてここに?」


「ん?なに、あの後はどうなったのか気になっただけよ。アフターケアってやつね」


 どうして、じゃなくどうやってここに入れたのかを聞いたつもりだったけど望んでいたのとは違う答えが返ってくる。

 クスクス。と嗤うその声にはケアをしようなんて気など微塵も感じられない。が、これはチャンスだ。聞きたいことは山ほどある。


「聞きたいことがある」


「なぁに?」


 思い直せばどうやってこの部屋にいるのかなんてどうでもいい。重要なことはもっと他にある。


「僕は男に戻れるの?」


「無理ね。多分無理」


ぐっ。


「どうして?」


「あなたのそれは副作用みたいなものだからよ。あなた、元々どちらでもあったんじゃない」


「どちらでも?」


「そう。男と女。どっちもあった。男の方に比重が偏っていたみたいだけど、魔法少女になった時に逆転したんでしょうね」


男でも女でもあった…?いや、それは今はいい。


「それが、どうして戻れない理由になるわけ?」


「つまり、女になったのは魔法の一種ってこと。魔法少女になるのも魔法の一部よ?変身魔法といえばいいのかしら。男のままだと不都合だったから一緒に変えてしまったんでしょ」


だから副作用。とアフェアは締めくくった。そしてこう続ける。


「魔法は魔法でしか対抗出来ないわ。性別を変える魔法を持った魔法少女が現れれば可能になるかもしれないけれど。そんな魔法少女、果たして出てくるかしらね?。クスクス」


 たしかにそんな魔法を持った魔法少女がこれから出てきますと思える程楽観的にはなれない。

 戻れない。戻れないのか…。つまり一生このまま…?


「そもそもあなた、どうして戻りたいの?」


 かわいいからいいじゃない。などと無責任に笑う妖精。そういう問題じゃないだろう…。


「いや、困るよ。戸籍上は男で、男として生きてきたんだし。学校だってある。性別が変わったなんて知れたらどれだけ騒がれるか分かったもんじゃない」


 春休みの間に性転換した人間だなんて認識されたら目立って仕方ない。僕はひっそりとした高校生活を送りたいのに。


「へぇ~要するに、戸籍上の登録と性別が変わった事が回りにバレるのが問題なわけ?」


「…まぁ、うん」


主だった理由はそこに尽きる。


「それくらいならこっちでなんとかしておくわよ?」


「…は?」


どうやって?


「記録の改ざんなんて難しいものじゃないわよ、バレるのが嫌なら知り合いのいない場所まで離れればいいじゃない」


 実に軽く、記録を改ざんしますと宣言する妖精に開いた口が塞がらない。

 妖精などと呼ばれているが実は悪魔なんじゃないか。


「それよりあなた、元男だってバレたくないのよね?」


「それが?」


 元男だとバレたら困る。というより目立ちたくないというだけだけど。


「なら変えた方がいい事があるんじゃない?僕っ子も悪くないけどね」


ん?と問いかけてくるアーフェアが何を言っているのか。


「…私」


 確かに、悪いとは思わないけど一般的な女子が一人称として『僕』を使う所を見る機会は少ない。


 心の内で何かが崩れる音を聞きながら、男に戻るまでは気を付けようかと考える(戻れるかは分からないが)。なるほど、アフターケアなどと自称するだけはあるその妖精は、何やらリビングの窓を開け夜空へと飛び立っていく。え?


「いやちょっと、まっ」


「それじゃあ、またね~」


 聞く耳を持たないアーフェアがそのまま夜の闇に姿を消していく…。

 おい、わざわざ窓を開けて出ていくなら、本当にどうやって入ってきたんだ。








「はぁ」


 元の姿へと戻るのは絶望的だ。という話を思い返しながら伸びきった麺をすする。

 遠い場所へ行けばいいと言うが、進学先はすでに決まっている。今更どうしろというのか。ずるずるとスープを飲んでいると小高い電子音が部屋に鳴り響く。元々所有していたモノからではない、魔法少女の仕事用に使ってくれと言われ、新しく渡されたスマホにtelepathyからの通知が入っている。坂井さんからだ。


『身体検査を実施するので時間を作れる日の指定頼みます』という文の下にカレンダーが表示されている。特に用事もないし、明日でいいか。そう考えて3月8日の13時からと日時の指定をする。


 ピロピロとメロディが流れる。お風呂の沸いたことを知らせるメロディだ。インスタントラーメンに注ぐお湯を沸かしている間に自動湯はりボタンを押していたのをすっかり忘れていた。ここ数日お風呂に入る時間が惜しいとシャワーだけにしていたので疲れの溜まった今日は湯船に浸かりたいと思っていた。…それに、戻れる見込みが薄いというのなら、この体に慣れておく必要もある。


 ふっと覚悟を入れて衣服を全て脱ぎ去り、浴室の中に足を踏み入れる。変貌した自分の肢体が鏡に映る。


「っ…」


 同年代の異性(同性?)の裸を初めて見るため少し、いやかなり動揺してしまう。その動揺が体に表れたのか鏡に映る、どこをどう見ても完璧に女の子である自分が顔を赤らめている。…いや、しょうがない。自分の体とはいっても別物なのだ。自分の裸を見て興奮してる異常者だとはいうまい。ちょっと待て、興奮じゃない。動揺しているんだ。


「っくしゅっ!」


 何やらよくわからない一人相撲をしていると体が冷えたのかくしゃみが出た。風邪を引いてはいけないと慌てて湯をかぶる。そして掌にボディシャンプーを落として泡立たせ、全身にくまなく這わせる。


「ふぅ」


 いつも通りの動作だが、いつも通りとはいかない。大きいのか小さいのかも分からないし、形の良し悪しだって知りはしない。けれど以前までは存在せず、しかし、今ははっきりと主張しているその脂肪の塊が、手に押しつぶされて形を変える。初めて知る感覚に息が漏れ…何をやってるんだと頭を降って、背、腕、脚と急いで済ませる。構造的には大きな変化がないのに柔らかさを増した臀部に驚きながらも残すところはあと1ヵ所となった。


「…いやまぁ、別に」


 気にすることはない。と、そう言い聞かせ股の間に手を伸ばす。そしてゆっくりと、慎重に触れる。が、


「…?」


 腕や脚の表面を洗ったときと特段変化はない。他よりは手の触れている感覚が強いような気もするけれど特筆する事はない。身構えていただけに拍子抜けしていると、さて、次はどこまで洗えばいいのかという疑問が出てくる。疑問符を浮かべながら指を動かす。まぁこのくらいでいいかと泡を流そうと考えて、湯おけを取ろうと股から手を引き抜く際、指の先、爪が引っ掛かり感じたことのない刺激に襲われる。


「んぅ!?」


じぃんと脊髄を走る予想外の刺激に思わず背筋をそらす。


 誤魔化すようにさっさとお湯をかけて全身の泡を流し、久しぶりに浸かる湯船の気持ちよさに思わず息を吐く。


「はぁ~~」


 手を伸ばす。重力に従って指の先から滴り落ちる湯を視界に収めながら随分と柔らかくなってしまった自分の体に思いを馳せる。特定の場所が、というだけではなく、男の時は手も足も今より筋肉質だった。長くなった髪の毛の先が湯にひたっている。


「髪を乾かすの、長くなりそうだな」


 なんてどうでもいいことを呟いて、目を閉じる。全身の力を抜いて、今はただ疲れたこの身を癒そうと、細く、長く息を吐いた。

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